ポスト・スティグマ vol7【創作小説】

公開日: 2014/05/13 CW 創作







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前回までのあらすじ

T県M市で、1人の老人が孤独死した。
孤独死した老人、畑中は生活保護を受給しており、担当ケースワーカーであった不動雄一は、畑中から音信不通であった娘へ一通の手紙を託される。

同日、都内に住む畑中の娘、里美が、誘拐事件に巻き込まれたことが発覚。
事件同日、畑中里美は、出張デートクラブのオトコ、”ジュン”と会っていた。

”ジュン”の母親は歌舞伎町のホステスとして働き、精神を病んだ。

ジュンが憎むべき、復讐の街、新宿歌舞伎町。

狂言誘拐の様相を呈した事件の真相、孤独死した畑中との交錯点とは…!?




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クラスの男子が授業をボイコットして、国語の新任の女の先生が泣いた日。
お母さんは家に帰ってこなかった。
ドラマなんかでよくある「実家に帰らせていただきます」なんていう置手紙はあるはずもなくて、部活を終えて家に帰ると、干されたままの洗濯物は乾いていたけれど、ひんやりと冷たくなっていた。


(今日は夜勤だったっけ。)


牛乳を取り出し、冷蔵庫の前に張ってある、お母さんの勤務表に目をやると同時に張られている表が11月のものだということに気がづいた。今日はもう十二月だ。そういえば、朝のニュースでクリスマス特集をしていたっけ。
コップに牛乳を入れて飲む。160cmにはなりたいから、毎日牛乳を飲んでる。でもまだ効果は出ていないみたいだ。3ヶ月で1センチしか伸びなかった。


ガス台には、空っぽの鍋が置かれている。匂いも何もしない。お母さんは、夜勤の日には早めにご飯を作り、準備をしてくれているはずだから、今日は夜勤じゃないのだろう。夜勤の日は、夕飯兼朝ごはんの匂いが私を迎えてくれる。高確率でカレー。でも、今日は甘口カレーの匂いはしなかった。何の匂いもしなかった。 窓から外を見ると、ベランダで洗濯物が風に舞っていた。


8時を回ってもお母さんは帰ってこなかった。
流石に遅いと思い、お母さんの携帯電話に電話を掛けてみる。


(遅いよ。お腹減ったなぁ)


10回コールが鳴った後、留守番電話に切り替わった。無機質な音声が流れてくる。私は電話を切り、居間の2人掛けの小さなソファーに携帯電話を放り投げた。勢いはクッションに吸収され、ぽふっと音を立て、クマの人形のストラップが跳ねた。


職場に電話をかけようと思ったけれど、恥ずかしいのでやめた。小学生の頃は、帰りが遅いとよくお母さんの職場に電話をしていた。今はもう中学生になったし、簡単なご飯だって自分で作れるし、洗濯も洗い物も、一通りの家事は自分ひとりで出来る。届かなかった食器棚の一番上の段だって、今は背伸びもせずに手が届く。


仕方ないので、レトルトカレーを温めて食べることにした。確か、ご飯は朝に食べた残りがあるはず。予想通り、お釜にはちょうど2膳ほどのご飯が残っていた。食器棚の一番上から、横長のカレー皿を取り出し、ご飯をよそると残り半分が、寂しそうに残った。


久しぶりに食べるレトルトカレーは、思ったよりも美味しかった。1人で食べるご飯には慣れている。 半年くらい前にも同じようなことがあった。今日と同じように部活を終えて家に帰ると家には誰もいなくって、レトルトカレーを食べて、お母さんの帰りを待った。あの日は10時を回っても帰ってこず、まだお母さんは携帯電話を持っていなかったので、連絡も取れず、随分心配した。


あの日は、病院近くの国道で、玉突き事故が起きて、怪我人がたくさん出たらしく、そのせいでお母さんの帰りが遅かった。事故とか、怪我人とか、あまりいい想像にならない言葉が浮かんできて、私は少し怖くなった。
お母さんの携帯電話にもう一度電話をしてみる。変わらず、10回目のコールで、抑揚の無い女性の声に切り替わる。私の言葉に無機質な声は応えてはくれない。


お母さんは11時を過ぎても帰ってこなかった。
もしかしたら、私の勘違いで、今日は夜勤だったのだろう。
朝、家を出るときのことを思い出したけれど、いつもと変わらないお母さんの「行ってらっしゃい」の声と笑顔しか思い出せなかった。


夜勤でお母さんがいない夜には慣れている。
明日も朝練がある。早く寝なきゃ。明日着ていく体操着をたたんで、ソファーの上に置く。 明日には帰ってきていて、「おかえり」って言ってくれるに違いないって、自分に信じ込ませて布団に入った。


布団が温まった頃、外でバタバタと音がするのを聞いて、洗濯物を取り込むのを忘れていたことを思い出した。でも、冷たい洗濯物に触れるのが嫌で、布団を頭から被ったら、暗闇が押し寄せてきて、私は眠りについた。


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風の谷のナウシカのテーマソングが鳴り響く。 私のお気に入りの映画。
といっても、私はテレビで見たことがあるだけだけど。 中学生になった記念にお母さんがくれたプレゼントの目覚まし時計。 「もう中学生になったのだから、きちんと1人で起きれるようにならなきゃね」 お母さんに毎朝起こしてもらっていた私は、中学生になったその日から、1人で起きるようになった。


裸足で歩く廊下はひんやりと冷たく、私は早足で階段を降りた。
玄関に目をやる。お母さんがはいているミュールはなかった。
違う靴を履いていったのだろうか、って私は思い込みたかった。
でも、その思い込みは見事に崩された。 オレンジ色のランプが点灯していた。留守番電話のメッセージだった。 お母さんからかと思い、急いでボタンを押す。


「国立富士見が丘病院第二病棟の酒井です。昨日、何の連絡もなかったので、なにかあったのかと心配に思い連絡をしました。携帯電話の方にもかけたのですが、繋がらなかったので…。大丈夫ですか?連絡を待っています。」


なんだか頭がふらふらとして、私はぺたんと冷たい廊下に膝をつきそうになった。 お母さんの「おはよう」の声の変わりに私を迎えてくれたのは、私以外の誰かが、お母さんがいるべき場所にいないことを心配している声だった。 


その声に私は確かにそこにある現実に引き戻されて、ぎゅぅっと胸の奥にある何かを掴まれたような気分になった。


お母さんは帰ってこなかった。仕事にも行っていなかったみたいだ。
こんなこと今まで一度もなかった。 怖くて、不安な気持ちが、ぐるぐると私の中を駆け巡るのがわかった。心臓はドキドキして、うるさいくらい、その音が耳に大きく響いた。


私の心臓のドキドキを突き破るように、携帯電話から音楽が鳴り響いた。
ナウシカだ。ナウシカの着信音は、お母さんからだった。
昨夜、放り投げたままの携帯電話がソファーの上で光っている。
急いで携帯電話を手に取り、電話に出る。



「お母さん!どこにいるのよ!」



声がしない。


「お母さん!聞こえるの!?」



応答が無い。電波が悪いのだろうか。ザーザーという音がする。


「・・・た」



「お母さん?」



かすれた語尾が聞こえる。
聞き慣れない声。いや、聞いたことの無い声だった。



「預かった」



「お前の母親を預かった。わかるか?誘拐、だ。」



誘拐。
ドラマとかで聞く、誘拐?

見知らぬ電話は、私の返答を待たず切れた。 何がなんだかわからなかった。
受話器の先には、私の知らない世界に通じていて、私とは全然違う世界に思えた。でも、私のいる今と、受話器の先の今は、紛れも無く、同じ世界に存在するものだった。


手からこぼれた携帯電話は、ひんやりとした廊下の地面に落っこちて、外れたクマのストラップは、勢いよく跳ねた。跳ねる様子が、スローモーションみたいに、ゆっくりと見えた。


クラスの男子が授業をボイコットして、新任の女の先生が泣いた日。
お母さんがいなくなった。
枯れ葉舞い散る冬の始まりの日。
14年間で1番長い、十二月の始まりだった。




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