【創作】とある老婆の日記-1【孤独論】

公開日: 2011/10/11 孤独論 創作

「喜寿のお祝いだよ。一緒にご飯でも食べに行こう」 
電子音が鳴り響き、その音に驚きながら電話を取ると 孫からの誘いの電話だった。 

私は携帯電話を持っていない。機械は難しくてよくわからない。ビデオの機械のディスクを入れるところがある日突然出てきて、何もしないのにおかしいなと思ったら、どうやら壊れたようでもう2週間もそのままにしてある。 


喜寿のお祝い。77歳になった。 
私はおばあさんになった。 
私も、おばあさんになった。 


世間は高齢社会と騒ぐ。私も高齢者の1人。年金と貯金で暮らす老いぼれ。 


今年、社会人になった孫から、喜寿の祝いを、と食事に誘われた。 
孫は嫁に似た、すらりと長身の鼻の高い美人。銀行員として、都内の銀行で働いている。 
息子に似なくてよかった、といつも思う。 団子鼻が似てしまっては、女の子には可哀想だろう。 


息子の団子鼻は夫に似たのだろうか。それとも私だろうか。 


孫との食事に何を着ていこうかしら。 
そんなことを思いながら鏡の前で自分の姿を見る。しわしわの顔のばあさんが立っている。 
笑顔皺と言われればかわいいものだけれど、何の皺だかもわからないシワがたくさん。 
しわしわの妖怪ばばあとだけは言われないようにしたい。 


髪は真っ白になって久しい。 毛染めは手入れが面倒なのでやめた。 
長男の嫁に、そのままの方が綺麗だと言われたが、お世辞だろうと聞き流していた。 
でも、最近、古くからの友人数人にも白い方が似合うと言われ、その気になっている私。 
しわしわになろうが、髪が白くなろうが、いつになっても、女は女なのだ。 


薄紫のカーディガンを羽織る。 
昨年の誕生日に、嫁がくれたプレゼントだ。 


ボタンを留める。そういえば、最近、右の人差し指を脱臼してしまった。 
数年前に乳癌を患い、それ以来、近くの大学病院でお世話になっている。 
整形外科の医師は、私の人差し指を見て、ギブスをつけるとか言う。 


冗談じゃない。ギブスなんてつけたら不自由で仕方ない。 
洗い物も洗濯も食事の支度も全部一人でやらなきゃならないのに。 
だからそれ以来病院に行っていない。 
ときどき、指先がちくちくするけれど、放っておいている。 
こんなこと、息子に言ったら叱られるだろうから、黙っておこう。 


12年前、夫が死んで、私は一戸建ての庭付きの家にひとりになった。 
二人で眺めた庭。
子どもたちの成長を見守ってくれた庭。

夫が亡くなると、主をなくした庭は荒れ果て、草はいつの間にか私の背丈を超えた。 


私は1年に数回、荒れ果てた庭に出る。
庭に生えたビワの木。

夫が好きで、生前に植えたビワの種は、大きな木となり、甘い実を実らせるようになった。 


息子夫婦に、孫にビワを送るのが毎年の恒例行事だった。 

「おじいちゃんが大好きだったビワ。今年も甘い実をつけました。みんなで食べてください。」 と、びわと一緒に手紙を送る。 


おじいちゃんのこと、夫のことを思い出してね。 
そして、わたしのこと、おばあちゃんのこと、忘れないでね。 
という想いを、込めて。 


昨年の暮れ。息子と嫁が訪れ、いつもより少しにぎやかな1年の終わり。 
おせちをこしらえていた台所で長男の嫁が、つぶやくように、小さな声で私に言った。 


「みんな心配しています。 
埼玉に来て、一緒に暮らしませんか」 


少々驚いた。 


夫が亡くなってから幾度も息子から同居の誘いを受けていたが、横で、ただうんうんと頷いていた嫁が、今私の前で、真剣な面持ちで、私を見ている。 


私は老いたのか。 
嫁の顔を見ながら、私はわたし自身に、そう問いかけた。 


嫁の優しさが嬉しかった。 
でも、
自分の老いを認めるのが悲しかった。 

怖かった。 虚しかった。 


今まで生きてきて感じたことのない気持ちが 
私の中に生まれて 
私は、それに気づき戸惑った。 

 
「ありがとう。心配してくれて嬉しいわ。 
でも、私なら大丈夫よ。まだまだ1人でなんでもできるもの」 


今までと同じ言葉で、長男に返す言葉と同じ言葉で、嫁に返事をした。 
でも、渦巻く気持ちは今までとは違った。 


わたしは老いたのだ。 
老いとはなんだろうか。 
老人と呼ばれる年齢に達したが、私はその問いに答えられる言葉を持っていない。 


私も77歳になった。 
私は、77歳になった。 


老いを感じ、老いと向き合う。 
その前に、老いるとは、なんなのだろうか。 


夫は、答えを持っていたんだろうか。 
こんなことなら、生きているうちに聞いておけばよかった。 


仏壇の写真は、何も答えてくれない。 
わたしは、これから、あと何年生きられるだろうか。 
10年だろうか。20年だろうか。 
それとも来年には、夫の元に行くのだろうか。 


きっと、誰にもわからないだろう。 


老いるとはなにか。 


その答えも、きっと誰にもわからないのだろう。 
だから、わたしは、考えてみようと思う。 
きっと、ボケ防止にもなるだろう。 


明日は、月に一度の女学院時代の同窓生との読書会がある。 
私はお茶当番だから、美味しいお茶菓子を買って行かなければ。 


今日も一日、元気に過ごせたことに感謝しよう。 
明日も幸せな一日でありますように。 



vol2へ続く

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