関係性の喪失された社会で

公開日: 2010/12/24 思索 社会問題

人間は社会的な生き物だから、常に自分以外の誰かとの「繋がり」を欲している。それは何人たりとも否定できない事実であるように思う。
誰かと「繋がっている」ということが、人にもたらすものは何か。
仕事上で出会った二人の路上生活をしていた人の話と、個人的な経験を踏まえて、そのことについて少し考えてみたい。
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先日、路上生活をしていたおじいさんが脳梗塞で入院をしてきた。
自分が担当となり、回復期のリハビリテーション病院への転院を話を進めていた。路上生活で帰る場所がない、かつ生活保護という社会的背景がネックとなり、やっとこ見つかった受入先。遠方のため、先方の地域連携の担当者が本人に会いに来てくれた。
その際の一場面。
「リハビリをして退院したらどこで生活がしたいですか?」とその担当者が問いかけた後、本人は「リハビリして元気になったら、あそこ(もといた路上)に戻りたいんだ」と答えた。
地域連携の担当者の方は、面接が終わった後、困惑気味の表情で、「路上に戻るなんて理解できない。そんなことはさせられないですよ。やっぱり自由気ままに、がいいんですかね」とこぼしていた。
自分の抱いた考えは正反対だった。「そうだよな…」と素直に納得してしまった自分がいた。そして、それは自らの個人的な経験がそうさせていることにも気が付いていた。
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交通事故でウチの病院にやってきたおじいさん。路上生活歴は20年弱。空き缶を潰して、換金し、ガード下で生活をしていた。
生活保護を申請し、治療を安心して受けられる状況にあったけれども、ある日突然、離院し、病院に戻られなかった。入院数か月目のことだった。
先日、とある区の職員から電話がかかってきた。
「役所近くの公園に路上生活をしている人がいると、区民から役所に電話があり、本人の元で話を聞きに行ったところ、治療途中でそちらの病院を退院してきたと聞いた。詳細を教えてほしい」

結局紆余曲折を経て、本人はうちの病院の外来を受診しに戻ってきた。
少し悪びれた様子で、「迷惑掛けて悪かったね」と。
でも、表情は入院中よりも全然明るかった。
「○○さん(本人が懇意にしていた路上生活の仲間)に会ってきたんですか?」と聞くと、
「おう。病院を出て○○がいたところにいったら、きれいさっぱり片づけられてていなかったけれど、近くを少し探してたら、会えたんだよ。あいつ、オレが死んだと思ってたらしい」と嬉しそうに笑っていた。

きっと同じような表情で、○○さんとも笑い合っていたんだろうと、思った。

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治療途中で、路上生活に戻ったおじいさん。
治療、リハビリが終わったら、元いた場所(路上)に戻りたいと言ったおじいさん。
お二人とも元々は仕事も有り、屋根のあるところで生活をしていた。
色々な出来事があり、路上生活をせざるを得ない状況に陥っていった。
お二人が、暖かくて、雨露しのげる寝床と1日三度の暖かい食事よりも、路上生活に戻ることを望むのは、自由気ままに、であるとか、そういう価値観を持っているとか、そういった薄っぺらい文脈で語られるものではなく、
大切な人たちとの繋がりを絶ち、絶たれた先にある「孤独」
そして、新たに構築してきた「繋がり」、「居場所」
それが失われてしまったら、再び取り戻すことが難しいということを身体が痛いほど知っているからこそ、「衣食住【だけ】が満たされる」ということよりも、「自分にとって大切な、大切にしてくれる誰かとのつながり」を選びたいと思うのではないか、と。

当たり前の日常の尊さという儚さを、それを失ったことのある人は、わかってしまっている。わからずにはいられなくなってしまっている。
「またあそこに帰りたい」と言った言葉には
「また、(みんなのいる)あそこに帰りたい」
という意味が込められているように思えた。

だから、「ああそうだよな」とすんなり、素直に腑に落ちてしまった。
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「ああそうだよな」とすんなり、素直に腑に落ちてしまった。という理由を誰かに理解してもらうには、個人的な経験を語ることなくしては難しい。

過去の経験を語るということは、過去の経験がストックされた未整理のボックスから、検索し、抽出し、脚色、ときにショートカット可能な、語り手にとっては、「語り直し」とでも呼べる作業でしかない。

けれども、「語り直す」ということには「経験に付する意味の書き換え」という作用がある。

人が、経験を時間の流れの中に置いて見ることができるのは、なんとなく今は語ることができない何かがあることを知っているからであって、

経験を時間という箱物に放り込み、新たに得た価値観や思考の枠組みにより、味見(語り直し)をしては、少しずつ、味を足して(意味付けを書き換え)いく。
語り直しをしながら、意味づけを書き替えていくことで、個人が、自身の「過去」、「現在」、「未来」を連続的なストーリーとして、自分のものとして主観的に解釈することが出来る。
つまりは、自分自身の人生にある種の整合性のようなものを持たせる際に、過去の経験を語り直す、という作業は必要不可欠となる。

簡単な例で言えば、個人的な経験について

「昔は〜と思ってたけど、〜ということがあり、今は〜と思ってるんだ。」

というように語られるとき、そこには語り直しによる、意味付けの書き換えが行われている。


自分がこのように書いていることについても、時間の流れと共に語り直され、意味付けの書き換えが行われている。だから、時間が経ち読み返しても、何言ってんだよ、と思うこと多々なわけで。
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ということを前提として、個人の経験を語ってみる。
中学生のころ、入院していて学校に行けなかったとき、病院の中にある養護学校の先生が、学校としてパソコンを貸してくれて、初めてインターネットの世界に触れた。勉強なんてするはずもなく、当時はやっていたテレビゲームを攻略するサイトに日々入り浸った。そのサイトにはゲームの攻略情報の他に、チャットルームがあり、そのチャットルームを介して、日々、インターネット上のコミュニケーションに明け暮れた。

チャットルームの常連と知り合い、そして自分も常連のメンバーの一人になるまでに時間はかからなかった。ハンドルネームで呼び合う顔の見えない関係。
中学生から高校生まで、6,7名の人たちと仲良くなり、日々学校での出来事や、進路、勉強のこと、ゲームのことを語り合った。互いを気遣ったり、思いやったりということは、文字に温度を与えた。

学校の友人も心配して手紙をくれたり、面会に来てくれたけれども、嬉しい気持ちが半分、どうしようもない劣等感、そして孤独感が残った。今思えば、14歳の自分がそれを回避することは不可能だった。

病院という世界に隔離されたことで、「自分がいなくても世界は回っていくんだ」という、様々なイベントを経て、徐々に子どもが得ていくべき全能感への挫折を、急激に一気に経験することになってしまった。隔離された世界の外で「自分がいなくても回っていく世界」が自分の視界から流れ、フレームアウトしていく、というどうしようもない孤独を和らげてくれたのは、間違いなくハンドルネームで呼び合う顔の見えない関係の人たちだった。

今思えば、みな、現実世界で何かしらの問題を抱えているような子どもばかりだった。でも、だからこそ、ある種の情緒的な繋がりを一時的に疑似的に得られる装置として、チャットルームでのコミュニケーションは機能していた。

リアルタイムでやり取りされる言葉たち。文字だけのコミュニケーションであっても、やり取りされた時間が互いの関係を築き、6,7名がひとつのクラスのように思えた。その後、ICQでのやり取りが続いたりしたけれど、高校に入ったころには、いつもの溜まり場であったチャットルームに顔を出すことはなくなっていた。

それは、自分自身を奮い立たせて、現実世界のコミュニケーションを得ていかなければならない、という小さな決意をしたからだった。その後、人間関係を築くためのコミュニケーションのリハビリの時間が続いたのだけれど、それは今回の話から外れるので割愛する。


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誰かと繋がっている、という刹那的な何か。その刹那的な何かが、「自分がいない世界」から「自分が存在する世界」へ繋ぎとめてくれる。自分が存在しているんだ、という実感を他者からの承認により得られるところ。それこそが居場所と呼べるのではないか、と。

誰だって、屋根がある雨露しのげる場所で、身の危険に怯えることなく眠りにつき、温かい食事を食べて、毎日過ごせるほうが、満たされるだろう。でも、いくらそれらが満たされていたとしても、困ったり、苦しかったり、自分だけではどうしようもできないことに出会ったとき、誰も助けてくれない世界は、あまりに哀しく、つらい。

誰かと繋がっている、ということが、人にもたらすものは、そこにいてもいいんだよ、そこにいてほしいんだ、という、誰かから承認される心地よさ、安心感、そして自己肯定感を与えてくれる。だから、頑張れる。だから頑張ろうと思える。


おっちゃんの

「退院したら、(みんなのいる)あそこ(路上)に、戻りたい」

の一言が、深く心に突き刺さる12月。


それは、季節のせいだけでは、決してない。




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