3年目

公開日: 2009/04/16 MSW

3年目になりました。
放置ぎみなブログでしたが、ぽつぽつ見にきてくださっている方がいらっしゃるようで嬉しいです。今年はきちんと更新するぞ!!


さて。


近隣のソーシャルワーカーと飲んでいて、色々と思うことがあった。ときに、ソーシャルワーカーたちの中には患者さんを動かしているような錯覚。自分たちに大きな力があるかのような錯覚に陥ることがあるかもしれないのでは、ということ。現に近隣の療養型病院のソーシャルワーカーから、そのような感を受けることが多々ある。自身にそういった自覚がないとしても、仕事の仕方の先端にそういったものが見て取れることがよくある若くして、社会人になってはじめての職場で、急性期の病院からは「受けてください」とお願いされ、院内からは退院させれば評価される。外から見れば「患者さんを動かしている」ように見える。


それが勘違いを起こさせる。不幸な勘違いを。


転院先が見つかるのは、ワーカーのちょっとの努力と運と、あとは病院の看板みたいなものの結果であって、決してソーシャルワーカーの力量がどうのこうのという問題ではないと思う。若くして、大きな組織の力を自身の力かのように錯覚し、なんちゃってワーカーに陥っていく同業者。誰かが言ってあげなくてはいけない。「そうではない」と。でも、若い人だけの職場。一人職場。そんな大変な環境に置かれたとき、そう言ってもらえる環境はなかなか築きにくい。



常々思うのは「患者さんをこう理解できた」というソーシャルワーカーの想いの9割は自己満足だ、ということ。面接の中で、キャッボールをし、信頼関係を築いていくことは、援助を継続していく上で重要なことだけれども、それは援助の土台であって、それが目的ではない。


ソーシャルワーカーと患者さん家族の間に共有された想いや考え。「私の話を聞いてくれる」「私を理解しようとしてくれている」という思いを感じられることは、人は誰しも悪い気はしないし、そういった姿勢がソーシャルワーカーに求められることも確かだと思う。けれども、共有された思いや考えが、ソーシャルワーカーの感覚的な理解によるものが大きいとしたら、それはその場だけで完結された非常に抽象的なものになってしまう。


それではダメなわけで。
心理社会的な情報を得ていく中で、それをチームで患者さん家族に関わる上で「有益」な情報に変化させ、チームでのアプローチに活かしていけるようにならなければ、プチカウンセラーとかなんとか昔アメリカで皮肉られた頃となんも変わらないわけで。「家ではみれません」と家族が言ったとき、ソーシャルワーカーとして「家族は家でみれないと言っている」と文字面通りにチームに返すのだろうか?それじゃオウムだ。オウム返しだ。


「家でみられない」その根っこにあるのはなんなんだろう?
歩けるようになれば家で見れるのか。どこまで自立できれば家で見れるのか。そもそも身体機能の問題がそう言わせるのか。 それとも「見たくないのか」いろいろな理由をつけて「見たくない」と言いたいのか。だとしたらそう言わせる理由は何なのか。嫁と姑という関係で、仲がよくなかったのかもしれない。実の親子だとしても、紆余曲折があって、家族関係が良くないのかもしれない。


もし、「歩けないと介護ができないので家で見れません」という言葉をそのままの意味で汲み取ったとして、その根っこに「さんざん大変な思いをさせられたきた・・・。もう見たくない。見る気がない」という想いがあったとしたら、できるだけ自身のことができるようにリハビリのゴールを設定しようとか、家族に介助の仕方を覚えてもらおうとか、まずは外泊でもしてできそうかどうか見てきてもらおうとか。というようなアプローチは、家族の想うところとずれたものとなる。


もちろん、すべての想いを100点満点の理解なんてできるわけはない。でも、表出された言語が含む「意味」そこに込められているサインを、その人が想うものに近い「理解」でキャッチし、そして、それをチームでアプローチする上で有益な情報に昇華させる。それが出来て初めて、チームの一員になれるのではないかと思う。心理社会的な情報の「収集」ではなく、その情報を、その人が持つ「意味」に近づけ、チームで共有できる情報に「昇華」する。


それができなければ、なんちゃってソーシャルワーカー止まり。専門性もクソもないのだと思う。



事実には、その人なりの「意味」が常にセットになっている。事実に対する光の当て方はみな違うし、こちら側が意図的に違う光の当て方をすることで、その人が持つ意味が「あぶりだされる」こともある。それが時に「気づいてもらう」ということにもなる。


3年目の目標は上記について意図的に考え、仕事をすること。「考えて仕事をすること」に尽きる。 何がわからないのかわからなかった1年目。何がわからないのかがわかるようになってきた2年目。そして、3年目。


事実とそれに付随する意味をきちんと考えて仕事をする。そして、それをチームでアプローチする際に有益な情報に昇華させる。その力を鍛える。(方法は終結したケースを書き起こして、自身で振り返り、その後スーパーバイズを受けるしかないと今は思っている)


3年目が終わる頃
自身を再評価したい。
そして今後の身の振り方を考えたい。



大事な1年になる。



しっかり地を踏みしめて頑張っていこう。
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