大切なあの人に向けて手紙を書こう

公開日: 2011/08/07 思索 読書記録

表題の通り、手紙を書くということについて、あえて少しノスタルジックな考えを表してみようと思います。ここ半年間で、何回手紙を書いたかと数えてみると片手の指だけで収まることに気づきちょっと寂しくなったここ最近です。


手紙は、相手からすぐに返答をもらいたいことを伝えるには効率が悪い。まず、紙とペンを用意しなければならないし、遠方の人に送るのであれば、封筒も切手も必要になる。


書くということに時間がかかる。
投函してから相手に届くまでにも時間がかかる。


そう考えると、タイムイズマネーの忙しい現代人には最も削ぐわないコミュニケーションツールに違いありません。手紙は時間を無視できる「無時間モデルのコミュニケーションツール」としてのメールには到底勝てないわけですから、「すぐに返事が欲しい」ということが優先される事項については、手紙を書くという行為は採用されにくくなってきているのだと思います。ちなみに「無時間モデル」については内田樹さんの表現を拝借したものです。





手紙はメールと違って、コピーアンドペーストもできませんし、一度書き入れた文章を入れ替えるには、その紙を破り捨てないといけません。ビジネス以外であれば、メールは、感情としての記号添付だって絵文字で簡単にできてしまいます。色々な言葉が定型句のように、簡単に打ち込め、コミュニケーションの効率をあげ、そしてなんてことない日常の羅列であったとしても、日々自分の意を表現するという練習にもなっているという側面もあるように思います。


手紙とメールを比したものはたくさんありますが、では、手紙はどんなときに採用されるのか?


「自分の確かな思いを相手に伝えたい」というときではないかと私は思っています。


そういった、時間がかかっても、確かなかたちで、自分の意をきちんと伝えたい、という思いが先行するとき、手紙を書くという行為を選択するのだと思います。そして、手紙で思いを伝えるという行為は、手紙を受け取った方の「時間の在り方」をとても大切にし、尊重する行為でもあるのだと思います。


「相手の時間の在り方」をとても大切にし、尊重する行為とは?


対面のコミュニケーションにおいては、相手という他者がその空間に存在することが前提条件となるため、自分の意とすることがどのように相手に伝わったかということを判断する材料がそこには常に存在します。これは言い換えれば、自分から投げた、そして相手から投げられた言葉について、常にレスポンスを求め、求められるという「無理矢理なキャッチボール状態」となることも大いにあるわけです。


前述したように、とにかく手紙で思いを伝え合うという行為はとにかく時間がかかります。


「相手の元に届き、自分の思いが伝わるまでにかかる時間」
「相手が手紙を受け取り、読み、感じ、思い、返信をしたためるという時間」


手紙で思いを伝えるという行為において、時間がかかるということはその行為にかかる時間という意味の他に、その行為の延長線上に想像力を育む時間がある、という意味でもあるのです。


相手に伝えたい思いを紙に文字としておこし、それを読み返し、改めて自分の相手への思いを再認識する。それにより、「こう伝わってほしい」、「こうありたい」という自分と相手の関係性を想像の中で育てていくわけです。



時間がかかるということが、想像力を育む時間となり、それが手紙で思いを伝えるという行為を「相手の時間の在り方」をとても大切にし、尊重する行為たらしめている理由なのだと思います。


手紙を書く人のほとんどは「相手の時間の在り方」を大切にしようとか尊重しようと意図して手紙を書くわけではないと思うのですが、それが結果として、「相手の時間の在り方」を尊重することになるというのは、手紙を書くという行為にかかる時間の延長線上に想像力を育む時間があるのだからだと思うのです。


「秋の夜長には、大切なあの人に向けて手紙を書こう。」


そんなキャッチコピーを胸に、これから訪れる秋に少しだけワクワクするのでした。
って、今日もジメジメ湿気モードなんですけど、ね。



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