【シリーズ 現場発】誰かのために生きる。
公開日: 2011/08/20 シリーズ 現場発
その昔、紆余曲折あって、色々な病院を転々として勤務先の病院に入院してきた患者さんがいた。ある特殊な医療行為のセルフケアの方法を習得し、退院することを目標に頑張っていた。「早く退院したいんだ。だから頑張るんだよ」
私は、その患者さんの退院に向けたサポートを目的に関わることになった。80を超えた患者さんは、憎まれ口をよく叩き、お金への執着が強い、でも、くしゃくしゃな笑顔がその人の年輪のように思える、憎めない人だった。
結婚はしておらず、子どももいない。
入院中、その人を訪ねてくる人は誰もいなかった。
「バスとか電車に乗って、いろんなところに行きたいんだよ」
誰に会いたいとか、そういったことは語らない人だった。
自分のしてきた仕事、退院したら旅行に行きたいと、そんなことをよく語っていた。
高齢ではあるけれども、特殊な医療行為のセルフケアが出来ないこと以外はなんとか自分で出来ていたので、退院に向けたサポートはそれほど問題なくすすんでいった。本人も特殊な医療行為のセルフケアをなんとか果たし、とうとう退院の日を迎えた。
笑顔で手を振り、退院した1週間後、再び救急車で運ばれてきた。
命に別状はなかったが、ベッドサイドで見るその患者さんの顔に表情はなかった。
ただただ無気力なその瞳は、なんとも形容しがたいものだった。
「死にたい。早く迎えにきてほしい。殺してくれよ」
ベッドサイドでそう言う患者さんの「痛み」
そのときはわからなかった。
退院したものの、思ったように身体が動かず、疲れきってしまったこと
サポートしてくれる人たちにその都度迷惑をかけてしまうことを申し訳なく思っていたこと
1年間、退院後の自由な生活を夢見たその患者さんは「施設に入りたい」と口にした。
患者さんが1年のあいだ、思い描いていた生活は、1週間で、絶望を直視するという現実に変わっていた。
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その患者さんには「本当の意味」での帰るべき場所。
迎えてくれる人がいなかった。
その患者さんが夢見ていた自由な生活というものはなんだったのだろうか
「アイツは帰るところがないんだ、アイツは行くところがないんだ、って誰からも言われることのない世界へ行きたい。」
今、もし望みが叶うなら、どんなことをしたいかと問うと
「看護師になりたいよ。自分が病気になって、看護師にいろいろやってもらうようになってさ。わかるんだよ。こうやってもらえたら具合がいいだろうとか。そういうのがやってもらって自分がわかっているから、今度は自分がやってあげるんだ」
そんな言葉を口にした。
「誰かのために生きる」
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
「誰かが会いにきてくれると嬉しいよ。自分の存在価値があるって思えるもんな」
同室者に面会者が来ているのを眺めながら、そう一言つぶやいた。
自らの死期が視界にちらつく、それと同時に自分の存在意義を問い直さざるを得ないということの、苦しさは、想像しようにも想像しきれなかった。「でも私は、○○さんに会えてよかったと心から思っていますよ」そう返すのが精一杯だった。その言葉に顔をくしゃっとさせて笑った、その顔が忘れられない。
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患者さんは、帰る家がない 行くところがないという「社会からはじき出されるような感覚」をずっと、ずっと抱いていたのかもしれない。
自由な生活、「ここではないどこか」に自分の新たな居場所を夢見ていたその患者さんの、「誰かに必要とされることで肯定してあげることのできる自分という存在の意義」が揺らぐことの痛みが、少しだけわかったような気がした。
患者さんと関わる時間は短く、「新たな」線としての関係性は築くことは難しいかもしれない。でも、せめてその時、点としての出会いを大事にしたい。「かけがえのない誰か」ではなく「かけがえのないあなた」だということを、その人に真摯に敬意を持って向き合うことで示したい。
そう、心に改めて決めた出会いだった。
※【シリーズ現場発】では不定期で現場での患者さんとの出会いをエッセイ風に綴っていきます。なお、内容はフィクションとノンフィクションを混在させた創作です。
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