学び合うということ 〜病院実習にきた実習生の実習記録とその返信コメントから〜

公開日: 2014/02/11 MSW 教育 実習






1つ目の勤務先に勤務していた4年前、年に5、6人の実習生を受け入れていました。
私は、一番下っ端だったのですが、実際に私の面接に実習生に同席をしてもらったり、実習生への記録のコメント返しをしていました。その際の「問われる」経験は、私に多くの気づきと問題意識を生みました。


当時の実習生の記録への返事がデータで残っていましたので、せっかくなのでブログにも掲載します。何かの参考にしていただけると幸いです。(そのときの実習生お二人とも病院のソーシャルワーカーとして勤務してらっしゃいます。嬉しい!*許可は頂いております。)


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実習記録への返信(2010年)

太字・斜線が実習生のコメントです(一部のみ)




「目の前のクライエントに対して、どうしてなのだろう?と、

はてなマークをもつことが大切だと思った」


はてなマークを持つことはいいことですね。声のトーンだけしか情報量が無い場合と、表情も仕草もわかるのとでは情報量が違うことを体感されたかと思います。
大学の授業でも習ったとは思いますが、ノンバーバルなコミュニケーションが教えてくれることはたくさんあるように思います。


例えば、顔色、表情からもその人のメッセージを読み取ろうと意識をすることで、言葉尻と表情が違うぞ、と気づき、それがなぜなのだろう、と考えることができます。
その人が発する言葉と、それに込められた意味を考える上で、その人の仕草や表情、顔色などは、多くのヒントを与えてくれるものであることがわかります。そして、それは患者さんがソーシャルワーカーを見る際にも同じように思うのだと思います。患者さんのノンバーバルな部分を注視すると同様に、ソーシャルワーカーである自分がどのようなノンバーバルメッセージを意識・無意識に発する傾向にあるのか、ということを自己点検することも、「自己覚知」のひとつといえるのだと思います。

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「目の前のクライエントの小さな変化に気づくことの大切さを感じた」



変化に気づく、ということはとても大切なことだと思います。病状、体調、気持ち、感情、考えなど。その人の変化に気づくことができなければ、その人に沿った援助を一緒に考えていくことは難しいのだと思います。


気遣い、声をかけたり、言葉を選んで話をしたりすることも、その前提条件として、その人の変化に着目し、それに沿おうと考えるからなのだと思います。それが、○○さんの言う「常に相手の気持ちを優先し、考えているとわかる場面」に繋がっているのだと思います。

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「地域にあまり関わりのない男性が介護者で、親を介護すると、地域での繋がりがなく大変だと思った」




地域の問題はなかなか一朝一夕でいくことではないなあと常々思います。
経済状況の悪化等により、男性の未婚率が高くなり、息子が親を介護するという男性介護者が増加しています。男性介護者は女性介護者に比べ、地域でのネットワークやつながりを作りづらいため、孤立してしまいがちだということが現在、問題になっています。そういった男性介護者が高齢になり、地域で孤立したまま独居となるというケースは今後どんどん増加していくことが予想されています。


孤立してしまっている人をサポートする術を考えることももちろんとても大切ですが、どうすれば、孤立せずに地域で生活をしていくことができるのか、という予防的な、どのような地域社会を構築すべきか、という価値観を熟成していくこともソーシャルワーカーの意識の中に求められているような気が日々しています。

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面接場面で、ソーシャルワーカーが、「私だったら〜」と自分を引き合いに出して言葉にしたほうが、相手に受け入れやすいと思った。





「私だったら」と例をあげるほうが受け入れやすいと感じ~というのは、なぜそう感じたのでしょうか?そのことについて考えるとおもしろいかもしれません。
その人によって「~と感じた」という理由は様々なものが考えられます。例えば、ソーシャルワーカーと患者さん家族との関係は、相談をする側、される側の関係である以上、ソーシャルワーカーがいくら努力をしても、患者さん家族にとってフラットで対等であるとは思えないでしょう。


そういった関係において「私だったら~」という言葉を用いることによって、「ソーシャルワーカーとしての○○」ではなくて、「個人としての○○」の言葉ですよ、ということをご家族に自然な形で伝えることになったのだと思うのです。
どのようなことにも突き詰めて考えれば「理由」があります。そのことを心に留めて過ごしてみると、疲れますが、色々な発見があるのではないかと思います。


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「面接のロールプレイをしてみて、自分が制度のことを伝えるのに精一杯で、相手の表情など気にすることが全然できなかった」


ロールプレイお疲れ様でした。いろいろなことを学ばれたようで、記録を読んでいて、自分自身の新人時代を思い出しました。「伝えよう。伝えよう」という思いが急いでしまうというのはとてもよくわかります。


「常にわかりやすい言葉選びを意識すること」はとても大事なことで、これは小手先の表現のように聞こえますが、「常にわかりやすい言葉選びを意識すること」を日々丁寧に積み重ねていくことは、「相手の視点に立って物事を考える」という意識と姿勢を見につけるための、一番地道で、かつ確実な道のりなのではないかと思っています。面接をする側になって感じた、学んだことを今後の学生生活、現場に出てからの実践で活かしていってください。応援しています。

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今回のケースは本当に大変な困難ケースだと思った。




表記の患者さんについては、結局、ご自身のご予定がある日に突如自宅退院をされるという結果となりました。長年、専門職として働き、ご自身一人で様々なことを決定し、生きてきたという生活歴をお持ちの方でした。「困難ケース」という定義も、時に医療者側からのラべリングで「困難」とされることがあるかと思います。


様々な社会的な問題を背景に持つ人たちを「困難」と表現することもあれば、今回のケースのように、患者さんと医療者側の関係性における問題を「困難」と表現することもあります。ラベリングをした瞬間から、その人への関わりは狭まることとなってしまいます。そういったことも留意し、患者さん家族に関わる必要があると日々感じています。


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ソーシャルワーカーには「決して投げ出さない姿勢や相手に対し理解を得るための根気強さ」が必要だと思った。


「決して投げ出さない姿勢や相手に対し理解を得るための根気強さ」は精神論ではないですが、本当に必要なことと思います。医療スタッフのチームの中でも「あきらめない根気強さ」を持つスタッフが一人でもいることでチームの士気はあがるように思います。ハートでは仕事はできませんが、ハートが無くても仕事はできません。ハートとスキルを共に持ち合わせてこそプロフェッショナルといえるのだと思います。


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ソーシャルワーカーは、ひとりでできることは少ないのだと感じた。だからこそチームで患者さん家族に関わることが必要なんだと腑に落ちました。


チーム医療という言葉が多く聞かれるようになりましたが、職種が違えば職業的な考え方も異なる部分も多く、患者さん家族を中心として、うまくチームが機能していくためには、潤滑油のような存在が必要なのかもしれないですね。その意味で、院内、院外を問わず。チームを組むスタッフの間の潤滑油としてコミュニケーションを円滑に行えるよう働きかけていくのは、MSWの重要な役割のひとつといえるのだと思います。

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病院で会うから「患者さん」になるわけで、その人が「生活者」としてどう生活しているかを想像できるようになりたいと思った。



○○さんの言うとおり、医療というものは健康に生活をしていれば関わることのないものです。病院にいると、患者さんはみな何かしらの疾患を抱えているわけで、「患者さん」=「生活者」である、という意識をきちんと持っていないと、気づくことができないことというのはたくさんあります。いつも留意し、心に留めておくべき意識だと思います。


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ソーシャルワーカーには知識も技術も大切だけど、きちんと真摯にクライエントの方と向き合うという姿勢が何より大切だと思った。



おっしゃる通り、真摯な気持ちで向き合うことは、全ての基本だと思っています。
患者さん家族、スタッフにもそうですが、自分自身が誠実に、真摯な気持ちで相手に向き合ってこそ、相手の真摯な気持ちを引き出せるのだと思うのです。


真摯に向き合おうという意識を持っていれば、相手もそれを感じ取ってくれるはずです。目の前にいる人が、自分に対してどれくらいのエネルギーを割いているか、ということを人って肌でわかるものなのだと思います。真摯な気持ちを忘れずに頑張っていきましょう。


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ソーシャルワーカーには、問題を見つめる力が必要だと感じた。
でも、問題だけではなく、その人各々の「個人の幸せ」がどういったものかも知らなければ相手の理解することも難しいのだと思った。


問題を見つめる力はとても大切な力だと思います。問題を「見つける」ことと「見つめる」ことはまた意味が違ってきます。『どのような視点で、何を目的として、問題を「見つめて」いくのか。』それはソーシャルアクションを考える際にも大切になってくる問いです。


「自立」という言葉が含む意味について、経済的自立、精神的自立、社会的自立の3つが広く言われているものですが、さて、対象となる人と一緒に「自立」を考える際、支援をする側が考える「自立」と、その人が考える「自立」、「幸せ」にはズレがあることもあります。そんなときは○○さんの言う「個人個人の幸せ」をその人から教えてもらうとよいかもしれません。きっと、いろいろな生き方に対する価値観が学べるはずです。


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必要な情報が必要な人にきちんと届くように、病院のソーシャルワーカーとして、広報をすることも大切なのだと感じた。そして、医療ソーシャルワーカーの存在、地域の社会資源の存在ももっとしっかり必要な方に伝わるようにするべきだと思った。


「必要としている人が、その存在に辿り着けない」というのはとても悲しいですよね。
「あのとき、あのことを知っていれば…」という言葉はできれば聞きたくないものです。
ソーシャルワーカー個人が、情報をきちんと有していて、関わるクライアントに適切な情報を伝えることができるということがまずとても大事ですが、地域で生活をしている人たちが困ったとき、どこにアクセスすれば、どのような情報が得られるのか、ということが明示されている社会というのは、とても親切で生活がしやすい社会なのだと思います。


公的な機関として、役所や地域包括支援センターなどが、情報へのアクセス先として挙げられますが、昔は、例えば、ご近所同士で、相手方の家の事情などを知っている間柄では、困ったときに、有している情報をやり取り、共有したりしていた時代がありました。


個人が行政などにアクセスする間に地域社会の私的な繋がりが上手く機能していたんですね。ですが、現在はそういった地域社会における私的な繋がりが薄れつつある中で、どのような社会であれば、「必要としている人が、その存在に辿り着けない」といったことが少なくなるのかということを、構造的に考えていくこともソーシャルワーカーには必要な視点かもしれません。

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「自己決定」を支えることがいかに難しく奥深いことかと考えました。

患者さんと家族の希望が食い違うこともあり、そんなとき自分だったらとても困ってしまうと思いました。


「自己決定を支える」ということはソーシャルワーカーをしている以上、一生向き合い、考え、点検していかなければならない言葉だと思っています。
ご家族の迷いや思い沿いながら、決断までのプロセスを支える、ということはソーシャルワーカーにとってとても大事な、かつ醍醐味のあるものだと思っています。悩み走り続けなければならないときであるからこそ、伴走してくれる人は一人でも多いほうがいい。そう思っています。

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病院の総合案内に一日立って対応をしてもらってみて…

「診察券の入れ方のことや、こういう症状なので何科にかかったほうがいいかとか、高齢の方で、ご自身の不調をしきりに訴えてくる方など、色々な方がいて、本当にどうしたらいいかわからず大変でしたが、病院にどんな方たちがくるのかがわかってよかったです。



総合案内に1日立ってみて、多くのことを学ばれたようですね。
お一人お一人、体の不調なところは異なるし、何に困って、何が大変か、ということはみんな違うのだ、という当たり前のことを実際、肌で感じてもらえてよかったです。その学びは、相手の側に立って考える、想像する、ということに繋がるのだと思います。頑張ってください。

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思い返してみると本当に優秀な学生さんたちだったなあと思います。
現在も、現場で活躍されているようで嬉しい限りです。


そして、コメント読み返すと「私自身も成長したんだなあ」と感慨深い(笑


今春〜夏、実習に行かれるみなさんの学びがよいものになりますように!


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