価値創出格差社会
先日のアンケートにてご意見いただいた皆様どうもありがとうございました。
やはり経験年数5年未満のソーシャルワーカーさんが多く、ご意見というより励ましのコメントを頂き、元気が出ました。またお返事をおいおいさせて頂きます。ありがとうございました。まずはお礼まで。
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自殺:就活難航で大学生の自殺者が倍増 10年警察庁統計 - 毎日jp(毎日新聞)
就職できない=「お前は社会において必要ない」という価値観のフレームが人を殺す。
世間様という価値観からの逸脱を繰り返す中で、その価値観に抗う新たな価値の創出ができなければ、世界からのフレームアウト=自分がいなくても廻って行く世界が成立してしまう。
不登校、引きこもり、就職できずに自殺を選ぶ学生・・・
様々な要素はあれども、おそらく、みな、世間様からの価値観からの逸脱を繰り返す中で、抗い切れずに、「世界からのフレームアウト=自分がいなくても廻って行く世界の成立。」を自身の中で完結させてしまったのだろうと思う。
価値は創出するか、付与されるか(生まれたときから違和感もなくそこに存在していたもの)のどちらかしかない。
価値の創出においても格差が生じているのでは?最近そんな疑問を抱くようになった。「価値創出格差社会」と呼ぶのがふさわしいのかはわからないけれど、少し記しておきたい。
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人間の防衛機能としての価値創出のひとつとして、
「世界からのフレームアウト=自分がいなくても廻って行く世界の成立。」を防ぐために、人は「最低な自分」という価値を創出する。世界からのフレームアウトラインギリギリに位置する「最低な自分」という価値を創出することで、「アイツ(最低な自分)よりはマシか」と、フレーム内に留まることができる。これはある種、解離(連帯から脱連帯、脱社会へ)とも呼べる。
http://wish0517.blogspot.com/2011/01/blog-post_12.html
「世界からのフレームアウト」の対局に位置するのは「真の孤独(欲望の存在しない世界)」
世界からのフレームアウト
=自分がいなくても廻って行く世界の成立=自身の存在の否定
真の孤独(欲望の存在しない世界)
=他者の存在しない世界の成立=他者という存在の否定
世界からのフレームアウトを防ぐための価値創出には
(最低な自分という価値の創出)・・・防御的
(真の孤独=他者という存在の否定)・・・攻撃的
という、内に向けられた防御的な価値創出と、外に向けられた攻撃的な価値創出の2つがあるのではと思う。
『自身の存在の否定を 「否定する」 ための 最大の武器は 他者という存在の否定』
「就職できない自分は生きている価値のない人間だ。いっそのこと死んでしまおう」
「就職できない。派遣切りにあった。結婚できない・・・。
自分自身が存在しなくても廻っていく世界の成立を許すくらいなら、自分を世界からフレームアウトさせようとする他者(たちがつくりだした自分を苦しめる価値観)を否定して(殺してして)しまおう。」
という論理で語られる事実たちを最近よく耳にするのは
世界からのフレームアウトと、真の孤独(欲望の存在しない世界)の間に、幾重にも存在するはずの、自らの存在意義を確実なものとして感じさせてくれる「クッション材としての価値観」たちの疲弊、崩壊が起きているからに他ならない。クッションがなければ、「自分という存在の否定」、「他者という存在の否定」は足枷を外され、自由になることができてしまう。
といったことを考えると、日本社会に古くから存在していた、家族、会社、地域社会などが与えてくれていた「家族のために生きる」「会社のために生きる」などの疲弊した価値観たちに代わる、緩衝材としての「新たな価値創出」が出来る人間、出来ない人間の「価値創出格差」が生じてくるのは当たり前のことのようにも思う。
「価値創出格差」を考える上で、以下の3つのキーワードがヒントを与えてくれるのではと考える。
①主体化(サブプレイヤーからメインプレイヤーへ)
②他者との連帯
③価値創出のプラットフォーム
①主体化(サブプレイヤーからメインプレイヤーへ)
自分が対峙する現実を言語で切り取ることで、自身の人生に整合性を持たせてあげることができる(メインプレイヤー化する)ことは新たな価値創出の大きな力になる。サブプレイヤーは「誰かが付与してくれた、用意された価値観」に乗っかるしかない。考え、能動的に人生に参加していく、人生を創り上げていくというイメージを持つことで、サブプレイヤーからメインプレイヤーへのシフトチェンジは、現代のフリーランスの人などの働き方の多様化をみると、労働の面では既に起こっているように思う。
②他者との連帯
世界からフレームアウトしては承認欲求を満たすことはできない。承認は、他者に認めてもらたいという欲求ゆえ、「承認してくれる他者」が必要となる。緩やかな繋がりによる「承認してくれる他者」はあくまで受動的で防衛的に機能するものあって、新たな価値創出までには至らないのだろうと思う。
他者と同様の目的に向かい、行為や結果に対して共に責任を負う関係を「他者との連帯」とするならば、メインプレイヤー同士が連帯しあうことで、より多様化した価値創出が可能になるのではと思う。
③価値創出のプラットフォーム
①、②の先に繋がる大きな物語は「生きる意味」という価値に他ならない。メインプレイヤー化し、考え、能動的に人生に参加していく、人生を創り上げていくというイメージを持つこと。他者と連帯することで、累乗的に「生きる意味」という価値は増加していく。増加し積みあがった価値は、時間の経過と共に、新たな価値を生み出し続けるプラットフォームと化す。それはある種の共同体のようなものとして現れるかもしれない。
価値創出格差社会では、
世界の登場人物の一人でしかなかったサブプレイヤーたちが、メインプレイヤー化し、他者との連帯を通し、新たな価値を生み出し続ける共同体を創出する。これは緩衝材としての価値を通り越し、社会に新たな価値を生み出し続けるプラットフォームとなる。
サブレイヤー化から脱することの出来ない、他者との連帯が出来ない人々は、疲弊した価値観たちにすがりつき、「自分という存在の否定」、「他者という存在の否定」の足枷が外れしまう恐怖と闘わなければならない。
という格差が生じている。
過去には戻れない。
今、そしてこれからの未来を、どんな未来にしていくのか。
就職できない=「お前は社会において必要ない」という価値観のフレームが人を殺す時代の終焉は訪れるのか。
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「ソーシャルワーク言語化のススメ」:メールマガジン刊行中です。
Social Workers Books Store:ソーシャルワークに関する書籍をあつめました。
やはり経験年数5年未満のソーシャルワーカーさんが多く、ご意見というより励ましのコメントを頂き、元気が出ました。またお返事をおいおいさせて頂きます。ありがとうございました。まずはお礼まで。
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自殺:就活難航で大学生の自殺者が倍増 10年警察庁統計 - 毎日jp(毎日新聞)
就職できない=「お前は社会において必要ない」という価値観のフレームが人を殺す。
世間様という価値観からの逸脱を繰り返す中で、その価値観に抗う新たな価値の創出ができなければ、世界からのフレームアウト=自分がいなくても廻って行く世界が成立してしまう。
不登校、引きこもり、就職できずに自殺を選ぶ学生・・・
様々な要素はあれども、おそらく、みな、世間様からの価値観からの逸脱を繰り返す中で、抗い切れずに、「世界からのフレームアウト=自分がいなくても廻って行く世界の成立。」を自身の中で完結させてしまったのだろうと思う。
価値は創出するか、付与されるか(生まれたときから違和感もなくそこに存在していたもの)のどちらかしかない。
価値の創出においても格差が生じているのでは?最近そんな疑問を抱くようになった。「価値創出格差社会」と呼ぶのがふさわしいのかはわからないけれど、少し記しておきたい。
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人間の防衛機能としての価値創出のひとつとして、
「世界からのフレームアウト=自分がいなくても廻って行く世界の成立。」を防ぐために、人は「最低な自分」という価値を創出する。世界からのフレームアウトラインギリギリに位置する「最低な自分」という価値を創出することで、「アイツ(最低な自分)よりはマシか」と、フレーム内に留まることができる。これはある種、解離(連帯から脱連帯、脱社会へ)とも呼べる。
http://wish0517.blogspot.com/2011/01/blog-post_12.html
「世界からのフレームアウト」の対局に位置するのは「真の孤独(欲望の存在しない世界)」
世界からのフレームアウト
=自分がいなくても廻って行く世界の成立=自身の存在の否定
真の孤独(欲望の存在しない世界)
=他者の存在しない世界の成立=他者という存在の否定
世界からのフレームアウトを防ぐための価値創出には
(最低な自分という価値の創出)・・・防御的
(真の孤独=他者という存在の否定)・・・攻撃的
という、内に向けられた防御的な価値創出と、外に向けられた攻撃的な価値創出の2つがあるのではと思う。
『自身の存在の否定を 「否定する」 ための 最大の武器は 他者という存在の否定』
上記は人間の最大の矛盾を有しているように思う。
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「就職できない自分は生きている価値のない人間だ。いっそのこと死んでしまおう」
「就職できない。派遣切りにあった。結婚できない・・・。
自分自身が存在しなくても廻っていく世界の成立を許すくらいなら、自分を世界からフレームアウトさせようとする他者(たちがつくりだした自分を苦しめる価値観)を否定して(殺してして)しまおう。」
という論理で語られる事実たちを最近よく耳にするのは
世界からのフレームアウトと、真の孤独(欲望の存在しない世界)の間に、幾重にも存在するはずの、自らの存在意義を確実なものとして感じさせてくれる「クッション材としての価値観」たちの疲弊、崩壊が起きているからに他ならない。クッションがなければ、「自分という存在の否定」、「他者という存在の否定」は足枷を外され、自由になることができてしまう。
といったことを考えると、日本社会に古くから存在していた、家族、会社、地域社会などが与えてくれていた「家族のために生きる」「会社のために生きる」などの疲弊した価値観たちに代わる、緩衝材としての「新たな価値創出」が出来る人間、出来ない人間の「価値創出格差」が生じてくるのは当たり前のことのようにも思う。
「価値創出格差」を考える上で、以下の3つのキーワードがヒントを与えてくれるのではと考える。
①主体化(サブプレイヤーからメインプレイヤーへ)
②他者との連帯
③価値創出のプラットフォーム
①主体化(サブプレイヤーからメインプレイヤーへ)
自分が対峙する現実を言語で切り取ることで、自身の人生に整合性を持たせてあげることができる(メインプレイヤー化する)ことは新たな価値創出の大きな力になる。サブプレイヤーは「誰かが付与してくれた、用意された価値観」に乗っかるしかない。考え、能動的に人生に参加していく、人生を創り上げていくというイメージを持つことで、サブプレイヤーからメインプレイヤーへのシフトチェンジは、現代のフリーランスの人などの働き方の多様化をみると、労働の面では既に起こっているように思う。
②他者との連帯
世界からフレームアウトしては承認欲求を満たすことはできない。承認は、他者に認めてもらたいという欲求ゆえ、「承認してくれる他者」が必要となる。緩やかな繋がりによる「承認してくれる他者」はあくまで受動的で防衛的に機能するものあって、新たな価値創出までには至らないのだろうと思う。
他者と同様の目的に向かい、行為や結果に対して共に責任を負う関係を「他者との連帯」とするならば、メインプレイヤー同士が連帯しあうことで、より多様化した価値創出が可能になるのではと思う。
③価値創出のプラットフォーム
①、②の先に繋がる大きな物語は「生きる意味」という価値に他ならない。メインプレイヤー化し、考え、能動的に人生に参加していく、人生を創り上げていくというイメージを持つこと。他者と連帯することで、累乗的に「生きる意味」という価値は増加していく。増加し積みあがった価値は、時間の経過と共に、新たな価値を生み出し続けるプラットフォームと化す。それはある種の共同体のようなものとして現れるかもしれない。
価値創出格差社会では、
世界の登場人物の一人でしかなかったサブプレイヤーたちが、メインプレイヤー化し、他者との連帯を通し、新たな価値を生み出し続ける共同体を創出する。これは緩衝材としての価値を通り越し、社会に新たな価値を生み出し続けるプラットフォームとなる。
サブレイヤー化から脱することの出来ない、他者との連帯が出来ない人々は、疲弊した価値観たちにすがりつき、「自分という存在の否定」、「他者という存在の否定」の足枷が外れしまう恐怖と闘わなければならない。
という格差が生じている。
過去には戻れない。
今、そしてこれからの未来を、どんな未来にしていくのか。
就職できない=「お前は社会において必要ない」という価値観のフレームが人を殺す時代の終焉は訪れるのか。
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