もちつもたれつの理解

公開日: 2010/11/24 思索

「彼氏が仕事とかで落ちてるとき、声をかけてあげたいじゃん。でも、彼って強がりだから、あんまり口に出さないのよね」

隣の席で、ガールズトークをしている20代半ばの女性2人の会話から聞かれた一言。その一言を聞いて、以前に友人カップルから聞いたあるエピソードを思い出しました。

ある日、友人が彼氏と散策デートをしていたら、会社から電話がかかってきて、彼女は彼氏から少し離れた。電話の内容は上司から仕事のミスの指摘、取引先に対する対応をどうするか、というもの。20分後、彼氏の元に戻ると、彼氏がお疲れとひとこと言って、ほっとレモンの缶を手渡してくれた。少し生ぬるくなったほっとレモンを両手に持ちながら、なんだかすごい幸せな気持ちだった、と話す彼女。

断片的に聞こえてくる会話の内容と彼女の雰囲気から仕事で何かあったろうことは想像できた彼氏は、温かいもので、ほっとしてほしいと思ったかどうかは定かではないけれど(笑)、お疲れという言葉とともに、温かいものを手渡した。彼氏のその行動から、彼女は彼氏の想いを読み取り、解釈し、幸せな気持ちに浸ったという、まぁ単なるよくあるのろけ話なんですが、

ぼくはその話を聞いて、2人の関係が順調なんだなということを感じるとともに、『相手の言動に込められた意味を、受け取った側が補完的に理解する』ということについて考えさせられたのです。


おそらく「お疲れ」の言葉だけでは、彼女は「癒された」とそのエピソードを語ることはなかったのではと思います。彼氏のさりげない優しさを彼女が補完的に理解出来たからこそ、癒された、と感じることができたのだと思うのです。

ここでいう補完的な理解とは、相手の言動に込められた意味を、受け手が引き受け、相手が意図するところになるべく近い意味で共有しようとするために行われる意識的、無意識的な思考のことを指すことにします。簡単に言えば、「持ちつ持たれつの理解」みたいな感じです。相手の言動の意味を、相手任せではなく、受け手自らが能動的に得ていこうとする(解釈しようとする努力姿勢みたいな。)姿勢でもあります。


言葉の文字ヅラだけではない、そこに含まれる、表出されるに至った経緯が、関係性の中において補完的に理解されるとき、癒されたり、救われたりするというのはよくあることで、補完的に理解される、ということは、相手が自分に投げかけられた言動が、相手のどんな理由や想いから生じたものかということが、イメージできた上で受け取ることができる、もしくは受け取り、イメージできるということであって、そう考えると、相手との関係がどのようなものかによって、または自分にとって、相手がどのような存在かによって、補完的な理解の幅は変わってくるのだと思います。

「きっとこの人は〜という理由で、思いで、ぼく(わたし)にこう言ってくれてるんだろう。」

というように、人は相手から送られた文字面の意味するところに対し、補完的な理解を意識的、または無意識でしており、補完的な理解をする際に、採用するのはおそらく、(あのときこうしてくれた)とか、(あのときはああだった)というような、蓄積された過去の経験からなるデータベースであって、特に家族や恋人、付き合いの長い友人などは、基本的に蓄積されたデータベースのデータの量は多いし、心地良いものが多いと想像できます。


つまりは、この人ならわかってくれる、というような風に語られるプラスの補完的な理解が無意識のうちに働くような関係性である場合、両者の関係は良好であると言えるのだと思います。


だから、彼女も、彼氏と付き合う中で蓄積されてきたデータベースから、手渡されたほっとレモンに込められた意味を、「わたしに対する淀みない愛情(笑)」という補完的な理解の枠組みを採用し、彼氏の言動を受け取ったから、

「すごい癒された」「すごい嬉しかった」

と言えたわけであって、補完的な理解の枠組みは、相手との関係性のデータベースから構築、構成されるものなので、相手の言動に不信感や、不快感を感じるのであれば、それはそのとき、その場、に生じている要因のほかに、関係性のデータベースにある、過去のデータからも、影響を受けているのだ、ということだと思うのです。

仮にもし、彼の言動に疑問符を日々付けざるを得ないような関係だとしたら、彼の言動に対して、素直にプラスの補完的理解を働かせることはできないと思うのです。

誰に対しても全力で真摯に向き合うことは、結果として、相手の自分に対するプラスの補完的な理解を発動するためのキーになる。

これは、ソーシャルワーカーとして患者さん家族に対峙している際にいつも思うことです。

ですが、患者さん家族に全力で真摯に向き合うためには、自らの「容量」を知り、点検できる能力が必要不可欠です。自分の全体の容量のうちのどれくらいを対峙する人に対して向けることが出来て、それを阻害する要因はどのようなものがあるかという点検を自身に課さなければ、「容量」についての理解は自身の中で持ち物化されることはないと思っています。これって、けっこうなハードワークだなと思っています。


長くなったので、また改めて「容量」については書き記そうと思います。
明日は、有給です。とある理由で2か所の病院を見学してきます。機能が違う病院に見学に行くことはあっても、同じ機能の病院を見学する機会はあまりないので、色々と比較してこようと思います。


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