他者から向けられるメッセージの発生源を探るために
この仕事をしていると患者さん家族からの感情丸出しの言葉・態度を向けられ、それにより、精神的にダメージを受けることがあります。同業者の方であれば、一度は経験したことがあるのではないかと思います。当然のことながら、ソーシャルワーカーは援助者である以前に、ひとりの人間です。
ですので、
患者さん家族から向けられるメッセージが「個」に向けられたものなのか。
それとも、今その人が置かれている状況下で発せざるをえなかったものなのか。
今抱いている何かを解消するために発せられたものか。
などということの識別が「なんとなく」でも、できないままでいると、そのしんどさに容易に燃え尽きてしまう気がしています。
例えば、患者さん家族から向けられる、理不尽なまでの「怒」のメッセージを「ひとりの人間としての自分という人格」に向けられたメッセージだと誤認すると、そのダメージは非常に大きなものになってしまいます。
では、そのダメージを回避するためにはどうすればいよいか。
以下、私個人の考えを記していきたいと思います。
1.メッセージには発生源がある
私自身、現場に出たばかりの頃は、患者さん家族からの全てのメッセージが、ソーシャルワーカーである自分の「個」に向けられたものだと誤認し、全身で受け止めてしまいがちでした。
「なんでわたしなのだろうか」
「どうしてこんなことに」
ソーシャルワーカーは、上記のように、理不尽な現実に対峙せざるを得ない状況下にいる患者さん家族と出会うことが多いと思います。
その際、患者さん家族からソーシャルワーカーに向けられるメッセージが、援助者ではなく、ひとりの人間としての「個」に向けられたものだと誤認したままだと、それをまともに「個」としての自分がモロに受け止めることになってしまいます。
それは非常に精神的にしんどいことです。
そのしんどさをモロに受け止めないためには、向けられるメッセージの構造を理解しようとすることが必要だと考えます。
つまりは、そのメッセージが、どのような要因により発生し、向けられたかという「メッセージの発生源」を探る作業が必要だということです。
メッセージの「発生源」を見極める眼を持たないと、向けられたメッセージをきちんとした理解の上で受け止めることが難しくなります。そうすると、「個」としての自分がそのメッセージを受け止めざるを得なくなり、精神的にダメージを受けてしまうわけです。
2.メッセージの発生源を探るために知っておくべきこと
メッセージの発生源を探るためには日々の意識的な鍛錬が必要です。
対人援助職が人間理解に関する様々な学問の知識を横断的に必要とすると言われるのは、
メッセージは個人因子と環境因子が相まって発せられるものなので、その両因子についての知識や見識がないと、メッセージの発生源の探索作業ができない。
ということを暗に表しているのでもあるのだと思っています。
有名なところでは、エリザベス・キューブラー・ロスの「死の受容のプロセス」などでしょうか。
ロスは、以下のように「死の受容プロセス」定義しています。
- 否認
- 怒り
- 取引
- 抑うつ
- 受容
「メッセージの発生源の探索作業」は他者に「興味」が持てなければ苦痛でしかないかもしれません。それが職業的役割を遂行するにあたり必要であったとしても、苦痛は排せないのだとしたら、それに対抗する方法論を持つべきなのだと私は考えています。
3.メッセージの発生源を探るためのスタイルを持つ、考える
私は「メッセージの発生源の探索作業」を日々為していくために、「興味」と「尊敬」をベースとしたソーシャルワークアプローチを採用することに決めています。
(参照:「尊敬ベース」と「興味ベース」を基底に置くソーシャルワーク)
「興味」とは「ある対象に対して特別の関心・注意を向ける心的傾向」です。
これを対人援助の過程に当てはめると「この人どんな人なんだろう」という関心を相手に向けるということです。私は、「問題」ではなく「この人はどんな人なのだろう」というところを「入り口」にしないと、容易に「メッセージの発生源」を見誤ってしまうのではないか、と考えています。
なので、私にとっては、メッセージの発生源を探るにあたり、その人に対する「興味」が必要なのです。
「尊敬ベース」における「敬意」は「他者に向けられる敬いの意思」です。誰かから敬意を向けられることは、すなわち、「承認する、される」という人間の承認欲求にダイレクト・インすることでもあるのだと思います。だから、内的動機付けに触れることの出来る可能性を生むのだとも思うのです。尊敬ベースは、上記、以前のエントリで記した通りです。
私は、上記を新人時代に身体に叩き込きました。
そうしないと、「専門家ヅラした問題探索機」になってしまうのではと思いそれがとても怖かったのです。
意識的に「専門職としての鎧」を纏い、興味と尊敬をベースに、患者さん家族と対峙する。
そうすることにより、メッセージの発生源を探り、ダメージは「専門職としての鎧」で軽減し、一緒に問題解決への道のりを歩んでいくことができる。
私はそう考えています。
息長く、自分の仕事に誇りを持って続けていくためには、自分を守り、整えるための方法を有していることも必要だと思っています。
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