【シリーズ現場発】何のために生きるのか

公開日: 2011/11/27 シリーズ 現場発

過去に出会った、入院して「働くことができないと、生きている価値がなくなっちゃうからさ」とこぼした患者さんは、未だに家の無い生活から抜け出すことができていない。働いて働いて生活保護基準をギリギリ上回る収入があるが、初期費用を用意できずに家が持てない。高齢でもないから公営住宅にも入れない。

「働けないと生きている価値がなくなっちゃうからさ」という一言の意味するところ。「誰かのために必要とされたい」=その人にとっては労働だったのだろう。けれども、生きていく価値をギリギリ満たし、でも生活はできず体がボロボロになり、いずれ「生きていく価値である労働も奪われる」時が来る。そのとき社会はその人にどのようなセーフティネットを用意できるのか。答えはそう多くないように思う。


承認欲求を満たすものが労働しかないなんて今の時代ではあり得ないと切り捨てることは簡単だ。でも自身の生きる価値を得るために必死に働き、結果身体を壊し、働けなくなり、生活保護になり、生活は保障されるが、生きる意味を失っていく人たちがいる。そんな人に今まで何人も出会った。


「多様な価値観が用意された社会」なんてものは、持てる人だけがエントリーできる社交界のようなものだ。人との縁を断ち切り、断ち切られ、社会関係資本なんて無いに等しい人たちが、今一度「誰かのために」と思える場所、社会になれば、それは今よりいい社会に違いない。


この仕事についてから「自身が仕事で得たリソースを社会に還元していく」という視点で日々まわりを見渡しながら、できることを考えて生きていきたいと思えるようになった。「それは余裕が出てきたからでは?」と言ってもらい、色々と腑に落ちたことがある。自分の言動の根っこを紐解くのはひとりではできないって改めて思う。そういった意味で、「アナタのために」と言葉をかけてくれる存在が不在の社会というのは、おそらく想像する以上に凄まじく孤独でつらいのだと思う。


人との縁を断ち切り、断ち切られ、社会関係資本なんて無いに等しい人たちが、今一度「誰かのために」と思える場所、社会になれば、それは今よりいい社会に違いない。
以前に、死期の迫った患者さんが語る「誰かのために生きる意味」(【シリーズ現場発】誰かのために生きる)を聞いた頃からその思いはずっと自分の胃の底に沈んでときどき疼いている。


想像するだけではなく、自分に何ができるかをいつまでも考えるだけじゃなく、半歩でいいから現実の歩を進めたい。いや、進めようと思う。



※【シリーズ現場発】では不定期で現場での患者さんとの出会いをエッセイ風に綴っていきます。なお、内容はフィクションとノンフィクションを混在させた創作です。



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