スーパーバイズ

公開日: 2009/05/24 MSW

仕事の振り返り方について考えてみた。


以前、心理社会的アセスメントの意味について気づき、面接において共有された情報を、言語化しチームに返していくことの必要性を痛感したとあるケース以来、いくつかのケースにおいて、インテーク(最初の)面接を逐語に起こし、インテークから、どうアセスメントを行っているのかを振り返り、各ケースを比較するということを続けてきた。


それを始めたのは、去年の夏以降。担当していたケースにおいて、ケアマネージャーがインテーク面接を行う場面に同席をする機会があって、それが大きなきっかけだった。 そのケースが終結した後に、漠然と振り返ったことがあって、そのときに自身の面接とケアマネージャーの面接を比較し、その違いについて、モヤモヤと言葉にできない思いがあることに気がついた。


そのモヤモヤを言語化することを目的に、自身のインテーク面接と、ケアマネージャーが本人・家族と顔わせをした日のインテーク面接の内容を逐語録におこした。 それらを比較をし、その中で、気づいた点を記し、自身が今後、アセスメントを、意図的に根拠をもって行うことができるよう、その力を養うためのケースの振り返り方等について検討をしたいと思い、上司にスーパーバイズをお願いした。



そういった振り返りをするようになってから半年が経った。 今日、上司とふとケースについて話をしていた際に、スーパーバイズ以来、面接において患者さん家族に対する「なんで?どうして?」という疑問のアンテナが働くようになったみたいな話をした。



例えば、「本人は1年くらい前から通院しなくなった」と家族が口にしたとき、その言葉に対してひっかかる「なんで、どうして」はたくさんある。 人はそのことが問題だと感じてはじめて、解決に向けた行動を起こすのだと思う。違和感程度では、それは問題化されず、日常生活に弊害が生じたり、何かが今まで通り立ち行かなくなったときに、それが問題だと「認識する」のだと思う。


極論、この例について言えば、通院しなくなった事実を家族が「問題化」し、何かしらの行動を起こしていれば、入院という結果にはならなかったかもしれない。 たった一言でも、そこにアンテナを張り巡らすことで、目の前にいる人の生活の様子や、物事の捉え方を知るヒントになる。 そしてそういった情報を、しっかりとチームで共有できる情報へ昇華することができれば、チームでのアプローチを行う上で有益なものになる。


「そろそろ次に行ってもいいんじゃないの?」 との上司の一言で、今後のスーパーバイズについて少し話し合い、上記に加え、アセスメントを行い、その後、チームに働きかけたアクションを振り返り、その行動の根拠、実際の行動、その結果どのようなアプローチが可能になったか、というようなことを振り返り、ケースごとに比較することにした。



新人であれ、キャリア3年目であれ、10年であれ、現場に立つ以上、責任が存在する。そしてまた、ソーシャルワーカーをプロフェッショナルと成らしめるための責任もまた、現場で働くすべてのソーシャルワーカーが担っている。そのことを肝に銘ずるべきだと思う。



言語化し、自身の実践を伝承可能なレベルにまで持っていくことは、ソーシャルワーカーたちに課せられた責任なのだと思う。 いつか自分が、後輩を指導する立場に立った時、彼(彼女)の資質で到達に3年かかるラインを、2年半に縮められるように(極論かもしれないが)、自身の実践を感覚的なものに依存するのではなく、きちんと言語化し、ソーシャルワークを伝達可能なものにしていきたい。それが出来なければ、ソーシャルワーカーのレベルアップは、いつまでたっても、資質と個人の努力に頼るのみで、ソーシャルワーカー全体のレベルの底上げは望めない。



ソーシャルワークにマニュアルはない。手技や術式のようにはいかない。 それは言い換えれば、 実践の言語化が難しいということの、スケープゴートにもなる。曖昧さに逃げることなく、 言語化の純度を高めることを怠ってはいけない。


次の次のもっと次の世代のソーシャルワーカーたちが奮闘する現場が、アメリカのように病院に数十人のソーシャルワーカーがいるような、チームの一員として認められた現場であるかどうかは、今現場にいるソーシャルワーカーたちの実践にかかっている。


さぁ。頑張ろう。



対象となる人たちに対して、
そしていつか、この世界に足を踏み入れる後輩たちに対して、
恥じない仕事をしよう。




たかが2年。されど2年。
あっという間に5年、10年だ。
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