【創作】とある老婆の日記-3【孤独論】

公開日: 2012/01/12 孤独論 創作

とある老婆の日記-1
【とある老婆の日記-2】

今日は、孫と食事をした。 今夜は、日が落ちても気温が25度を超える熱帯夜になるらしい。 天気予報でそう言っていた。 きちんとクーラーをつけて寝るよう孫に言われたので、いつもは昼間しかつけないのだが、今日はほぼ一日つけっぱなしにしている。 

孫は、私を気遣ってか、家まで迎えに来てくれた。 
スーツを身に纏い、かかとの高い靴を履いた孫は、 
まさに現代の働く女性の象徴のようだった。 


「何が食べたい?」と聞かれ、私が「トンカツ」と答えると 
孫は「おばあちゃん、相変わらず食欲は衰えていないみたいね!」と笑ってみせた。 



家の近くに、近所で美味しいと評判のトンカツ屋があった。 
いつも通りかかるたびに、食べたいと思いつつも、 
1人で入るのは気が引けて入れずじまい。 
だから、今日は思いきって、言ってみたのだ。 


店に入ると、店の店主が夫婦で迎えてくれた。 
ヒレカツ定食を頼む。孫は、ロースカツ定食。 
私に似てか、孫も大食漢だ。 

キャベツの大盛りの隣に、申し訳なさそうにカツが数切れ。 
値段の割りに量が少ない、などと心の中で不平を唱えつつ、カツを口に運ぶ。 

やわらかくて美味しい。孫も気に入ってくれたらしい。 
やっぱり来てよかった。 

美味しい食事に話も弾む。 
話は孫の仕事の話から、お給料の話へ。 


「初任給をもらったときね、今まで、お父さんお母さんがどれだけ頑張って働いて、 
私を育ててくれたのか、そのすごさと、ありがたさに、改めて感謝しなきゃなぁ、って思ったんだ」 


照れくさそうにそう話す孫。 


あの小さかった孫が、社会人となり、男性と肩を並べ、仕事をしている。 

その顔には、あの頃の幼さの面影を残しつつも、「働く」ということに自信を持ち 
自立していこうとする凛々しさが感じられ、私は孫の成長を心から嬉しく思った。 


「今まで散々お年玉を貰ってきたんだもの、 
今度は私がおばあちゃんにお返しをしていく番だよ。」 


そう言い、私の手から伝票を奪い取り、会計を済ます孫。 

本当に立派になった。 
社会を生きる1人の女性として、働く生きがいと幸せをしっかりと掴んで欲しい。 
心からそう思う。私にはできなかったことだから。 

「お待たせ!」 

嫁に似た、綺麗な長い黒髪。すらっとした長身の孫。 
背丈はいつの間にか私を越えた。 


なぜだろう。時が経つのは早い。 
彼女の背が伸び、私の腰は曲がったからか。 
そんなことを思い、おかしくて少し笑ってしまった。 

「なーに笑ってるの」 
不思議そうな顔をして私の顔を覗き込む孫。 

「なんでもないのよ。今日はご馳走さま。 
とっても美味しかったわ。」 

大きな瞳が、笑顔とともに、より一層大きくなる。 

「喜んでもらえてよかった!私も楽しかったよ。 
またご飯食べに行こうね。それじゃあ、またね、おばあちゃん。」 

駅まで孫を見送り、バスで帰路に着く。 


世の中に、孫にご飯をご馳走になる人間がどれほどいるだろうか。 
私は、幸せ者だ。本当に、幸せな人間だ。 

ふと、空を見上げてみた。 
心なしか、くすんだ東京の夜空がいつもより、 
透き通って見えた気がした。 

「あなたも、生きていたならば、 
今日の幸せを一緒に感じることができたでしょうに。」 

夫に今日の報告をする。 

孫を溺愛していた夫のことだから、泣いて喜んだかもしれない。 
天国から、夫の涙が振ってくるかもしれないな 
なんて非現実的な想像をしてみる。 
あしたは雨かもしれない。 


息子の家は、共働きで、嫁も働き、孫を育て上げた。 
そして孫も、今年、社会人となった。 


女性が働き、金銭を得る。 
女性が大学を出て、社会に出る。 
胸を張って、誇りを持って仕事をする。 

時代は変わった。 
当たり前の事だが、そう強く感じる。 

戦前の女子教育は「家庭婦人」としての技芸教養の習得の場とされ、 
それゆえ高等専門教育は必要とされず、女性の「社会進出」と言う側面が、 
現代に比べて、制限されていた。 

働くということ。 
労働の対価として金銭をもらい、働く。 
女学校時代のことを思い出す。 

油の匂いの息苦しさ 
国防色の戦闘帽 
青酸カリ 

忘れるなと言っても忘れることの出来ない記憶。 



私が死んだら、きっと誰かがこの日記を見つけるだろう。 

12年前、日記を書き始めた。 
夫が亡くなってから、相槌を打って話を聞いてくれる相手がいなくなった。 
だから、自分の思いを、夫の変わりに、ノートに記した。 

記しておこう、と思った。私の記憶を。 
誰かに伝えたい、と思った。私の人生を。 


夫には、あの世で再会したら、たくさん話せばいい。 
だから、今は、今を生きる人のために、私の言葉を伝えられたらいい。 


色々なことを考えさせられた。 


今日は本当に幸せな一日だった。 
孫の結婚式に出られるよう、長生きしたい。 
年を重ねる目標が、またひとつ増えた。 




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