ソーシャルワーカーとして自身の未来のキャリアをどう考えるか?

公開日: 2014/06/02 MSW キャリアデザイン 教育 思索







わたしは、俗にいうアイデンティティクライシスに陥っていた20歳の頃、しあわせを感じるハードルを極限まで低くするという生存戦略を採用した。


20歳の頃、「しあわせを感じるハードルを極限まで低くする」ということへのカウンター装置として、「適度な劣等感を与えてくれるコミュニティ」へ帰属することを選択した。
そうして、人として駄目にならないようにバランスをとろうとした。


「適度な劣等感を与えてくれるコミュニティ」というのは、そのコミュニティにいると、周りの人間が、皆すごい人ばかり(のように感じられ)で、居心地が悪く、お尻がむずむずするような、そんな場所。


でも、そんなコミュニティも長く過ごせば、劣等感を感じなくなる。
それは、自分が成長したり、または、そのコミュニティに最適化されたコミュニケーションスタイル等を身につけ、”凌ぐ”ことで、劣等感が薄れていくことがあるからだ。


そして、それは、卒業のときでもある。



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わたしは、長く属しているコミュニティの数は少ない。


コミュニティには卒業があると思うし、卒業したコミュニティは半年とか1年に一回くらいの同窓会的なものがあれば十分。弱いゆるやかな紐帯でいいくらいのものと、それなりの強度をもった近しい紐帯ははっきり分かれる。自分の場合は。


だから、同じ職場で10年以上働くということは、学生時分から全く想像できなかった。


3年も現場にいれば、自分がプレイヤータイプなのか、プレイングマネージャーもいけるタイプなのか、それとも、長く同じ組織に身を埋めることができない常時刺激を欲するタイプなのか、とかそのあたりの見極めはできるようになる。だがしかし、見極めの時期を見誤ると、惰性キャリア展開してしまうようにも思う。


生涯プレイヤータイプであれば、年の近い”骨を埋める覚悟があるボス”がいる組織へ移るという戦略も取れるだろうし、早くにマネージャーとして稼働してスキルを磨きたければ、そのポジションが取れそうな組織に移るという戦略がとれる。ぼーっと考えずにいると、そのあたりのタイミングを逸する。


ぼーっとしていると、ある日突然、戦略的に転職した上司や同期のいたポストが自分に振ってきて、準備もなく希望もせずプレイングマネージャーのポジションに就かざるを得ないパターンは非常に多いと想像する(私の周りでもそういった話をよく聞く)


組織から与えられたことをがむしゃら頑張ることももちろん大切だけど、それだけで自分が望む職業的選択が得られるとは私は思わない。


ときに立ち止まり「考えなければ」、自分が望む未来は拓けないと思うし、そういうことを誰かが言ってくれる訳でも、また、ない。


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私は、現在2つ目の職場だが、その職場も年内で離れる予定だ。
2011年9月に、2つ目の職場に移った理由を以下のように書いている。


前職場を辞めて、今の職場に移るという選択に、
「自分の実践を見つめ直すために、そして、さらに負荷の高い職業的筋トレを自身に課し、自身の実践力を高めるための道程とする」
というストーリーを描きました。



当時、ひとつ目の職場の環境に慣れ、ストレスもなく仕事ができていた自分は、このままストレスの少ない(つまりは、負荷の少ない)場所で、実践を続けることよりも、より負荷の大きいところで、若いうちは実践を積んだ方がいい思い、職場を変えた。


そして、3年前の自分の選択は間違っていなかった。
職場を変えると、「自分の能力」、「職場の環境」という要素に分けて、自身の実践を再考できるし、不足しているものや、同様に通用する能力を見定めることもできた。


なにより、負荷をかけ続けたこともあり、急性期の医療機関であれば、日本全国何処でも、それなりに稼働することができるという自信がついた。(明日から、京都や沖縄の病院へ行けと言われても不安は微塵も無い)


結果、わたしは、最低限、プレイヤーとして稼働できる能力はポテンシャルとして有しつつ、一度現場から1.5歩くらい離れて「仕組み」づくりという、プレイヤーたちを後方支援する立ち位置に移動していくということになった。


2015年春以降は、プロジェクト単位で、プレイヤーとして稼働させてもらえる”場”を持ちながら、プレイヤーたちが活用可能な”武器”や”防具”を創り出しながら、Social Change Agencyを全面展開しつつ、大学院で、社会の支え手共同体構想を成し得るために、自分をアップデートする。3年後、次のフェイズに移行するために。


大学院はソーシャルワークの大学院へは進学しない予定だ。


なぜなら、大学に籠り、学部教育に携わるということは、微塵も考えていないし、カリキュラムが資格取得予備校化した大学で教える未来に、まったく興味がもてないし、ワクワクできない。

やるなら、学部教育を変えるくらいのインパクトのことをしなければ、価値は最大化できないと考えるし、学部教育を変えるには、歴史的経緯と、社会の変遷、今後ソーシャルワーク領域がどのような社会からの要請を受けるようになるかについての豊かな想像力が必要になると考える。


既存の枠組みに、当てはめる仕事ではなく、未来をイメージし、逆算思考で、今打つべき、一手を確実に打つ。地味だけど、そういう仕事を成したい。


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絶対的な羅針盤など存在しない。

だから自分の頭で考えて、自分の目と耳で針路を定め、自分で舵取りをしていくしかない。他者は、自分の舵を変わりには握ってはくれない、と。いつも現場でクライエントの舵取りを、わたし(ぼく)らが、しないのと、同様に。


大学も職場も、入ることを目的とせず、入ったあとにどうするか、どうしたいかを考えれたほうがいい。そうしたほうが、その先にある出口は近くに見えるから。出口が目に入ったら、出ることを目的とせず、出た後どうするか、どうしたいか、を考える。その繰り返しで、未来は拓けるように思う。


何にせよ、情報をいくら集めたって、それは、何も決めてはくれない。決めるのは自分で、情報の海に溺れて、うだうだしていると、あっという間に時間は過ぎて、「考える時間」は削られ、減っていく。


あれこれも「偶然の出会いもあるだろうから!」と欲張っていると、砂場から砂金を探す作業に時間は取られ、砂からどんな構造物を創るか、ということを考える時間は減る。砂金で創りたいものがあればいいけれど、そうでなければ、目の前にある砂で、構造物という未来を創ったほうがいいと私は思う。


偶然の出会いが、自分を変えた、というのは、後付けだと思う。
偶然のなにかを「出会い」に変えるために、きっと、その人は、「考え続けてきた」はずなのだから。


だから、考えるべきなんだ。
自分で、考える。その行為の積み重ねこそが、自らが望む未来を拓く。
わたしは、そう信じて疑わない。




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