「社会貢献意識と自分の社会と繋がらない若者」から考えてみたこと

公開日: 2011/11/12 思索 読書記録

『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください (光文社新書)』上野千鶴子,古市憲寿


「おひとりさまの老後」で有名な東大教授の上野千鶴子氏と、「希望難民ご一行様」「絶望の国の幸福な若者たち」の著者、新進気鋭の社会学者古市憲寿氏の対談形式の共著。単なる世代間格差論で終わっちゃうツマラナイものでは決して無く、思考のエッセンスが散りばめられていておすすめの一冊です。


第7章の第一節の「社会貢献意識と自分の社会と繋がらない若者」が学生時代の自分や友人たちの文脈をまさに評していてなるほどなーと思ったので、自身の経験も関連づけて記しておこうと思います。



『「社会の役に立ちたい」という思いは、カンボジアや被災地に対しては向けられるけれど、肝心の自分たちの集団には向かない。外部に対して手を差し伸べようっていう動きにはなるんだけれど、自分たちの足もとの社会を変えよう、という動きにはならない』と古市氏は述べています。(P206) 

それに対して上野氏は
「不安はあるが不満はない若者の現状を反映しているのかもしれない。」つまりは「遠隔シンボル(例:カンボジアや被災地)によって現実逃避する」と述べ、高齢社会では近い将来誰もが社会的弱者になるかもしれないというわかりきったシュミレーションのできない「その日暮らしのメンタリティ」と評しています。


「不安はあるが不満は無い」「遠隔シンボルによって現実逃避している」っていうのは、なかなかどうしてその通りだと思うのです。


私は学生時分、とある社会的問題に対するひとつのソリューションとして、病院でボランティア団体を立ち上げるということを経験しましたが、そのときのメンタリティはおそらく「不安はあるが不満は無い」「遠隔シンボルによって現実逃避している」ということに加えて「当事者性」を加えることでおそらく説明できるのです。


「当事者性」を帯びることで、「遠隔シンボルによって現実逃避している」という文脈の「遠隔」の精神的距離を狭めていたのだろう、と7年経った今、客観的に評することができます。これは良いことでも悪いことでもなく、ただ、そうであったという主観的事実のみが存在していればそれでよいことであると思うのですが。


当時、立ち上げた病院でのボランティア団体は、非常にマイノリティな問題に対して、大学生というマンパワーと時間をリソースとして、継続性のある団体として7年経った今も活動を続けています。(詳細については私個人の生い立ち等に非常に密接にかかわるものなので、機会があればその経緯等含めて記したいと思います)


『「社会の役に立ちたい」という思いは、カンボジアや被災地に対しては向けられるけれど、肝心の自分たちの集団には向かない。外部に対して手を差し伸べようっていう動きにはなるんだけれど、自分たちの足もとの社会を変えよう、という動きにはならない』


不安はあるが不満はない若者の現状を反映しているのかもしれない。」つまりは「遠隔シンボル(例:カンボジアや被災地)によって現実逃避する」と述べ、高齢社会では近い将来誰もが社会的弱者になるかもしれないというわかりきったシュミレーションのできない「その日暮らしのメンタリティ」


私個人としては、ボランティア団体を立ち上げ活動するに至ったプロセスを上記文脈と照らし合わせたとき


『行為に「当事者性」が加わったからこそ「自らの問題を引き受ける」という「行為の社会化」が成されているのだから「遠隔シンボルによって現実逃避をする」ということとは一線を画す 』


と反論をぶつけることができるかと言われたら、それもまたNoだと思うのです。


それは、私にとっての「当事者性」は「機会不平等、自己肯定感、言葉」という自身の価値観を語る上でのキーワードが複雑に混在しており、「完全なる行為の社会化」には成り得ない。つまりは、ウェーバー、パーソンズたちがいう、純粋なる社会的行為(social action )とは言えなかったのだという結論に帰するのだと思います。(参照:想像力不足を援助者が期待するストーリーで埋めるということについて考える)




そのことに学生時分に気づいていたら、おそらく俗にいうアイデンティティクライシスにやられてしまっていたに違いないのですが(笑)、今はこうやって「言葉で自分を自由にさせてあげることができる」ようになったから、本当に生きていくのが楽になったと思うのです。


と、上記のような援助者の私的経験から生じる価値観が、クライエントに対する押し付けにならないよう、気をつけなければならないのですねー。だからお偉い先生方は「自己覚知」が大事だとドヤ顔で言うのですねー、と一般的な結論に落ち着かせてこの論は終わりにしたいと思います。




大学生のみなさんには、今ご自身たちがコミットしている活動が、自身のどんな思いや考えからそこに参画しているのか、ということを改めて考えてみる上でのヒントを本書から得てみてもいいのではないかなーと社会人5年目の意見としてこっそり記しておきます。


考えることは筋トレと一緒。
考えないと思考力はあっという間に衰えて、誰かが用意した既存のフレームの中で泳ぎ生きていくことになっちゃうよ。


と、お二人の語る文脈からそんなメタファーをもらえた気がする、そんな一冊です。












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