老いの空白
公開日: 2009/05/28 読書記録
哲学者鷲田清一さんの著作。
以下本書より抜粋。
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<老い>は(ひとりひとり別の人生を歩んできたがゆえに)人がますます多様になっていく過程。性的な嗜好、コンプレックスは特にそうだ。「愛らしいお年寄り」か「惨めで痛々しい高齢者」とかいうふうに<老い>のイメージはますます貧相になっている。
<老い>はなぜ、それを語るときにまず「問題」としてしか浮き立ってこないのか。<老い>は<幼>とともに人生の一季節として誰にも訪れるものであるのに。
<老い>は今「養う者、養われる者」という二分的な社会的カテゴリーの中に収容されており、老いる者が受動的な存在であること(従順な愛らしい老人)であることが強いられている。要は高齢者はこの社会では受身であるしかない。
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「かわいいおじいちゃん」「癒されるおばあちゃん」
こう表現される方たちは、ケアを受ける際、少しくらい世話がかかっても人柄がそれを許すということは多々あるように思います。
仕事柄、病棟のスタッフから、口うるさい老人、要求の強い老人のことをさして「あの人はまだ退院にならないの?転院決まらないの?」と言われることが多々あります。ケアを受ける者はかわいらしくて愛嬌がなければ、受容されにくい。そういった社会が、鷲田清一氏の言う「老いのイメージはますます貧相になっている」という現実を作り出しているのかもしれません。
先日、食事介助に2時間かかるからという理由でデイサービスを断られた患者さんがいました。老人は、社会が用意した様々な枠に「あてはまること」ができなければ、途端にあぶれていくしかないのでしょうか。「老いのイメージ」という本書の一文と共に疑問を感じる出来事でした。