面接について

公開日: 2009/04/18 MSW



ソーシャルワーカーの仕事の主は患者さん家族との面接。
この2年間で数百回は面接したと思う。
忘れないように面接について思うところを簡単に書き記しておこうと思う。



正直、1年目は面接が怖くて怖くて仕方なかった。
患者さん家族との話の中で、 目の前にぶちまけられ色々な事実、それに伴う感情を、共有する数十分の中で、どのように着地させるのか。
考えても考えてもわかるはずはなく。だから怖かった。 
分からないから怖い。正直そんな感じだった。


面接の技術も、自身の経験値も何もない。
手持ちの武器は無いに等しい。詰め込んだちょびっとの知識だけ。
だから、とりあえず、サービスに繋ぐこと。社会資源の情報を提供することに終始していた気がする。

それは、目の前の人のためではなく、自分のためだった。どこにどう飛んで、どう転ぶかわからない話を、何か一つの落ちどころのようなものを一緒に見つけていく自信がなかった。だから、知っている知識を伝えるという面接がほとんどだった。もちろん、面接をするからには、何かを持って帰ってほしい、という気持ちはあったが、それよりも「怖かった」というのが正直なところだった。


ただ聞くだけなら「誰でもできる」
だとしたら、ソーシャルワーカーの専門性はどこにあるのか。自分のいる意味ってなんだろう。そんな疑問が常に付きまとった。1年目は毎日辞めたいと思ってた。


そんなとき、とある一つのケースに出会い、そのご家族に「自分はこういう仕事がしたいんだ」ってことを目の前に突きつけてもらった。


「その人の変化に寄り添って、その人の歩むこれからの未来への第一歩を全力で支える」

自身のひとつの価値を再認識、そしてそれが間違っていないことを教えてくれたケースだった。仕事をしててよかった、と初めて心から思えた。

自分が専門職としてどうありたいか。どうあるべきか。
ということに、すべては帰着するような気がしている。


インテーク面接において、患者さん家族に試される時間があることに気づいた。
目の前にいる人間が「自身の何かをを話すに値する人間かどうか」ということを値踏みする。その行為は冷静に考えれば、当たり前のこと。そのことに自然に気づけるようになってきた頃には面接は怖いものではなくなっていた。


面接というテーブルに、色々なモノがぶちまけられても、どうせ全部は拾えない。
拾う必要もない。

ぶちまけられたものの中から、「何を選ぶか」具体的に言えば、「この面接で何を取り扱うか」=面接の目的。それを共有すること。それが、面接における、患者さん家族とソーシャルワーカーの協働作業のはじまりなのだと思う。

それがはっきりしないと物事は進んでいかない。インテーク面接では、面接の目的を明らかにして、今後、何に対して、どのように展開していくか、ということの共通の認識がひとつでも持てればいいのではと個人的には思う。


患者さん家族との信頼関係はそれが目的ではなく、援助関係の土台になるもの。「お話できてすっきりしました。心が軽くなりました」なんていう言葉はソーシャルワーカーにとっては甘い罠だ。

極論、犬にだって話せば気持は楽になる。聞いてもらえたことで楽になるのではない。言語化して表出できたことで楽になる。

それはソーシャルワーカーの面接技術によるところも多少はあるかもしれない。けれども、言語化・表出できるのはその人の力であって、ソーシャルワーカーの力ではないことを自覚すべきだと思う。そうでないと、勘違いしてしまう。


「話せてよかった」と言われて悪い気がしない人はいない。その言葉は喜んで頂いて、自己満足してテンションをあげて、そのあとに自分を戒め、冷静に考えればいい。


聞く、聴く。きくということは難しい。


言語・非言語のキャッチボールにおいて、その人の感情の波に乗るということが感覚的に理解できるようになってきた気がする。

面接では両者の間に「極度の温度差」があるのはあまり好ましくない気がしている。だから、面接の冒頭は、特に口を開かないようにしている。いろいろ話して頂いて、面接の材料をぶちまけてもらうことも目的のひとつだけれども、それと同時に、その日のその人の体温っていうか温度を見せて頂かないと、自分のテンションの設定ができないっていう理由がある。その人の体温にまどろむ感じで面接に入っていけると適度な温度差で面接がはじめられるような気がする。


これは!っていう熱と感情を込めた決め球を、きちんとキャッチする。そのためのセンサーみたいなものの感度は上がってきた気がする。見逃し三振をしてはいけないボールが投げられる瞬間に反応できるような職業的カラダができれば、援助関係の土台である信頼関係を早い時期で築くことができるのではと思う。


延々と話を聞いたって、「これはわかってほしい」みたいなボールをスルーされたら「あぁ。この人は自分のことをわかってくれてないな」って思うことは当然のことだろうし。傾聴も、共感もそれ単独では何の役にも立たない。ただの近所のおばさんのスキルに違いなくて。


適度な温度差を設定して、決め球をキャッチしながら信頼関係を築き、ぶちまけられた材料の中から、一緒に何を選ぶかを選択し、面接の目的を設定する。


まずは、ここまでを、きっちり出来るようにしたい。そして、その後はアセスメント。アセスメントについては先日記した通り。


道のりは長い。


また、感覚的な言葉で書いてしまった。自分の仕事を、全然違う分野の人にもきちんとわかってもらうように表現できるようになりたい。それができること=患者さん家族に合わせた言葉で物事を伝え、キャッチボールができることと同じだと思うから。


うーん。まだまだだ。いつも日記を読んでいただいてる他分野の方に、自身の仕事がどんなふうに伝わってるのか。どんなイメージを与えてるのか。気になるところです。



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上記は2009年に書いたエントリです。
面接について、その後、以下のエントリを記しました。
よろしければご参照ください。


【ソーシャルワークの面接技術など】
面接について
面接【値踏みされる時間への気づき】
ソーシャルワーカーが面接技術を学ぶ上で読んでおきたいお薦め書籍 5選
援助者自身を安心させる質問とは?
値踏みされる時間が教えてくれたこと
【面接】ケースワークの臨床技法「援助関係」と「逆転移」の活用
相手にとってわかりやすい言葉で伝えることの意味について考える。
伝える側と聞く側の間に生じる前提条件について
家族をシステムとして捉える
アセスメント力を鍛えるためのトレーニング
アセスメントにおける「時間」の意味
変化への気づきをシェアすることについて考える
ソーシャルワーカーと患者さん家族との間に生じる非対称的な関係について考える
患者さん家族から向けられるメッセージの発生源を探るために
患者さん家族と「共体験」を得るということ(2012.12.19)
雑感)ソーシャルワーカーにとっての「臨戦態勢モード」について考える(2012.12.26)
雑感)ソーシャルワーカーとしてクライエントの決断の場に立ち会うということ(2012.12.29)
ソーシャルワークにおける面接技術に加え必要な能力についての個人的見解(2013.3.14)
伝え方・教え方にバリエーションを生むためにできること。(2013.3.22)
相手を信じるというコミュニケーションスタイルが他者に与える安堵感についての一考察(2013.3.29)
患者・家族をひとつのシステムとして捉える(家族システム理論)(2013.5.12)
専門職としての適切な評価を為すために必要な、情報の精度をあげるということについて考える(2013.7.23)NEW
「ポスト面接技術論」- 面接技術論の次にくるもの-(2013.8.11)NEW
「ポスト面接技術論 vol2 」- 感性有意と論理有意の拮抗-(2013.8.11)NEW


【おすすめ書籍】
個人的に面接技法などを考える上でおススメする書籍を紹介しておきます。
身体知と言語:奥川幸子氏


面接法:熊倉伸宏氏

面接法2:熊倉伸宏氏


医療福祉総合ガイドブック 2012年度版
診療科別患者さんにそのまま見せる医療福祉相談の本
社会保障便利辞典
生活保護手帳
診療報酬点数早見表




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