年長者の同業者から向けられる「眼差し」から考える

公開日: 2012/01/15 MSW SW解体新書制作委員会 思索

若い同業者に対して、「指導的な目線」で、恊働ではなく、主導しようとする同業者、もしくは関係者に出会った経験は誰しも一度はあるのではないかと思います。(要するに「なめられてるな」と感じることです。笑)


私は、そのような「相手が自分よりも若い」ということだけで、態度を変える同業者に対しては、あまり良い印象を抱いていません。


本エントリでは、年長者の同業者から向けられる「眼差し」から考える』と題し、その眼差しが、若い同業者に与える意味について考えてみようと思います。



概して、尊敬できる同業者は、若い人からも学ぼうという暗なる姿勢を見え隠れさせるというのが個人的な印象です。若い人の言葉を自分のフィルターを通さずに「学ぼう」とするわけです。そして、それを若い同業者が「感じることが出来たとき」強烈な危機感に襲われるのだと思うのです。

尊敬する相手から「対等のまなざし」で見られるほど恐ろしいことは無い、と私は考えています。


尊敬する年長者から「対等のまなざし」で見られるというのは、若い援助者にとっては自分が丸裸にされる感覚を与えられるものになり得ます。そしてまた、尊敬する年長者の、自分よりも多くのモノが見えるだろう目で見られている自分(若い援助者)が「いかほどのものか」ということを知らしめられたとき、若い援助者の中の学びのスイッチは駆動するのだと思うのです。


年長者から「対等のまなざし」で見られていると感じるとき、私は強烈な危機感を感じます。「対等のまなざし」をもらうだけの「自分であるか」(あるわけないのですが…笑)、ということを強烈に内省するのです。


この「対等(だと若い相手にメッセージを送れるような)な眼差し」を発動できる年長者の同業者に出会うと、その方が、どのような職業的キャリアの歩みをなされてきたかということを考え、常に謙虚に、学びの姿勢を持ち続けたからこそ、そのような眼差しを得られたのではないかと想像するのです。


30年越えキャリアの方で、「対等のまなざし」を有していると自分が感じる方がいます。その方と仕事上で関わる時は、ものすごく背筋が伸びる感じがするのです。それはやはり、「対等のまなざし」で見られるに値する自分か?という問いから発動する危機感なのだと思っています。

そして、自分もそうでありたい。いつかそうなりたいと強く思うのです。そして、そのいつかは今の積み重ねでしかないということをわかってはいても、楽したいと思う誘惑と日々戦い続けるのです…笑




先に記したような年長者から向けられる「眼差し」の意味を考えるからこそ、同業者の「私の方がキャリアは上よ」という眼差しには賛同し得ないのです。


「自分より年齢が下で自分の方がキャリアが上」とか、そういった「記号的」なものだけで、相手に対する「眼差し」を変えるということ自体が、その人の援助者としての質を表してしまうと私は思います。


同業者に対してそのような「眼差し」を向ける者が「援助者」「クライエント」関係において、そういった類いの眼差しを「封印」できるはずが無いと思うのです。


援助者としての自分が、患者さん家族に、他のスタッフに、他の同業者に、「どのような眼差しを向けているか」ということを、ときに振り返ってみるのもよいのかもしれません。


もし援助者としての自分が、尊敬する眼差しを持つ人間に出会えたとしたら、その方が持つ眼差しが、いかにして得られてきたのだろうか、ということを想像してみることは、若い援助者にとって、自分のためにとても大切なことなのではないかと私は思っています。





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