「自分はどういった人間か」

公開日: 2016/02/12 MSW 自己覚知


ちょうど10年前の夏、大学4年生だった私はある病院で実習をさせていただきました。その際にバイザーとして様々なことを教えてくださったソーシャルワーカーの方から事前に出された宿題が2つありました。


「自分はどういった人間か」、「この実習で得たいと思っているもの」
この2つです。


色々とデジタルデータを整理していたら、当時書いたものが出てきました。
せっかくなので晒しておく(笑)とともに、学生のみなさんには、同じお題である「自分はどういった人間か」という問いについて、A41枚でまとめておくことをお勧めします。
自分を知る良いトレーニングになるとともに、数年後読み返したときに自分の変化に気づく材料になりますので。(当時のバイザーの方に感謝です)
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「自分はどういった人間か」(2006年作成)

私は人と話すことが好きである。もちろん目の前にいる人間について知りたいということもあるが、何より、自分以外の他者は自分という人間を映し出す鏡であるといつも感じ、他者との関わりなしには自分という人間がどのような人間なのかは決して理解できないと考えているからである。


言葉に出さなければ気づかないこと、言葉にして初めて自分の中で気づくことというのは自分が思っている以上に多い。また、他者と話すことで「共感の幅」が広がるといつも感じる。自分が知らない世界に生きる、自分とは違う分野に身を置く人間と話すと、自分の知らない世界、感じ方、考え方に触れることができる。そうやって人と話す中で共感してきた時間は自分という人間の幅をも広げてくれる。だから私は人と話すことが好きである。


また、私は人から認められたり、人から必要とされたり、頼りにされることが、自分という人間の存在意義を確認させてくれるものであると感じている。このように感じるのはおそらく思春期の入院経験から来ているものだと思っている。自分と他者との違い、自分がどういった人間であるかということについて、おそらく最初に考えるであろう思春期に私は入院をし、アイデンティティの喪失の恐怖を感じ、自分以外の人間との接点が非常に少なかったということが、自分という人間の存在意義を希薄に感じさせた、ということがあると思っている。


また、退院後、多くの人に支えられた経験も「人から必要とされたい」と感じる理由となったと思う。私は1年半ほど入退院を繰り返したのだが、入院中よりも退院後の生活の方が苦しいことが多かった。自分自身のボディイメージの変化や、長期間、コミュニケーションが不足している生活を送っていたことから、周りの人間の目が怖く、社会生活に上手く適応できない時期が続いたことがあった。そんなときに支えてくれたのは家族、理解ある友人、医療スタッフ、教員の人たちであった。私の人生で唯一、人に誇れるものがあるとしたらそれは「人との出会いに恵まれている」ということであると心から思う。


そういった経験から、私は自分の身の回りにいてくれる人々への感謝を常に忘れないように、と常日頃思っている。自分が相手をどう捉え、どう見ているのか、ということは自分が思っている以上に相手に伝わっていると私は思っている。「真摯に人と向き合うことことのみが、その人の真摯を引き出すことができる」と常に思い、人と接したいと思っている。



いろいろと述べたが、私は簡単に自分のことを述べれば「楽天的で能動的である」と思っている。自分が何かアクションを起こすときには常に「どうにかなる、どうにかできる」という想いを持っていたし、常に明るい展望を思い描いて物事を進めてきた。そういった性格が自分自身を助けてきたし、それはこれからも変わらないと思う。


そしてまた、人と繋がること、そして自分自身が必要とされること。この二つが、私の人生における重きを置く部分であるということは、今後も変わることはないと感じている。



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