他者主導の面接に同席して記録を書く
他者主導の面接に同席して、その記録を書くということを最近よくするのだけど、さまざまな気づきがある。
自分が行う面接は、面接前にあらかじめつくった簡易な骨組みだけの構造物(仮説)を、面接内で得られた主観、客観的事実で肉付けしていく作業(検証)と言えるので、面接記録を書くことは、一呼吸置いて、仮説を検証する作業(振り返り)でもある。
他者主導の面接の記録を書く際には、上記の作業はできないが、メタな視点で、面接者とクライアントが(厳密には観察者である自分も含む)場にどのような影響を及ぼし合い、かつ、相互作用がどのような形で生じているか、みたいなところの観察の振り返りができるので、なかなかおもしろい。
自分が行う面接は、面接前にあらかじめつくった簡易な骨組みだけの構造物(仮説)を、面接内で得られた主観、客観的事実で肉付けしていく作業(検証)と言えるので、面接記録を書くことは、一呼吸置いて、仮説を検証する作業(振り返り)でもある。
他者主導の面接の記録を書く際には、上記の作業はできないが、メタな視点で、面接者とクライアントが(厳密には観察者である自分も含む)場にどのような影響を及ぼし合い、かつ、相互作用がどのような形で生じているか、みたいなところの観察の振り返りができるので、なかなかおもしろい。
なにごとにも意味を持たせれば、いくらでも学ぶことができる。学びの時間効率も最大化できる部分はそうしていきたい。人生はそう長くはないのだから。