【創作】とある老婆の日記-2【孤独論】

公開日: 2011/11/14 孤独論 創作

とある老婆の日記-1

今日は月に一度の読書会だった。 
参加者は11名。みな、清新女学院時代の同窓生だ。 


今日は2名欠席。 
1人は、入れ歯の調子が悪いらしく休み。 
もう1人は、先週、大腿骨を骨折したらしく、入院したとのこと。 


私も、以前、胸椎管狭窄症だと、整形外科にかかったときに言われたことがある。 
医者に手術を進められたが、医者の夫をもつ友人に、下手に手術なんてしたら、足腰が弱って歩けなくなるわよ、と言われたので、手術は断固拒否している。 



この歳になれば、体中ぼろだらけだ。 
ごまかしごまかし、生活できればそれでいい。 
でも、転ぶのだけは気をつけなければ。寝たきりになるのは怖い。 


今日は、9月に入ったというのに30度を越える真夏日で、自由が丘の駅を降りて、読書会の前に食事をしましょうと、メンバーの1人が予約したイタリアンの店に行くのに、タクシーを使ってしまった。今回は私がお茶当番だったのだが、さすがに11人分のお茶菓子を持って歩く気にはならなかった。でも、お菓子は好評で嬉しかった。 


イタリアンの店に着く。名前を聞いたのだが、横文字だったので忘れてしまった。 
今時の若者に混ざり、70を越えた老人の集団。見慣れた顔のはずだが、改めてみなの顔をまじまじと見てみると、みな、歳をとった、と感じる。 


私が40歳のときに始まった読書会。 
もう今年で37年目になる。人生の半分か、と考えると、歳も取るはずだと、妙に納得する。 
昔は、夫の転勤や、自身の仕事の都合で、参加者が入れ替わることもあったが、ここ10数年は、それもすっかり落ち着き、決まった顔が集まる定例の会になっていた。 


食事を終え、大学の同窓会館に向かう。 
読書会、と言っても、ボケ防止や生涯学習、という類のものではない。 


4000首以上ある万葉集の歌をテーマに、読み手たちがどんな想いを込めたのか。彼らはどんな時代を生きたのか、時代背景までを含め、歌を読み解いていく、という大学の講義のような、そんな読書会だ。私がボケないですんでいるのも、この読書会のおかげかもしれない。 


でも、なんといってもこの読書会は、先生無くしては成り立たない。 
先生(と言っても同じ歳の同窓生なのだが)は、清新の史学科を出た後、東大に入り直したという経歴を持つ、生粋の文化人だ。 数年前まで、大学で教鞭を振るっていた彼女にとって、「教える」といことは生き甲斐なのかもしれない。 なので、脳細胞の活動の衰えた生徒たちにも容赦がない。 


毎回、読書会の最後には宿題が出される。 
「この詩がいつ、誰によって詠まれたのか覚えてくるように」 


今日は、万葉集の最初の歌、雄略天皇が詠んだ歌について。 


「籠(こ)もよ み籠持(こも)ち、掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち 
この岡に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね 
そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(を)れ 
しきなべて われこそ座(いま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも」 


歌を現代語で訳すと、 
「野摘みの篭や掘りヘラなどを持っている娘さん、 
この丘で野摘みをしている娘さん、家はどこですか。名はなんと言うの。 
空いっぱいに満ちているこの大和の国は全て私が治めているのだ。我こそはこの国に居を構えている王なのだ。さあ私は自分を名も家も名乗ったよ。(娘さん、今度はあなたが名乗る番だよ)」ということだという。 


この歌を読み、先生の解説を聞いていたら、夫のことを思い出した。 
私と夫との出会いを、万葉集の歌の中に投影するだなんて、私はなんてロマンチストなんだろうと思ったのだが、だとしたら、夫は天皇役だということになる。 


わたしは、ロマンチックな想像の中に出てくる雄略天皇役の夫の姿を思い浮かべ、先生の解説中にも関わらず、おもしろくて、おかしくて、1人笑ってしまった。帰り道、夫が好きだった神田亀澤堂の豆大福を買って帰った。日が落ちると、虫の鳴き声が秋の訪れを教えてくれた。 


仏壇に豆大福を供え、「あの世に、あなたの大好きな大福はありますか?」 と夫に聞いてみた。 


写真の夫の口元が少し緩んだ気がした。 
夫は甘味好きだった。和菓子には特にうるさかった夫。 


口うるさいあなたに鍛えられたおかげか、今日持っていったお茶菓子、みなさんにとても好評でしたよ。と夫に報告してみる。 


明日は雨らしい。暑さが一段落してくれるといいのだが。 


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「マユミ、お蕎麦来たわよ。後は、食べてからにしましょ」 


母の声に、はっと現実に戻され、 
私は慌てて、ノートを閉じた。 


11月。暖房の無い畳の部屋は冷える。 
窓から外を見ると、父は庭でタバコをふかしていた。 
タバコの煙なのか、吐く息なのか。父の口から出る白が、今日の寒さを物語る。 


おばあちゃんが亡くなった。急性心不全だった。 


77歳。 
先月会ったときは元気だったのに、本当に急だった。 


昨日、お葬式を終えた。 
お葬式には多くの友達が来ていて、一人ひとりから、おばあちゃんの人柄を語る言葉を聞くたびに、おばあちゃんが、たくさんの人に愛されていたことを知り、私は悲しかったけれど、嬉しかった。 


今日はおばあちゃんの住んでいた家の整理をするために、 
仕事帰り、父と母と共に、東京の家に来ていた。 


遺品を整理していて、古びたノートを何冊も見つけた。 
おばあちゃんの日記だった。 


化粧台の上に置かれた一冊は、真新しく、 
真っ白なページが開かれていた。 


「11月4日」 


良く見ると、日付だけが書かれたままのページ。 
おばあちゃんが亡くなった日だった。 


「ごちそうさま」 
お蕎麦をかきこみ、畳の部屋に戻る。 


「ごめんね。おばあちゃん。」 
心の中で、謝る。 

色あせた古びたノートには、 
おばあちゃんの苦悩が、 
おばあちゃんの青春が、 
私の知らない、おばあちゃんという人間の記録が記されていた。 


わたしは、日記を読み進める手を止めることができなかった。 


私の知らなかったおばあちゃんの人生。おばあちゃんという人間。おばあちゃんの苦悩。 


私は、おばあちゃんの日記から、 
彼女の人生を追体験することになる。 


おばあちゃんである前に、1人の女。1人の人間。 
私は、ただただ知りたかったのだ。 
おばあちゃんという人間の軌跡が。 


古びたノートを手に取り、ページをめくる。 
ノートは色あせていたが、そこには、見覚えのある文字が並んでいた。 


【創作】とある老婆の日記-3【孤独論】


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