当事者とソーシャルワーカーの”雑種”として

公開日: 2015/07/14 思索 小児


今月末に開催される医療者と患者の対話カフェと、11月頭に行われる東京都の普及啓発事業の講演会で、小児血液疾患の当事者として話をさせてもらうことになりました。

思えば、工学部から社会福祉学部へ入りなおしたのも、長期入院をした子どもが、学校へ復学するとき、地域へ戻るときの橋渡し役になりたい、と思ったからでした。(人生ではじめて抱いた”貢献”の意識でした)

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工学部に進学した19の春、セルフヘルプグループに出会い、「大変な思いをしていたのは自分だけではなかった」と気づき、そして、「自分は運がよかった」と思ってしまった自分を悔いた日。

セルフヘルプグループで出会った人たちにより、「自分の経験があるからこそわかることがある、と本気で信じ、大学を変え、自身の経験に肯定的な意味づけをしてあげることができるかもしれない、とそんな可能性にしがみついていた19歳。
しかし、人は誰しもが、いろいろなものを抱えながら生きていて、「経験だけが自身のスペシャリティにはならない」ということに気づき絶望した20歳。
「経験を人に対して語ること」が、その当時の私には必要だとアセスメントをし、伴走してくれたソーシャルワーカーの方。

自身の経験を言葉にして語り直すことで、自身の自己効力感を取り戻していくことのできた、その後の大学時代。自身が受けた援助の意味を、援助者視点で理解することができたと感じ、ソーシャルワーカーとして現場に出る準備が整ったと感じた大学4年次。
私は、その数年間の自身の語りの中で、「言葉がもつ力」を内在化していったのだと思います。それは今、このように社会に対して何かをおこなうときに、活きています。
大学時代に、自分の内的構造とゆっくり向き合った末、ソーシャルワーカーとして小児医療の現場には携わらないことを決め、当事者としての言葉も封印してきました。そうでなければ、小児科のない医療機関においてでさえ、ソーシャルワーカーとして稼働することが難しく感じたからです。言ってしまえば、とても枷だらけの7年間でした。


ですが、クライアントとして出会う人の人生から、人とは、言葉とは、社会とは、という問いを重ね、言葉にさせてもらうことができました。
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医療現場から退いた今、そしてソーシャルワーカーとしてトレーニングをしてきた7年がある今、また違ったかたちで、自分の能力を社会に還元するためのスタートを切ることができるのではないか、と思うのです。

当事者の人たちの言葉を聞き、それを組み入れながら、それをかたちにしていく。そういったプロセスに、当事者と援助者の”雑種”として関わっていくことで、小児医療にたいしても、そしてSCAにたいしても、私なりの貢献が、返礼ができるのではないか、と思いつつ。

あの時とは違い、自分には少し「力」がついたと思うのです。

自分が見ている、見てきた現実・経験に意味を付与してあげることができるのは自分だけである以上、全てを巻き込み織り込みながらストーリーをガシガシ書き進めていくことができることは幸せなことだと思いつつ。


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