ポスト・スティグマvol8【創作小説】

公開日: 2014/05/15 CW 創作



………………………………………………………………………

前回までのあらすじ

T県M市で、1人の老人が孤独死した。
孤独死した老人、畑中は生活保護を受給しており、担当ケースワーカーであった不動雄一は、畑中から音信不通であった娘へ一通の手紙を託される。

同日、都内に住む畑中の娘、里美が、誘拐事件に巻き込まれたことが発覚。
事件同日、畑中里美は、出張デートクラブのオトコ、”ジュン”と会っていた。

”ジュン”の母親は歌舞伎町のホステスとして働き、精神を病んだ。

ジュンが憎むべき、復讐の街、新宿歌舞伎町。

狂言誘拐の様相を呈した事件。
ジュンの共犯であるハタチの女のエピソードが明らかに…


ポスト・スティグマ vol7

………………………………………………………………………



朝のラッシュ。ホームは通勤通学者でごった返している。


今日は一段と冷え込みが厳しくなるという朝の天気予報を思い出し、千歳樹理は毛糸の手袋越しに両手に息を吹きかけ、階段の7.8段目に立ち、電車の来るホームを眺めていた。


0.5秒。目線を辿るのに必要な時間だ。
数秒で数人の目線を辿り、視線の定まらない人間に目をつける。視線の先を選定するのに2秒。樹理は1人の男に視線を止めた。背丈は180はあるだろうか。フレームの無い眼鏡の奥のキツネ目。ぼさぼさの野暮ったい頭に、黒のロングコート。樹理の「顧客予備軍リスト」の一番上にいる男。今日は「彼の番」だった。




「さて。今日もお仕事開始といきますか。」



仕事開始のコールを心の中で呟き、樹理は黒のマフラーを軽く締め直すと、軽快に階段を駆け下り、人混みの中に紛れていく。人混みを掻き分ける術は、樹理がこの街に来て初めて覚えたことだった。


2,3分間隔でやってくる電車を待つ人々を掻き分け、キツネ目の男の斜め後ろについた。コートの袖口からブランド物の腕時計が顔を出している。事前調査の通り「上物」に違いなかった。ワンランク上の獲物を前にして、それを狩る瞬間を待つ。



8時3分。電車の到着を知らせるアナウンスが雑音に混じり、人混みが揺れ動き出す。再度男の横顔に視線をやると、男のキツネ目もまた獲物に焦点を合わせ、ハンティングタイムに入っていた。間違いない。跳ね上がる確率に樹理は心躍らせる。



毎度のことだがターゲットを泳がせるこの時間が、樹理を死肉を貪るハイエナを見つけたライオンのような気分にさせる。欲望を満たす行為の先にある死。牙でのど元を掻っ切る瞬間を息を潜めて窺う。ハイエナよ、数分の快楽を楽しむがいい。




電車のドアが開き、雪崩のように人が小さな入口に流れ込む。体をよじらせキツネ目の男の斜め後ろにつく。次の電車をご利用くださいというアナウンスとともに最後の雪崩が車内に入り込んでくる。キツネ目の男は頭一つ以上背丈の低い制服姿の女子高生の後ろに立ち左肩を内側に引っ込めるような仕草をするとスカートのあたりに左手を押し付けた。まだ早い。決定的瞬間を逃すことなかれ。女子高生の横顔に心の中で謝り、その時を待つ。



8時8分。快速電車は次の駅まで15分は止まらない。
女子高生が体を捩じらせ肩を振るわせていた。樹理の体を壁にして、腕時計の嵌められたキツネ目の男の左手が電車の揺れに合わせて女子高生の下半身をなぞる。スカートを少し捲し立て左手が大胆な動きをし始めた。


(この変態クソオヤジ。そこまでよ。待たせて…、ごめんね。)


女子高生に再度心の中で謝り、キツネ目の男の左手首を掴んでみせる。
驚きこちらを見るハイエナの顔は、驚き、そして、おびえた顔に変っていた。



(さぁ。ハンティングの始まりよ。


電車は停車し、扉が開く。男は手首を振り払い、急いで電車を降りていく。

(こんな人混みで、捕まえちゃ、意味ないのよっ!)


階段を駆け上がる男に視点を定め、樹里も、数段抜かしで階段を駆け上がる。



(ハイエナがライオンに勝てるわけがないでしょうっ!笑わせないでよっっ!)



誰かに捕まえてもらうことが目的ではない。
おびえ切ったハイエナののど元を掻っ切って「死」を突き付けるのが樹理の仕事だった


改札を抜け、駅前から大通に続く商店街。50メートル程の商店街が狩り場に変わる。息を切らせ黒い装いをした獲物が射程距離に入る。




(運動不足のおっさんに負けるはずがないでしょ。観念しなさいよっ。



心の中でそう唱え、右足をロングストライドでけり出す。男の踵を踏みつけ、男の体が前傾したかと思うと手にしていたバックとともに地面に転がった。鈍いと音がして、男がうずくまる。




「S銀行の石黒さんですね。」




眼鏡の奥のキツネ目がしんどそうに見開かれている。




「だ、誰ですか。あなたは」




(ハイエナごときに名乗る名なんてないわよっ。」)




キツネ目の男は立ち上がり強打した右肩を抑えながら、再びこちらに視線を向けた。




「昇進試験を控えてるってお聞きしてますけど、余裕なんですね」


ジリジリと追い詰めていくこの瞬間がたまらない。
生粋のサディスティックな自分を再確認する。


「だから、なんなんだよ。アンタは」

(まったく往生際の悪いやつね。


「さぞかし、若い女の子のカラダは、さぞ、 ”か・い・か・ん” だったんでしょうね」



「な、何を…」


「これを見てもそんなこと言えるのかしらっ!!」


言葉を勢いと共に、毒入りの餌をばら撒く。一生体に残り続ける毒を以って、変態野郎に社会的な死を。 リサーチ済の前科、「社会的に抹殺されるに値する情報」と、キツネ目の男の個人情報を記した紙が周囲に散らばる。


呆然とするキツネ目の男。



(ゲーム・オーバー、ね。)



「逃げてもいいけど、逃げたら会社とご自宅に同じものを送っちゃいますよ…、ね。」



音など聞こえるはずはなかったが、キツネ目の男が大きく唾を飲み込むのがわかった。


「ど、どうすれば…」



頭がいいと理解もいい。ぎゃあぎゃあ騒いで大騒ぎをすれば人は集まる。
それが何を意味するかを想像することは容易だった。上物ほどハンティングは楽で、リターンも多い。今日の獲物は大手銀行の出世頭ってとこかしら。
頭がいいのか悪いのか。馬鹿ね。こんなことで人生を棒に振っちゃって。



「500万でどうでしょ?」


キツネ目の男は手元にある写真に視線を落とすと、地面に再び膝をついた。



「ゆ、許してくれ…。出来心で…」



キツネ目の男は項垂れて再度こちらに視線を向け、消え入りそうな声で呟いた。




________________________________




真っ当な人生を送ることは考えるよりも難しい。
でも、そう言えるのは真っ当に生きることのできない者だけで、それは言いかえれば負け犬の戯言なのかもしれない。負の思考の連鎖はいつしか樹理を取り込み、いつしかコンクリートのジャングルで欲望にまみれた獲物をかみ殺し、「社会的な死」を烙印することで、自身のアイデンティティを保ってきた。



千歳樹里。20歳。
母は樹里が生まれて数年で病死した。父は行方不明だ。


母の叔母夫婦に引き取られた樹理に居場所などなかった。

酒乱の叔父と叔母の間に喧嘩は絶えることはなく、行き場の無いうっ屈した感情の吹きだまりの矛先は樹理に向けられていた。叔父に殴られたのは数知れず、太ももに残る煙草の跡を見るたび、日陰で生きることを余儀なくされたあの頃の記憶がよみがえり、舌を噛み切りたい衝動に駆られる。



14歳の時、叔父の暴力で叔母が大けがを負い、樹理は逃げるように愛着も何もない4畳半の牢から脱獄し、児童養護施設で生活をすることになった。
家も学歴も何もない自分が日向を歩くことなど許されるはずがなかった。怒り、悲しみ、憎悪。一通りの感情を通り過ぎた先にあったのは「達観」だった。


日向を歩く人生が許されないのであれば、日陰という世界で生き抜いてやればいい。

日の当らない世界で、時折、場違いなこの世界に足を踏み入れる日向を歩く人間たちを食い殺してやればいい。 何も怖くはなかった。牢屋に入れられようがどうなろうが、帰る場所が無い自分にとって恐怖という感情はとうの昔に、日向を歩く人生への羨望と共に捨て去った。




________________________________






ラッシュ時間を過ぎた車内に座り、車窓から見えるビル街を眺める。
この街は好きではない。でも、自分はここでしか生きてはいけない。
日陰のない街に自分の息をする場所は無い。だから、日向と日陰が混在するこの街の空気の中で生きていくしかなかった。 二つ目の駅で電車を降り、ホーム内にあるフレッシュジュースの店でイチゴジュースを口にする。体中に水分が行きわたる感覚を得て、研ぎ澄まされた神経がぼやけ、クールダウンしていく。




(キョウモ、イキテイル。)




カタカナ語変換は、現実を非現実化させるような効力がある気がする。

でも、その効力はたかが数秒だ。



携帯電話の着信音が鳴り響く。




着信音は、ベートーベンの運命。この曲が作られた1798年という時期が、ベートーベンが難聴を自覚し始めた頃だということを知って以来この曲が好きになった。自分にとっての「運命」とは何であろうか。日陰の道を歩み続け死に絶えることか。それとも日向の世界のまばゆい光を浴びることができるのだろうか。できれば後者であって欲しい。今までこの曲を聴くたびに何万回そう思っただろう。



今日も少しだけ「運命」に耳を傾け、着信ボタンを押す。





「ジュンちゃん。オハヨ。今日もうまくいったよ。」




少しの沈黙を置いて、電話の先からから吐息が聞こえる。
そのため息は、樹里を思いやってのものであることを樹里は知っている。
だから、心地よい。ため息でさえ、も。


「今日も、”対面”か? 危なっかしいな。ったく。あんまり無茶すんなよ。」



自分の身を案ずる言葉に心地よさを覚えられるようになったのはジュンに出会ってからだった。自分が人間らしい感情を保っていられるのは彼がいるからかもしれない。父性でも母性でも恋愛関係でもない、人が人であるために皆が探し続ける「自分の居場所」を一緒に探し続ける仲間。青臭い言葉を並べれば、そんな言葉で表される関係が樹里とジュンを繋ぎとめていた。



「何か…、あったの?」




いつもと違う時間帯に聞くジュンの声に違和感を覚える。



「見つかった。」




ジュンの抑揚のある乾いた笑い声が受話器越しに伝わる。
汗ばんだカラダが冷え切っているのに気づく。



「え… まさか… 」


「ああ。とうとう…、この日が来たんだよ。ジュリ。」



「私たちの…」


「それ以上言うな」


やわらかいため息はとっくに消え失せ、電話越しのジュンの語気が強まる。
その意味するところが痛いほどわかり胸が痛くなる。


「間違いない。俺たちの、仇(かたき)だ」



(マチガイナイ、オレタチノ、カタキダ」)

カタカナ変換は数秒ともたない。



ジュンの言葉を声に出さず反芻する。


オレタチノカタキ。ワタシタチノカタキ。



「ジュリ、悪いけどさ、オレはもう、引き返すことはできない、よ。」


私たちは仇を取るためにこの街で、日の当らないこの世界で、時折、場違いなこの世界に足を踏み入れる日向を歩く人間たちを食い殺し、生きてきた。もう、後戻りなどできるはずなどあるはずもなかった。


「わかってるよ。ジュンちゃん。」


「ジュリにとっちゃ、最後のハンティングになるわけ、だ。」


乾いた声で、いたずらに誘う少年のようなジュンの言葉が非現実感を漂わせていた。
樹理は唇を爪先できつくつまみ、下唇を噛んだ。


「うん。ラストゲームにするよ。」


人生の四半世紀も生きていない私たちにとって辛すぎる現実たちは、いつしか日常となり、有り触れた唄のように、そこに当たり前のように存在し続けきた。そして今、現実の存在意義を問い直す戦いが始まろうとしていた。


自分にとっての「運命」とは何であろうか。日陰の道を歩み続け死に絶えることか。それとも日向の世界のまばゆい光を浴びることができるのだろうか。できれば後者であって欲しい。いや、そうに違いないって思いたい。



「私たち、”シアワセ”になれるかな」


「なれるさ。きっと、な。」


「うん。」


携帯電話を切り、ジュースのカップをゴミ箱に投げ入れる。ナイスシュート!今日も絶好調。きっと、いける、大丈夫。


しあわせ。
シアワセ。
ワタシノ、シアワセ。ワタシタチノ、シアワセ。



フクシュウ。そう、「復讐」



カタカナ語が、数秒で漢字変換される。
B級映画のセリフのようだな、と冷静におかしくなる。



孤独なラストゲームのはじまりの鐘が鳴る。
この世に運命というものが存在するのであれば、きっと私たちの選んだ道は間違っていないはず。それを証明することができるのは、私たちだけだった。




(最初で最後の私とジュンちゃんとの恊働ゲーム。

"チャンス"という名の充填された銃弾はひとつだけ。
心臓を外すわけにはいかない。)




樹理は自分にそう言い聞かせると再び黒いマフラーを締め直し、
駅のホームの人ごみに紛れこんでいった。




vol9へ続く

  • ?±??G???g???[?d????u?b?N?}?[?N???A