二年目
公開日: 2008/05/12 MSW
二年目になって、早一ヶ月。何がわからないかわからないから わからないことが何か、わかるようになってきた、と最近感じる。
ケースを持ち始めた頃、援助をしていく課程で、患者さん家族や、他職種から得る情報に溺れ、「なんのために、聴くのか」 という根拠がおぼろげだった。
最近は自然と 事実が、その人にとって持つ意味。それを考え、辿りながら話を聞こう、という意識をもてるようになった。要介護度がいくつとか。サービス何使ってるかとか。 事実を情報として得ることよりも、事実に付属している、なぜ、そういった状態に至ったのかとかその事実に対する、その人の感情とか考え方とか そういったことを知ることができなければ、目の前にある事実を、その人のリアリティに沿って 共有することなんてできないと思う。
面接中、頻繁に相手の話を要約して「この理解でいいか」 ということを確認する。聴いて、要約して咀嚼して、適切な言葉で返していく課程は、その課程自体が わたしはあなたを理解しようとしています というメッセージを伝えることになるんだと思う。最初の頃は 相手に自分はこう理解しました、 ということを伝えるのが怖かったけれど、これをしなきゃはじまらないのだから仕方ない。
言葉と仕草でキャッチボールしながら、その人と、その人が置かれている場所を理解しようと努めようとすることでしか、きっと信頼関係は築けない気がする。その先が 目の前に存在する解決すべき問題を共有する っていう作業で、ここからが本当の共同作業なんだろうと思うのだけど、今はまだうまく言語化できないのでやめておこう。
徹底的に言語化する習慣をつけようと思う。ソーシャルワークでいうところの「アート」の部分は、伝達可能な、言語化された技術の上に成り立ってるに違いない。
感覚でわかる、とか。 なんとなく、とか。そんな言葉で自分の実践を表す人は、プロじゃない。きちんと、 ソーシャルワーカー と胸張って名乗れるようになるために、自分を鍛え上げなければ、ただの資源調達屋で終わるんだろう。
意識して仕事して
言語化して振り返って
それを現場に持ち帰って
意識化して仕事して
………
…
の繰り返しでしかステップアップは絶対できない。そう自分に信じ込ませよう。
じゃないと怠けるからな。