専門職としてのソーシャルワーカーを目指すために

公開日: 2011/09/29 MSW 思索 読書記録

大きすぎるテーマかとは思ったのですが、表題について最近感じていること、考えていることを少しまとめておきたいと思います。


【ソーシャルワーカーに必要な技術とは何か】
専門職としてのソーシャルワーカーに必要な技術をひとつ挙げるとしたら、それは面接技術ではなく、「言語技術」だと私は考えています。



言語「技術」と表すのは、言語が万人が当たり前のように操ることができるものではなく、意図的な訓練の積み重ねにより向上可能な「技術」だからです。
ここ数年、言語技術の必要性は各方面で語られており、東京都も言語技術の訓練等に重点を置いており、研修等も開催しています。【参考資料】


面接技術も、バイスティックの七原則も、それ単独では材料に過ぎません。
材料だけでは、いつまでたっても調理に取りかかれません。材料から料理を完成させるまでの行程を成すために必要なのが言語でいう「言語技術」なのです。


言語技術は、様々な事象を「意識化」するために必要不可欠です。
ソーシャルワーカーとしての身体が感じるノイズ(雑音)を、「意識化することでクリアにする」つまりは、自身の気づきも、違和感も、そして患者さん家族の変化に対する気づきも、そういったノイズを意識化することでクリアにし、「自身の理解の範疇に置く」ことができるのだと考えています。


意識化するということは、「理解の範疇に入れる」ということと同義で、それは言語技術が無ければ達し得ないのです。


【言語技術を鍛えるためのトレーニング】
言語技術を鍛えるために自身に課している簡単な掟があります。


・「刺激を受けました」という言葉を安易に使うの止める、ということ。
・結論が容易に導けない事案に対する「難しいですね」という言葉を使うのを止めること。


この二つです。
シンプルですが、効果的な鍛錬方法だと思っています。


刺激を受けました」で完結するセンテンスは、何かがきっかけで起こる「感情レベルでの振れ幅」を「学び」とすり替えてしまうマジックワードなんだと思っています。これに気づかずに、「刺激を受けました」という反応をしつづけるのは、言語技術を鍛える絶好の機会を自分自身でつぶしてしまう、もったいないことなのだと思っています。


何かがきっかけで起こる「感情レベルでの振れ幅」を「学び」とすり替えてしまうというのは、ひとつの思考の怠慢であって、「感情レベルの振れ幅」を意識化し、クリアにすることで、「理解の範疇に置く」という学びまで昇華させることができるのではと思うのです。


「難しいですね」っていうのは、本当に事案がどうにもならないという意味なのか、それとも自身の思考をただサボらせている怠慢からくる「難しいですね」なのか、ということの差別化を図るべきだと思うのです。


結論が容易に導けない事案に対する「難しいですね」という言葉と、マジックワードとしての「刺激を受けました」という言葉。個人的にはこの二つに出来るだけ頼らない日々を送るだけでもアウトプットの量は増えるのだと思ってます。成すのはなかなか大変なのですが、個人的には言語技術を鍛える上で意味のあることだと実感しています。


【「専門職」としてのソーシャルワーカーを目指すために】
ソーシャルワーカーが、クライエントのナラティブ、ストーリーを大切にするということに疑問はないのですが、ソーシャルワーカー自身の実践をナラティブ、ストーリーで語るのはセミプロだと思うのです。ストーリーテラー(お話上手)から脱せられないうちはプロフェッショナルとは言えない、というのは自明の理だと思います。


ストーリーテラーから抜け出せないというのは、いつまでたっても「感情レベルの振れ幅」を「学び」と錯覚し続けている、ということの残念な証明にもなってしまうのです。


ソーシャルワーカーは、日々、社会的背景が複雑な人たちと対峙しているので、それを素材にストーリーテラーになることなんていうのは容易なことです。というかそれ自体職業倫理に反します。


個別のケースから抽出されたものを一般化して、実践から得られた実践知を他者に言語化して伝えることができる=共有知に昇華できる。それができてはじめて「ソーシャルワーカーは専門職だ」と胸を張って社会に対して表明することができるのだと思っています。


職能団体とかの研修に行ったときに、講師の話のイントロ聞いて、「感情レベルの振れ幅」を「学び」と錯覚しているストーリーテラー(お話上手)か、共有知昇華レベルを有している人かを、つい評価してしまいます。というか評価せざるをえないのです。


経験年数と経験値は比例するかもしれませんが、「経験年数と実践知は比例しない」というのは4年半働いてみて、あながち間違っていないと感じます。


ですが、ストーリーテラーを否定する訳ではありません。
ストーリーテラー化に長けている人は、自分の仕事を一般の人に興味深く、エモーショナルな部分に訴えかける伝え方を突き詰めて、この仕事を世間一般に広めてくれればいいのですから。


「人の人生を左右するかもしれない」というこの仕事の恐ろしさをカラダの芯から味わったことがある人間は、「恐ろしくて辞める」か、「必死こいて自分の実践を高める努力をする」かどちらかになります。


逃げたくて、逃げたくて、でも逃げる訳にはいかなくて。
逃げるわけにはいかないから、必死で自分の実践を高めることを考えるしかなくて。


どちらかを選ばざるを得ない状況になったことのあるソーシャルワーカーであれば、この言葉の意味を汲み取ってもらえるのかなと思っています。


個別のケースから抽出された系統化された実践知を同業者たちが共に積み上げ、「共有知」へと昇華させたい、というのが抽象的ですが、私自身の大きな目標でもあります。




最後に奥川先生の大著を改めて紹介させていただきます。


今まで読んだソーシャルワーカーの書籍で「覚悟」をカラダの芯から感じた一冊です。同業者はこの一冊を読んで、自身の怠慢を恥じて、必死に頂を目指すべきだと心の底から痛感させられた一冊です。


現場経験2年目の頃にこの一冊に出会い、ものすごい危機感と焦燥感に襲われ、それとともに、ソーシャルワーカーとして、言語技術を高め、個別のケースから抽出された系統化された実践知を同業者たちが共に積み上げ、「共有知」へと昇華させなければ、この職業の未来はないのだと強烈に思ったことを今でも思い出します。


いつかご本人にお会いすることができたら、そのお礼をお伝えさせていただきたいと思っています。


ぜひ、多くのソーシャルワーカーの方に読んでいただきたい大著です。


身体知と言語―対人援助技術を鍛える by 奥川幸子





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