ナラティブ・アプローチにおける「語り直し」について

公開日: 2011/08/01 MSW 思索

最近、職場の同期が担当しているケースの話を聞いて、ナラティブ・アプローチについて意見交換をしました。忘れないうちに個人的な見解について記しておこうと思います。ナラティブ・アプローチについては、多くの書籍や臨床心理学的なアプローチについての文献もありますので、歴史や詳細について知りたい方はそちらをお調べいただくことをお勧めいたします。



さて、常々、「わかる」ということと「わかることを言葉にする」ということは同じようで大分違うと感じています。「わかる」という感覚は瞬間的、刹那的なもので、その感覚が逃げてしまわないように器を与えてあげるのが、言葉による「語り」の作業だと考えています。


自分のこと、自分の目に見えるもの聞こえるもの、感じること、考えることなどの、その人間が経験してきた歴史(ライフヒストリー)たちを、「わかる」という瞬間的な感覚で捉え、「語り」により、自分の意の範疇から逃げてしまわないよう器を与えてあげることにより、「経験してきた歴史(ライフヒストリー)」は「語られた自己という大きな物語(ライフストーリー)」に昇華することができるのではと考えています。


「経験してきた歴史(ライフヒストリー)」が「語られた自己という大きな物語(ライフストーリー)」に昇華するためには、過去に語られたライフストーリーの「語り直し」が大きな意味を持つのではないか、とも。


何かを「わかった!」という瞬間的な感覚を得た後、誰かにそのことを言葉にして伝えようとするとき、意外とうまく伝えることができなかったりすることがあることは誰しもが経験したことのあることだと思います。それが自分の内面のことであれば尚更ではないかと思います。


その当時は語ることができなかった過去のライフヒストリーを、現在の自分が新たに「語り直す」ことで、そこに新たな意味づけをしてあげることができる。それは言いかえれば、過去のライフヒストリーを強化すること=今を生きる自分という存在の意義を再認識すること、でもあると思うのです。


「昔はこう思っていたけれど、今はそのことについてこう思っている」


これも「語り直し」のひとつであると思います。とある物事について、過去の定点まで遡り、過去の語りに対して、今現在の自分が「どう語り直したか」を表する際によく聞くフレーズのように思います。




前置きが長くなりましたが、以上を踏まえて、ナラティブ・アプローチに関する個人的な定義は以下のようなものではないかと考えています。


ライフヒストリーは、「語り直し」という現在進行形の作業を経て、ストーリーになる。ストーリーを語る中で、ヒストリーへの意味づけはアップデートされていく。


ナラティブ・アプローチはその人のヒストリーへの意味付けをアップデートしていく過程に「意味」を置くもの。


「ヒストリーへの意味付けをアップデートしていく過程」というのは「経験に付する意味付けを、語りにより(可能な限りよい方へ)更新していく過程」とほぼ同義です。


この過程で生まれる「自らのライフヒストリーを見つめ直す時間」、「語り直しにより、過去の経験に対して新たな意味付けをし、更新していく時間」が、その人自身の人生に整合性(自己肯定感、自己愛とでも言えますでしょうか)を与えてあげることになるのだと思っています。




仕事、プライベートに関わらず、ソーシャルワーカーとして働く自分自身が、「語り直し」によるヒストリーへの意味づけのアップデートが持つ意味を、個人の「実感」として有しているか否かで、ナラティブ・アプローチの捉え方、展開の仕方は大きく変わってくるように思います。


ここで少し注意したいのは、ナラティブ・アプローチは「語りで問題解決を目指す」ものではないということです。私個人としては、ナラティブ・アプローチをクライエントの問題解決に向けた内的な動機付けや、その人の内的な部分からのエンパワーメントを引き起こすための、専門職としての態度・技法のひとつであると考えています。(現場5年目の中堅入り口の意見です。ご寛容くださいませ)


比喩的表現を用いれば、「語り直し」によるヒストリーへの意味づけのアップデートっていうのは、歩んできた人生という砂利道を舗装する作業でもあるわけです。


砂利を道端によけて、見通しをよくする。歩けば歩くほど、砂利は乱れる。だから時折後ろを振り返り、自分の歩んできた道を舗装する。一本道として歩んできた道を舗装してあげることは、自分の人生に整合性を与える作業でもあるのです。


ナラティブ・アプローチは、そういった意味で、危機的状況下においても、「語り直し」という、ライフストーリへの意味づけのアップデートに重きを置き、大きな岩を道端によけて、一本道を舗装しながら、その人自身の人生に整合性を与えるための「語り」に意味を持たせたものだと思うのです。


人生という砂利道を見通しよく舗装することで、今まで歩んできた道のりがはっきりと見えるようになる。はっきりと見える=その人自身が自分の人生において納得できる整合性を与えてあげられたことの証明になるのです。


と、そんなふうにナラティブ・アプローチについて考えています。




どこかで、ナラティブ・アプローチにおける「他者性」の存在について記せたらと考えています。さて、今週も始まったばかり。ぼちぼち頑張ります!





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