医療ソーシャルワークの実習で得たもの(2006年記載)

公開日: 2016/02/25 MSW 自己覚知




本ブログ内で、大学4年生時に病院実習をさせていただいた
際のバイザーとしてご指導くださったソーシャルワーカーの方から事前に出された宿題として、以下の2つがあった、とお伝えしました。

「自分はどういった人間か」
「この実習で得たいと思っているもの」


今回は、2006年に実習を終えて書いた「実習で得たもの」を転載します。よろしければご笑覧ください。。。

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 実習前に「現場を提供する」という言葉を頂いたとおり、本当にさまざまな場に同席させていただいた実習だった。本実習以前に、病院以外の機関にて実習を行わせていただいたが、今回の実習で初めて「ソーシャルワーク」というものの入り口に触れることができたと思っている。実習前に「自分がなりたいと思う医療ソーシャルワーカー像について考える機会」、「医療ソーシャルワーカーになる、という確固たる決意を得ること」を実習で得たいと記したが、実習を終えた今、「自分がなりたいと思う医療ソーシャルワーカー像」について自分の言葉で述べられるようになったと感じている。


「自分がなりたいと思う医療ソーシャルワーカー像」


実習を終えてまず私が感じたのは、ソーシャルワーカーというのは、人の人生の一時を、その人が困難を抱えている一時を共有する職業であるということであった。人は大きな困難、人生における大きな生活の変化を目の前にしたとき、うろたえ、何をしたらよいのかわからなくなる状況に陥ることがある。だが、ソーシャルワーカーの関わりによって、困難を抱えるその人自身が、自らの困難を解決するための主体者となっていく。そんな過程を実習で目の当たりにし、私はソーシャルワーカーという仕事に以前に増して惹きつけられた。


人は困難に陥ったとき、パワーレスの状態に陥ることがある。だが、パワーレスの状態というのは人間の弱さが現れているだけであって、その人自身が本来持っている力を失ってしまっているわけではないと感じた。


ソーシャルワーカーがやってしまうのは簡単である。しかし、それはソーシャルワーク
ではないと感じた。その人を信じ、その人の能力を的確に判断し、適切な支援を行っていく。私は困難を抱える人の弱さ、その人自身に寄り添い、その人自身の困難を解決する力を引き出すことのできる、そんなソーシャルワーカーになりたいと今、強く感じている。ただ漠然とソーシャルワーカーになりたいという想いではなく、自分が理想とするソーシャルワーカー像を得られたということは今後の自分にとって非常に大きなものであった。



自分の過去の経験に対する見方の変化。自己覚知がなぜ必要なのか。


実習5日目に「HY君がした経験は6年や7年じゃ整理できるものじゃない。解決しただなんて思っちゃいけないよ。過去の経験に対する見方は今後きっと変わる。HY君の成長とともにね」という言葉をバイザーのTさんから頂いた。


 自分がしてきた経験は自分の中で変化しないものなのだろうか。事実、経験した「事柄」というものは変化しない。それは事象であるからである。しかし、その捉え方というのは自分の成長と共に変化していく。当然の事のように思えるが、自分は今までそのことに気づけず、自分が今、安定しているのは、過去の経験にある一定の安定した見方を得られているからだと思っていた。安定した見方というのは、経験に意味づけをできたということである。しかし、バイザーのTさんから頂いた言葉はこの考えを取っ払ってくれた。



 私は今後、過去の経験に対する見方が変わって、自分の過去の経験に悩まされるかもしれない。しかし、成長とともに見方が変わるということ。逆を言えば、それは「見方が変わるということは成長の機会だ」と捉えることも出来るということだと思った。
人間は経験を経て人間的に成長するものだと思う。自分という人間を知るには、自分が今まで出会ってきた経験と向き合うことが必要なのでは、と感じた。
「過去は変えられなくて、事実は一つ。しかし、解釈は変えられる。」この事実に気づけた自分と気づけなかった自分とでは今後、生きていく中で、そして、ソーシャルワーカーという仕事を目指す上で大きく変わっていたと思う。



正直に物事に向き合うということは難しく、辛いこともある。正直に自分の経験、自分の感情、想いと向き合っていく。見たくないものを見て、聞きたくないことを聞く。自分の人間的に好きになれない部分を見つめる。それは決して楽しいことではないし、楽なことでもない。けれども、自分と向き合うことというのは自分に出会う作業であり、その過程なくして人は成長できないのではと思う。


人間が成長していく限り、自己覚知というものは人間が死ぬまで完結しない。常に変化し、常に自分と向き合うことで自己覚知は成されるものだということだと感じると共に、自分を手段化するソーシャルワーカーにとって自己覚知がいかに重要か、そのことが十分理解できた実習であった。


疑問【自分を手段化するということはどういうことか】

実習中「非日常が繰り返される病院の日常、だからこそ、自分をすり減らしきることがないように、心身の健康を保たなければだめなのよ」といった言葉を頂いた。 

 ソーシャルワーカーは自分を手段化する。だからこそ、自分の心身、特に心を健康に保つことが大切なのだということは十分、身を持って理解できた。しかし、そもそも自分を手段化するということは一体どういうことなのだろうかという疑問がある。


医師、看護師は医療行為を媒介として患者と関わる。ではソーシャルワーカーは何を媒介として患者・家族と関わるのか?相談、会話、言葉、態度。自分自身?医療者と何が違うのだろうか。 

 表現が適切ではないが、医療職には医療行為という他の職種には持てない武器がある。 ソーシャルワーカーは何を持っているのであろうか。対人援助技術であろうか。社会資源の知識であろうか。結局は自分を手段化するということは「自分自身を武器として持つ」ということなのだろうか。そうであるとしたら「自分」という定義がなければいけないのではないか。しかし、自分という存在に定義づけなんてできるのであろうか。



ソーシャルワーカーにとって「自分を知ること」と「自分の武器を知ること」これらは同義なのだろうか。これらの疑問はおそらく、ソーシャルワーカーにとって自己覚知がいかに重要か、ということと結びついてくることなのだろうと感じている。


【最後に】
ソーシャルワーカーは人間の生き様に真正面からぶつかることが多いのだと思う。その人の生き様にふれ、その人が困難を抱える時期を共有する。 人は自分の困難でさえ、背負うのが大変なときもある。 一時とはいえ、その人の人生に関わり、その人の困難を共有する。そして困難を解決できるよう、共に歩んでいく。それがソーシャルワーカーなのだと感じている。

ソーシャルワーカーは人間がもつ強さと弱さ。弱さの中にある強さを引き出すことの出来る、可能性のある職業であると強く感じた。実習記録にも記したが、医療チームの中にソーシャルワーカーがいることの意義、他職種との連携について、そしてソーシャルワーカーの拠って立つ場所。さまざまなことが学べた、そして自分で考えることのできた実習であったと思っている。

「患者さん・ご家族の「ああしたい、こうしたい」を
どんな状況であっても実現しようと行動するのがソーシャルワーカーなの。
ソーシャルワーカーはどんなときだってあきらめてはダメ。
医療チームの中で、最後まであきらめない存在がいるっていうことは
チームの士気さえもあげるのよ」



実習中、一番心に響き、今も自分の心に強く残っている言葉である。実習中に多くの言葉を頂いた。自分が初めて出会った4名の医療ソーシャルワーカーのみなさんから頂いた言葉は忘れず、自分の進むべき道をしっかりと歩んでいきたいと思う。

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