援助者が「当事者性」を有することの意味

公開日: 2011/12/04 MSW SW解体新書制作委員会 キャリアデザイン


先日、Twitter上で「学生時代にうつ病など精神疾患を患い、その経験を経てソーシャルワーカーとして働いている人の話を聞きたい。元自傷者で現PSWの人の話が聞きたいです」という話が出ました。


対人援助職に就いている、就こうと思っている人の中には「援助の対象になった・なったかもしれない」という「当事者性」を有している方もいます。「当事者性」は私自身も有しているタグであり、今後も考えていきたいひとつの大きなキーワードです。


記念すべき?100エントリ目となる本エントリでは、『援助者が「当事者性」を有することの意味』について記していきたいと思います。



援助者が有する「当事者性」は諸刃の剣だなんてよく言うのですが、その意味は以下の簡単なロジックで言い換えられる、と私個人は考えています。


援助者が「過去の経験という獣」(当事者性)を飼い慣らしながら、現場に立つ時、そこには過去の経験という獣を呼び起こす要素が散乱しています。端的な例を挙げれば、「がんで親族を亡くした人ががん患者のケアに携わる、精神疾患を有している人が精神医療の現場に携わる…など、自らの経験と大幅にリンクする現場に援助者として携わる際に、自らの経験を燻らせ、暴発させる要素が現場にはたくさん存在するということです。


上記により、援助者が「過去の経験という獣」(当事者性)を飼い慣らしながら、現場に立つ時、そこには過去の経験という獣を呼び起こす要素が散乱して、それを退けるだけの「語り直し」というカウンターを有していなければ、容易に「過去の経験と言う獣(当事者性)」は暴れだし、援助者を食殺す、という比喩的なロジックが導かれます。


「過去の経験と言う獣(当事者性)」に食い殺されないようにするには、徹底して「ストーリーの語り直し」というカウンターを磨き、「援助者としての屋台骨」を確立していくほか無いのです。だから、「当事者性は諸刃の剣」だと語られるのです。


以上が、「当事者性」は諸刃の剣だ、論の正体です。


「当事者性」という獣に食い殺されるか、それとも、それに抗することのできる援助者としての屋台骨を得るか。「当事者性」を有し現場に立つということは、この両者のどちらかを選ぶしか許されないという茨の道なのだと思っています。


私自身はとあるソーシャルワーカーとの出会いのお陰で、幸運にも今現在は「当事者性」を叫ぶ必要がないほどに、学生時代に叫ぶ尽くすことができました。だから、今こうして、ソーシャルワーカーとして現場に立つことが出来ているのだと思っています。


だから自分はお偉い学者さんのように「当事者性」を肯定も否定もしません。


そこに覚悟があればそれでいい。自身の「当事者性」が対象者に不利益を及ぼさないという覚悟さえあれば、当事者性なんぞ、ただの言葉の羅列にすぎない。


以上を学生さんに伝えておきたいと思います。



そう断言できるのは、私自身が当事者性を有し、同時に覚悟を以て現場に日々立っているソーシャルワーカーだと自分に意味付けをしてあげられるからであり、そしてそのことを自覚するからこそ、「過去の経験と言う獣(当事者性)」に食い殺されないために、日々、徹底して「ストーリーの語り直し」というカウンターを磨き、「援助者としての屋台骨」を確立していこうともがいているのです。


100エントリから200エントリに今後達したとき、私自身の「援助者としての屋台骨」がより一層確立されたものになっているでしょうか…?答えは未来の自分のみぞ知る…。


5年後の自分に恥じないように、これからも自身の実践を言語化し続けていきたいと思っています。





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