スーパービジョンの意義についての個人的見解
あけましておめでとうございます。2012年最初のエントリは「スーパービジョンの意義についての個人的見解」と表し、毎度のようにつらつらと記していきたいと思います。(笑
本年もよろしくお付き合いください。
対人援助職の質の向上を目的とした教育方法のひとつに「スーパービジョン」があります。
本エントリでは、スーパーバイザー(指導者)、スーパーバイジー(指導を受ける者)の間で行われる教育的指導における過程に着目し、スーパービジョンがスーパーバイザー側にどのような意味を持つのかということについて個人的見解を記していこうと思います。
まずは、スーパービジョンにおけるバイザー側の役割を考えてみます。
バイザーは、バイジーからのケース内容報告から、バイジーがみているケースの全体像をイメージし、かつバイジーがどのような問題と対峙しているかを読み解いていきます。
バイザーはバイジーの現段階での実践到達点を見極め(アセスメントし)、バイジーからのケース内容報告以外の事実(バイジーが確認できていないもの)を確認したり、バイジーの中で起きている、主観的事実、客観的事実、感情等の情報の混乱を整理するのをサポートしながら、まずはケースの全体像をバイジーと共に描こうとしていくのだと考えます。
バイザーは、バイジーの思考の交通整理を助けながら、ケースの全体像を描き直す過程をサポートしていきます。バイザーは、その過程で起こるバイジーの気づきに着目、焦点化し、思考の深度を下げていきます。そして、その過程の根底にあるのはバイジーへのエンパワーメントな関わりなのだと思っています。それが根底に存在しないと、ときにスーパーバイズはバイジーをパワーレスに陥らせるだけのものになってしまいます。
スーパービジョンを行うということは、バイザーも全力で能力を働かせ、バイジーとイメージを共有した上でアドバイスを行うということであり、そういった意味でスーパーバイザーにはかなりの職業的熟練が求められ、かつ良質なスーパーバイズを受けてきたという経験も欠かせないのではと思います。(良質なスーパーバイザーの元で教えられてきたという経験)
それを踏まえた上で、スーパービジョンにおいては、自身の実践を外部化したものを、他者の実践と照らし合わせる、という、バイザー側にも得るものがある、ということは上記の構造を考えると明らかなのですが、『「他者に実践知を伝え、教える」ということが職業的キャリアを構築する上で持つ意義』がこの領域でホットな話題として語られないことに個人としては危機感を覚えています。
結論としては「教える」経験なしに実践を積みあげることへの危機感を持ち、それが難しい環境にいるのであれば「補完できる装置」を持つという意識を持つべきでは?という問題提起と、スーパービジョンを受ける側も、バイザーの労力、必要な能力を想像した上で、スーパーバイズが単なるアドバイスレベルで終結するのではないということを理解した上で「全力でスーパーバイズを受ける」という姿勢が必要だということです。
まずは自分の中に小さな変化を生み、その変化の積み重ねが大きな行動変容に繋がる。
そう自分に言い聞かせて、2012年も日々を積み重ねていこうと思います。
昨年は、当Blog経由で学生さんや同業者の方と意見交換をすることができました。
医療ソーシャルワーカーとして就職したという嬉しい報告のメールもいくつかいただけて、色々な縁を嬉しく思った1年でした。
当Blogも本年で5年目を迎えます。
本年は「ソーシャルワーク実践解体新書制作委員会」の他にもいくつかの企画をおこなうことも考えています。
私自身、ソーシャルワーカーとしてはまだまだ未熟者ですが、今後ともご指導、ご意見のほどよろしくお願いいたします。
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