対人援助職としての職業アイデンティティを構成する要素について考える

公開日: 2013/10/06 MSW キャリアデザイン ソーシャルワーカーが自己覚知をすすめる上で読んでおきたい書籍 思索



本エントリでは、対人援助職としての職業アイデンティティを構成する要素について考えると題し、私の考えを述べていく。まずはじめに、「対人援助職における職業アイデンティティ」を定義する前に、自己同一性(アイデンティティ)の定義を確認したい。



自己同一性(じこどういつせい、セルフ・アイデンティティ、self identity)とは、自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念。自我同一性(じがどういつせい、Ego Identity)と最初は言われ、後に自己同一性とも言われるようになった。時にはアイデンティティもしくは同一性とだけ言われる事もある。エリク・エリクソンによる言葉で、青年期発達課題である。(出典:wikipedia)

上記定義を用い、本エントリにおける「職業アイデンティティ」を以下のように定義する。

「自分はどのような職業人であり、何を為すべきか?という個々人の中に保持される概念」


上記定義を踏まえ、以下、表題について述べてきたい。

…………………………………………………………………………

本エントリ目次

1.職業アイデンティティは「内発性要素、外発性要素」という2つの要素で形成される

2.職業アイデンティティを安定したものにするには?

3.自分の職業アイデンティティの形成要素を知るには?

4.サンプルとしての”自分”を活かし、気づこう

…………………………………………………………………………

1.職業アイデンティティは「内発性要素、外発性要素」という2つの要素で形成される


私は、職業アイデンティティを形成する要素は、大きく分けて以下2つであると考える。


内発性要素=「自らの中から沸き上がる意思や思いや感情等。可視化が困難なもの」

外発性要素=「他者評価が可能なスケールのあるもの。可視化が可能なもの」


対人援助職の職業アイデンティティの形成においては、内発性要素、外発性要素、どちらか”片方だけ”に傾倒することで、以下のリスクが生じると考える。



内発性要素傾倒リスク:
バーンアウト。理想論という名の精神論に走るリスク。


外発性要素傾倒リスク:
資格ホルダー化、職歴ロンダリングを引き起こすリスク。
(認定社会福祉士資格等は、まさに多量の外発性要素となり得ているだろうが、
その件については、本エントリの本旨ではないのでここでは述べないでおく。)




…………………………………………………………………………

2.職業アイデンティティを安定したものにするには?

ここでひとつ、私の経験した例をお出ししたい。
就職面接等で短期間で10人弱のソーシャルワーカーの方の話を聞いたときのことだ。


その際に「職業アイデンティティ」を形成する2つ要素について注視していたのだが、
内発性要素型の人は、「対人援助職としての理想像」を語る傾向にあること、外発性要素型の人は、「自分が組織にどうコミットできるか」「その理由としての職歴プッシュ」をする。そんな印象をもの凄く受けた。(サンプル数は10弱だが、私はそう感じとった)


そして、どちらかに傾倒し過ぎている人からは、アンバランスな印象を受けた。
話を聞いていて安定感があると感じる人からは、内発性要素と外発性要素の両者を想像させるエピソードが語られた。

エピソードを聞く中で、「内発性要素と外発性要素を行き来しながら、職業アイデンティティを形成してこられたのだろう」と感じ、その「振れ幅」が、安定感を育んでいるのだと私は考えた。



…………………………………………………………………………



3.自分の職業アイデンティティの形成要素を知るには?


「理想像、情熱、努力、使命」などという内発性要素を主食とし、職業アイデンティティを形成してきた人と、外発性要素を主食とし、生きてきた人は、相容れない部分がどこかに生じるのは仕方ないことだし、当然のことだ。
過去の私を振り返り、そう思うし、他の援助者を見ていても、そのように思う。


「真摯な仕事をしよう!」と口にし,相手から「精神論は捨てろ!結果を出すのがプロだ。負け犬!!」と返されるとき、そこにあるのは、内発性要素と外発性要素という成分の違いがあるだけだ。


”腹立たしさ”を覚えるのは、身体が「あなたの職業アイデンティティ形成要素は、其れとは違うのだ」と身体感覚レベルで教えてくれていることの証左だろう。


主食の違いで、馬鹿げた言い合いは止めるべきだ。
内発性要素か外発性要素かの違いで、相手を罵ったり、批判したりするのは、
ごはん食、か、パン食、かで、言い争うことと同義だ。


私は、ご飯かパン(笑)のどちらかに、「振れ過ぎる」のが駄目だとは思わない。


内発性要素か外発性要素か、そのどちらを主成分にして職業アイデンティティを育んできたかという「事実」自体が、援助者としての自分の「振れ幅」を自覚させるだろうし、その自覚が、「振れ幅」をコントロールすることのできる術を与えてくれるから。


これも一種の自己覚知、だ。


「知っている。自覚している」
そうであれば、対処も、コントロールも、その術を考えることができる、



…………………………………………………………………………



4.サンプルとしての”自分”を活かし、気づこう。


内発性要素と外発性要素。
どちらを職業アイデンティティ形成における主食にしてきたのか?


その理由には、援助者の数だけ理由があるとは思う。
でも考えるべきは、主食にしたのは「好物」だからだ。ただそれだけの理由だ。
無自覚で、不味いものを選ばない。
好物を欲望に従って食い漁った結果だという自覚は、援助者に危機感さえ覚えさせるかもしれない。


危機感は無いよりあったほうがいい。
「うまいものばっか食ってきた」という自覚が為されたその日から、不味いものも口にするようにすればいい。ただそれだけの話だ。気づけないままでいると、内発性or外発性要素の脂肪がでっぷりこびりつき、それがアンバランスな臭いを醸し出す。



私は内発性要素を主成分としている対人援助職だという自覚がある。
「使命とか理想」とかが大好物だ。既に内発性要素による脂肪も蓄えられはじめているだろう。けれども、私はそれを自覚している。自覚があれば、不味いものを口にし、「振れ幅のコントロールをする術」に考えを及ぼすことができる。


社会に考えや活動を晒せば、「評価」の目を浴びるだろう。これは、私にとって、「(自分が求める)使命、思想」という内発性要素という主成分に、「社会へどうコミットできるか」という副菜的成分を加えることになる。私は、昨年から「口にあわない苦手なもの」を口にするための舵を切ることに決めた。


どんな大きなことを語るときでも、まず最初、1番目の”サンプル”は、自分自身だよ。
私は、いつだって、そこからはじめたい。


あなたは、どうしますか?


他の援助者の、職業アイデンティティについての諸々に対して、ああだこうだ批判じみたことを言って、くだらない時間を浪費していませんか?


その時間、自分のために使いましょうよ。
そっちの方が、あなたの未来にとって100万倍有益、だ。


そう言い切れる、サンプルとしてのわたしが、ここにいるのですから。


………………………………………………………………………………



  • ?±??G???g???[?d????u?b?N?}?[?N???A