認定社会福祉士制度という名の”内輪のパーティゲーム”はいつ終わるのか?

公開日: 2013/11/07 MSW SCA 教育 思索 社会資源 社会問題



先日、某職能団体の研修に行った方から、参加者の大半が寝てたということ、内容が非常につまらなかったということ、そして、7年前と同じコンテンツ(私も7年前に参加した)だったと聞いて、なんだかめまいがした。


ちなみに私はその研修に7年前に参加し、全回行かず、ドロップアウトした。


使い古されたコンテンツ。
ネットがインフラのようになった時代に、調べればわかる、ライブでやる必要のない内容。



私もいくつか研修に行ったが、緻密に、現任者のレベルに合わせた段階的な研修プログラム作成がなされていない印象を非常に受ける。
(内容自体は”おもしろい”とは思うが、ターゲットを明確化し、想定される到達度やニーズを勘案した上での内容設定なのか?という疑問があるものが多く、枠組みが緻密に考えられているという、仕掛け手側の”意図”を感じるものに出会ったのは数少ない)


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目次:
1.認定社会福祉士とはなにか?
2.教育的資源は、新人〜中堅以前にこそ投入されるべきだ
3.”現任者の実践知を教育的機能に変換させる、汎用性の高い枠組み”をつくる。



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1.認定社会福祉士とはなにか?


日本社会福祉士会が音頭をとり、認定社会福祉士というものが新設された。
しかし、私にはその意図するところが未だに理解できずにいる。


以下、日本社会福祉士会ホームページから抜粋。

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――認定社会福祉士とはどのようなものですか。 
橋本:
社会福祉士のキャリアアップを支え、その実践力を担保するものです。2008年から日本社会福祉士会の呼び掛けにより、関係団体が集まって検討を進めてきました。 
 所属組織で相談部門のリーダーとなる「認定社会福祉士」は、高齢、障碍、医療など五つの分野ごとにその専門性を認定します。認定社会福祉士のうち、複数の分野にまたがる地域課題に主導的に取り組む人については「認定上級社会福祉士」と認定します。 
 

――なぜ認定制度を設けるのでしょうか。 
橋本:
社会福祉士取得後に培った実践力をより確かなものに仕上げて、そのことを社会から承認してもらうためです。  現在、社会福祉士の取得には、大学などにおける実習・演習を含めた養成課程を経て国家試験に合格することが必要です。その上で、それぞれの職場で働きながら実践力をつけているのが現状です。  しかし、そのことが社会的に認知されているかと言えばそうとは言い切れません。試験に合格した人が一定の時間をかけて実践を積み、さらには研修を受けたことを証明する仕組みが必要です。 07年の社会福祉士及び介護福祉士法改正の際、より専門的な知識・技能を持つ社会福祉士を認定する仕組みを設けるよう国会の付帯決議も付きました。  


「認定社会福祉士」を取得するには次の要件を満たすことが必要です。


  1. 社会福祉士及び介護福祉士法に定める社会福祉士資格を有すること。
  2. 日本におけるソーシャルワーカーの職能団体で倫理綱領と懲戒の権能を持っている団体の正会員であること。
  3. 相談援助実務経験が社会福祉士を取得してから5年以上あり、且つこの間、原則として社会福祉士制度における指定施設および職種に準ずる業務等に従事していること。このうち、社会福祉士を取得してからの実務経験が複数の分野にまたがる場合、認定を受ける分野での経験は2年以上あること。
  4. 上記、実務経験の期間において、別に示す「必要な経験」があること。
  5. 認められた機関での研修(スーパービジョン実績を含む)を受講していること。

(抜粋ここまで.太線はHYにて。) 

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認定社会福祉士は、
「社会福祉士のキャリアアップを支え、その実践力を担保するもの」
という位置づけだそうだ。


・日本におけるソーシャルワーカーの職能団体で倫理綱領と懲戒の権能を持っている団体の正会員であること 
・相談援助実務経験が社会福祉士を取得してから5年以上


対象者は
「職能団体の正会員(ちなみに日本社会福祉会の組織率は約22%)であり、
かつ相談援助実務経験が5年以上」

つまりは、

「職能団体の年会費を収めている、5年(中堅と言えるだろう)以上の人」

が対象というわけだ。



なぜ、この業界に入り立ての新人〜中堅以前の現任者への教育・研修に、
人と金と資源を投入しないのかが不思議でならない。


そもそも、中堅以降で、
”自分で必要な学びを自分で見つけ、アクセスし、得ていく”
ということができない人などいないだろう。(と、信じたい)


いい年をした社会人・職業人が、
「私にはどんな学びが必要かがわかりません。ですから、学びの地図をください」
と言うとでも思うのか?


冗談じゃない。それは、新人〜中堅以前の話だろう?


5年も経って、学び方もわからないような中堅の伸びしろはたかが知れている。
(厳しい言い方をすれば、もう、時、既に遅し、かもしれない。
本来は、学び方を身に付け終え、他者への伝え方・教え方にシフトしてもいい時期だ。)

職業人としての基礎的体力をつける時期である新人〜中堅以前の時期をどう過ごし、
どう学ぶか、という方が大事だということが、なぜわからない?


私の結論は、上級、認定社会福祉士は、

「社会福祉士のキャリアアップを支え、その実践力を担保”しない”」

対象が、5年目以上では”遅過ぎる”のだ。

断言する。業界として、資源を投入すべき先は、
新人〜中堅の入り口に差し掛かる前の現任者への教育・研修だ。




2.教育的資源は、新人〜中堅以前にこそ投入されるべきだ


現場に入り立て、入り口にいる1年目〜中堅以前の現任者への教育・研修にこそ、
日本のソーシャルワーク業界は資源を投入すべきだ。


中堅である私からみれば、
認定社会福祉士制度は、内輪のパーティゲーム以外のなにものでもない。


日本社会における”ソーシャルワーカー”の立ち位置を俯瞰的に、そして批判的に捉えているなら、決して、こんな突飛な内輪のパーティゲームは開催されないだろう。


私は決して、内輪のパーティゲームには参加しない。


そもそも、上級、認定社会福祉士の研修指定機関で多いのはどこだ?

上級資格をつくることで、一番のメリットを享受しているのは誰だ?

ここでそれを明言することはしないが、頭のいい方であればおわかりだろう。



そもそも私は、”先生”と呼ばれるソーシャルワーク教育者全てに「高度な教育的機能」が備わっているとは考えていない。実践能力や研究能力と、教育能力は別ものだからだ。
参照エントリ:”問いを立てる力は、抽象化能力を得ることで鍛えられる”


みながみな高度な教育的機能を備えていれば、
そもそも、こんな突飛な内輪のパーティゲームが開催されることはなかっただろう。


政治的にソーシャルワーカーを優位な位置に、ということも理解ができないわけではない。
だがしかし、日本社会にとって、そして日本のソーシャルワーカーの未来を考えたとき、


「志をもち、この世界に足を踏み入れた若いソーシャルワーカーたちが、
自身の仕事に誇りを持ち、成長し、永くこの仕事を続けていける環境をつくる」


そこにこそ、人、モノ、カネ。
あらゆるリソースを投入すべきではないか?


日本のソーシャルワーク業界が、新人〜中堅以前の現任者への教育・研修に最大限のリソースを投入し、そうして5年目を迎える現任者が増えれば、

「私にはどんな学びが必要かがわかりません。ですから、学びの地図をください」

などというニーズに応える必要もなくなる。



それこそ、「社会福祉士のキャリアアップを支え、その実践力を担保するもの」という本来認定社会福祉士制度が目指すべきものに近づいた姿だろう。


何度でも言う。
5年目以降では遅いのだ。


日本のソーシャルワーク業界が、最大限のリソースを投入すべきは、
新人〜中堅以前の現任者への教育・研修、だ。


だから、私は、現任者の教育的機能を高めるための方法を考えたい。

教育的機能を有した現任者が増えることで、まずは現場での教育的機能(OJT力)を高めていくという”対処療法”だ。
「11/16(土)教える・伝える技術を磨きたい若手ソーシャルワーカーのための実践知プレゼンテーション大会@新宿」は、その一案でもある。



3.”現任者の実践知を教育的機能に変換させる、汎用性の高い枠組み”をつくる。


事実、現場5,6年目で、部署のトップとして、部下を教育し、部署をマネジメントし、自身も1プレーヤーとして、現場で稼働せざるを得ないソーシャルワーカーたちはごまんといる。

それで、部下の教育ができるか?
多大なプレッシャーの中で、クライエントに質の高いソーシャルワークが提供できるのか?


「そういった環境で戦い続けて得た経験が活きる」という意見もあるだろう。
だがしかし、私はそれには決しては同意しない。



それは、この業界への真摯な還元を怠ってきた人間が吐く言い訳、だ。



私は現在、Social Change Agency 以外で、研修立案に携わっている。
3年目未満の現任者に対し”現任者の援助技術過程を可視化し伝え共有する”という内容で、3回(180分×3)シリーズで、ベテラン現任者を講師に迎え、プロデュースさせてもらっている。


”現任者の実践知を教育的機能に変換させる汎用性の高い枠組み”を創ることができれば、現任者たちの実践知を、その枠組みに合わせて伝えてもらうことで、教育的機能の底上げが図れると考えている。


個々が、オリジナルにバラバラの枠組みの中で、教育的機能を高めていくというのでは、非合理的だ。
であれば、”現任者の実践知を教育的機能に変換させる汎用性の高い枠組み”を創り出すことには価値があるだろう。



研修を仕掛ける側が、意図して「機能的な枠組み」を用意せず、
講師にテーマだけで丸投げすることが問題だと私は常々思ってきた。


何度も言うが、実践で稼働できる力と、教育的機能は、必ずしも正比例しない。



だからこそ、そのことを勘案した上で、実践で稼働できる現任者の能力を最大限に、「教育的」機能に落とし込むための、機能的な枠組みを用意する必要がある。




緻密にレベルデザインされた、
各レベルに合わせた汎用性の高い、機能的な枠組みを創ることを私は考えている。


新人への手厚い研修制度。
そして、その後は、緻密にデザインされた、段階的な研修プログラムが必要だ。


そして、研修の場に出て来れない”疲れ切った新人”、”気持ちが外に向かない新人”たちに、どうアウトリーチするか、ということも、私は考えたい。


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内輪のパーティゲームは、はじまったばかりだ。

しばらくは、終わらないだろう。


内輪のパーティゲームにも意義はあるし、意味もある。
だがあくまでも”内輪”でしか、意味を持ち得ない。


だから、賛同できるか否かは、また別問題だ。


わたしは、内輪のパーティに参加することをやめた。

内輪のパーティに不参加の冷めた批判的な眼をもつ人間たちで、
日本のソーシャルワークの未来にとって、意義ある大きな企てをしよう。




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