転院援助にソーシャルワーカーが関わる意味について考える
病院のソーシャルワーカーが担う業務のひとつに「転院援助」があります。(私自身はこの呼び名は好きではないのですが、本エントリで取り上げる都合上、一般的な「転院援助」の表現を用います。)
今の日本の医療制度上、「転院」はひとつの避けられない現実です。
急性期、回復期、慢性期。医療機能の分化により、ひとつの病院で全ての機能を完結することが出来ないことは今のところ変えられない現実だということは同業者であれば自明の理でしょう。
「もっと長く入院していたい」
「転院したくない(させたくない)この病院にずっと入院させてほしい」
という患者さん家族の訴え。
「この患者さんは治療は終わったのだから、病院に入院している必要はない。あとは介護の問題でしょ」
「家族が面倒みれないから、病院に入院させてほしいなんて納得できない。介護施設にいくべきだ。」
という医療機関側の論理。
患者さん家族のニーズ
(厳密に言えば、もっと長く入院したい、というのはニーズではないのですが便宜上そうしておきます)
ソーシャルワーカーの所属機関である病院の論理
両者の間に存在するジレンマとともに仕事をせざるを得ないのもまたソーシャルワーカーの仕事の現実だと思います。
前振りが長くなりましたが、
転院援助について考えたとき、患者さん家族に対し病院を紹介するだけであれば、極論事務員でもできる業務であるはず。ではなぜその業務をソーシャルワーカーが担う必要があるのかということをソーシャルワークの職業的価値にひきつけて記していきたいと思います。
病院機能の分化による転院は「患者さん家族の社会的背景と、日本の医療制度とが複合的に絡み合った上で辿り着く結論」のひとつに過ぎません。ソーシャルワーカーが転院援助を「病院の都合を優先する、患者さん家族のニーズに沿えない業務」と考えるのは、「転院をする」という結論しか見えていないからなのだと思います。それは少々浅はかすぎやしないでしょうか。
私が言いたいのは、それが現実だからとドライに割り切れということではなく、転院援助に限らず全ての業務において、
「どうすれば、他者が取って代わることの出来ない現実に対峙しなければならない患者さん家族がその現実に主体的に参画していけるか」つまりは、「自分自身のストーリーを、自分自身の問題として定義し直し、そこに主体的に関わっていけるか」
というプロセスに対して、医療チームの中で音頭をとって関わることができるのがソーシャルワーカーなのではないか、ということです。
病気になってしまった。
大きな障害が残ってしまった。
病気が見つかったけれど、もう治療の施しようが無い状態と言われた。
なんで病気になってしまったんだろう。どうして…
自分の管理が悪かったのだろうか。もう少し早く病院にかかればよかった。
家族として、きちんと本人のカラダを気遣ってあげられなかったからこんなことに…
え。もう退院なんですか。
え。病院を移らなければならないんですか。
突如訪れる病気や怪我。それに付随する社会的な心配事。
それらに対する整理がままならないまま、「次のことを考えましょう」と要求する日本の医療制度。
「患者さん家族のペースに沿った自己決定をしてもらいながら、病気と向き合い、自分たちの生活設計を再度考え直していくことのできる時間」を現在の日本の医療制度は優しく準備はしてくれません。
でも、だからこそ、そういった現実こそが、ソーシャルワーカーが転院援助に限らず、病院に配置され、患者さん家族に関わる「より一層の」意味を生むのです。
他者が取って代わることの出来ない現実を、「病院のせい。国のせい。誰かのせい」とするのではなく、
今、目の前にある確かな現実に対して、どう向き合っていくか
そして、その先の未来をどう歩んでいくのか
上記の命題についてソーシャルワーカーと患者さん家族が「恊働作業」を成す上で必要なのは、
「患者さん家族が対峙している現実を「共に」多角的に捉えなおし、患者さん家族が現実に付随する様々な事象を含めたモノゴトを再構築し、そこに意味を持たせるという時間」に寄与する、という「意図的な関わり」なのだと思っています。
「あのとき、あれだけ考え抜いたのだから、きっとあの決断でよかったんだよね」と、患者さん家族が少し先の未来から、現在を振り返ったときに、少しでもそう思えるような人生のプロセスを歩めるように。
そのプロセスを恊働作業で「創っていく」
私自身は、そこに職業的価値を置いています。
ですから、転院援助をルーチンな業務だとは考えません。
転院はさまざまなプロセスを経た、ひとつの結果なのです。
医療機関で患者さん家族に関わることのできる時間はとても短い。
その中で得られた「恊働作業」の先に辿り着いたひとつの結果。
そのひとつが「転院」だった。ということなのです。
そして、その先も患者さん家族の人生は続いていくのです。
ソーシャルワーカー自身が、自らが仕事を成す上で、大きな枠組みとしての職業的価値を形作っていくことができないと、対人援助職としての方向性を見失ってしまいます。
こればかりは、自分で考え抜いて、得ていくしかないのです。
誰も教えてはくれない。借り物の言葉(価値)を身にまとったとしても、それが自分で傷ついて勝ち得たものでなければ、職業的な自分を支える屋台骨にはなってくれません。
だからこそ、考え、感じたことを言語化するプロセスを大事にしたいと思っています。
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