知識の先にあるもの
公開日: 2009/09/09 MSW
仕事で弁護士と司法書士に電話で相談をした。恥ずかしい話、言われた用語が理解できないものが多々あった。
なので色々と聞いてしまい、鬱陶しがられたかもしれない。
でも、わからないから相談してるんだよな。と冷静に考えてみたり…笑
にしても、先回りして知識を振りかざされて、なんだが相談したのに、自分が馬鹿だと言われているようだった。(ちょっと誇張表現だけど)
「まずは話を聞こう」という姿勢が感じられなかった。
相談の落ちどころが弁護士、司法書士には見えていて、必要なプロセスを経て、落ちどころに落とす、というベルトコンベアーに乗せられている感じがとてもした。
まぁ、輪番制の電話番だからモチベーションが低かったのかもしれないけど、そんなのこっちにとっちゃ関係ない!
色々な分野で「相談」を受けている仕事の人たちに共通するのは、
相手が持っている知識の量や、そのことについてどこまでの理解をしているのかということ等を図ることができないと、真にその人にとって必要な情報が適切な形で伝わらないという結果になる、ということのように思う。
「相手の土俵で話を聞き、話をする。」
そんな小さな心がけをするだけでも、相談をする側にとっては大きな大きな違いになると思うのだけどな。
その道のプロといわれるものであれば、「知識はあって当然」
それに加えて、相手の土俵に乗ることのできる技術も必要なのではと思う。相手がいる土俵がどこなのかを見極める技術も必要だ。
ソーシャルワークで言うところの「アセスメント」の部分かもしれない。
自分が知らない分野の勉強をはじめてみると、知識(単語)がなければ、文節が理解できない、という当たり前のことに改めて気づく。
最近ケーザイを勉強しているのですが、
例えば、戦後の興銀の復興金融部について書かれた記述で
「資金は復興金融債権の発行により、日銀がその全額を引き受けた。その結果年間で消費者物価が6倍になるという大インフレが発生した。」
という一文は、少し前であれば、恥ずかしい話、意味不明だった。
各単語の意味と、機関の役割と、時代背景がわかっていなかれば、この一分の意味は読み解けない。
きっとそれと同じようなことなんだろう。
自分に知識があり解決できることであれば、相談なんてする必要はない。
難解で、素人レベルでは容易ではない知識や技術を有する職業であるからこそ、モノではなく、知識や技術を提供するというサービスに対価が支払われるわけであって、最低限、その人の土俵に合わせた方法でサービスを提供することができなければ、プロの仕事とは言えないと思う。
知らないことを知る。その感覚を大事にする。
理解ができたら、知らなかったことを振り返り、改めて考えてみる。
自分の仕事における言葉に慣れてきたら、それをかみ砕く努力をする。
そういった忘れてしまいがちなことをきちんと大切にしたい。
そんなことを教えられた本日の電話でした。
[News]
介護型療養病床の削減を中止 民主政策集、施設増設は3倍速に
http://mediajam.info/topic/982885
さて、どうなるんでしょう。仕事柄気になるところです。