ナラティブ・アプローチにおける「舞台化された身体」について考える

公開日: 2011/10/01 MSW 思索

ソーシャルワーカーが出会う患者さん家族は「対処しなければならない問題の存在する現実」に対峙している(せざるを得ない状況にある)人たちです。



過去のエントリにおいて、ナラティブ・アプローチについて記した際にナラティブ・アプローチおける「語り直し」について)


ラティブ・アプローチは「語りで問題解決を目指す」ものではないということです。私個人としては、ナラティブ・アプローチをクライエントの問題解決に向けた内的な動機付けや、その人の内的な部分からのエンパワーメントを引き起こすための、専門職としての態度・技法のひとつであると考えています。
ナラティブ・アプローチは、危機的状況下においても、「語り直し」という、ライフストーリへの意味づけのアップデートに重きを置き、大きな岩を道端によけて、一本道を舗装しながら、その人自身の人生に整合性を与えるための「語り」に意味を持たせたものだと思うのです。

と述べました。

本エントリでは、上記を踏まえ、個人的に、ナラティブ・アプローチについて考える上で重要だと考える、ソーシャルワーカーの「舞台化された身体」について記していきたいと思います。


ナラティブ・アプローチについて考えるとき、私はいつも「舞台」をイメージします。ソーシャルワーカーは、「演者、共演者、舞台、舞台装置」という4つの機能を有し、ナラティブ・アプローチを構成していく、というイメージです。(4つの機能についての詳細はまた別エントリで記したいと考えています)






大きな決断を迫られている患者さん家族に出会う時、「決断をしようとしている自分」を「そこに繋ぎ止めておくための決意をする瞬間」を共有するときがあります。


比喩的表現を用いれば、岩場にハーケンを打ち、ザイルを結び合う感覚です。
決断をしなければならない自分をそこに繋ぎ止める行為=岩場にハーケンを打つ行為




選択の連続である人生に整合性を持たせてあげるために、「決断を迫られている自分をそこ(今、対峙している逃れられない現実)に繋ぎ止めておく」という行為を成し、繋ぎ止める(ハーケンを打つ)行為の後に残るハーケンを、後に振り返り、意味付けをするための道しるべとする。




それは、繋ぎ止めるという行為(ハーケンを打つ行為)が、山頂から自分の来た道を見下ろした際に、自身の軌跡を示してくれるからなのだと思うのです。




その際に、ソーシャルワーカーに出来ることは、徹底的に「舞台化」された身体を意識し、繋ぎ止めるための行為を成すための舞台の一部になることであり、


そのプロセスにおいて、ソーシャルワーカーが「舞台化された身体」を提供することは、「繋ぎ止める」という行為の後に残るハーケンを強固なものにするという作用があるのだと思っています。




ナラティブ・アプローチにおいて、ソーシャルワーカーが演者、共演者、舞台、舞台装置」という4つの機能を果たそうとする時、舞台化された関わりが可能になります。


先に記した通り、ソーシャルワーカーが「舞台化された身体」を提供する意味は、「目の前の患者さん家族が演じるストーリー」が「ライフヒストリーとして昇華される過程」を「強固なものにする」ためにあります。




「現実」が「舞台化」されることにより、「決断をしようとする自分」を「決断を下さなければならない現在」に「繋ぎ止める行為」は強固なものになります。
「舞台化された現実」という強固なハーケンを頼りに、過去を意味付けし直し、過去の意味付けをアップデートするための「ひとつの」術(すべ)を得ることができるのです。





家族や友人などの日常の中に存在する関係性の中にある他者は純粋な「舞台」には成り得ないのです。関係性が彼らを舞台化することを許さないからです。




ソーシャルワーカーと患者さん家族の間に存在する「援助関係」という「非日常の特殊な関係」があるからこそ「舞台化」された身体を提供でき、その空間を「舞台化」した「リアル」として共有できるのだと思うのです。


「患者さん家族が対峙している現実を「共に」多角的に捉えなおし、患者さん家族が現実に付随する様々な事象を含めたモノゴトを再構築し、そこに意味を持たせるという時間」に寄与する、という「意図的な関わり」
「あのとき、あれだけ考え抜いたのだから、きっとあの決断でよかったんだよね」と、患者さん家族が少し先の未来から、現在を振り返ったときに、少しでもそう思えるような人生のプロセスを歩めるように。
(過去エントリ:転院援助にソーシャルワーカーが関わる意味について考える。より)




舞台化された身体を提供するということは、移し鏡に似ているのだと思います。




本エントリで記した理由から、私はナラティブ・アプローチにおいて「舞台としての身体」を提供できることが、大きな決断を迫られている患者さん家族の「リアル」を「演劇化」し、強固なハーケンを打つため(少し先の未来に過去を振り返ったとき、少しでも納得できる決定をするために)に、ソーシャルワーカーに求められ、そして大切なことなのだ、と思っています。






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