援助記録は手頃な自主トレの方法である

公開日: 2017/11/17 研鑽

『「援助記録が苦手で残業続きだ」というけれど、援助記録に時間がかかるのは、クライアントの主訴と客観的事実からクライアントととりまく環境を見立て、どこに一緒に介入すれは、問題が解決したり軽減したり、またはよりより解決策を実行できるのか、という計画が立てられていないだけだよ』と昔の自分に伝えたい。援助記録に限らず、言語化できないのは思考が詰めきれてない証左。


援助記録を書く行為自体が、自身がクライアントと共に行おうとして立てた計画を内省する(上司やスーパーバイザーと共有すれば、よりよい支援を届けるための材料にもなる)こと(時間)になるので、義務のようにいやいや書いていては全くもってもったいないし、また援助記録をおそろかにしている職場はあまり褒められたものではない。
上司が記録を溜めていても、それは技術的に「書けない」訳ではないことがほとんどなの(たまに書けない人もいる。それは怠惰な現場での時間を過ごしてきたからだ)で、新人は自分もためてていいや、とは思うことなく、記録をおそろかにしてはいけない。
組織に属してれば、援助記録は必ず書かなければなければならないのだから、それが成長に資するものであれば、これを活かさない手はないはずだ。
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