良質な問いは良質な思考を生み、思考体力を育む。

公開日: 2014/05/29 CSW MSW 思索


目の前にある「現実」と呼ばれる、手に届き、声の届く距離に存在するモノゴトたちに対して1ミリでもいいので影響を及ぼすようなものを生み出し続けていきたいのだと、ふと。

良質な問いは良質な思考を生んで、思考体力を育む。
育まれた思考体力は、ぶっ続けで考え続けることを可能にする。


「ぶっ続けで考える」というのは、単に長い時間机の前に座り続けることでは決してなくて、何をしていても、外部刺激の全てが、頭の中にある「問い」に接続しては、取捨選択され、切り捨てられ、もしくは粘土のように乱雑に接触面積を広くとりながら接着するかのどちらかを繰り返しては、問いの純度を高め、抽象度を上げ下げしながら、思考を促す、ということが半永久的に繰り返される知的運動のことを言うのだと思う。

でも、この頭の中の運動は、外からは決して見えることは無いし、内籠もりの思考だけでは、精神的修行僧にはなれるかもしれないけれど、生きている、目の前にある現実は、変えることはできない。

「もう少し成長したら、もう少し時間が経ったら…」の「もう少し」ほど自分の中に信頼を置けないものは無いと自覚したので、今手の中にあるものだけで、今できることを産み落しながら、「ぶっ続けて考える」この2つがうまく循環し合いながら、動力を生み出していく他ないのだと思う。

ときに、自分を苦しめることもある性質が、自分を合理化し最適化しつつあることを自覚した1年だった。快感回路が変わり、高揚感を感じる瞬間がどういったタイミングで訪れるかということにもある程度自覚的になった。

幸せのハードルを低く設定し、そのカウンター装置として、劣等感を与えてくれる人と出会い、そして、快感回路を書き換え、得られた高揚感をエンジンに投入し、より一層の動力を生み出す。

今の構造を書くと、そんな感じがしている。


ソーシャルワーカーとしての問いは2つ。

「なぜ、ソーシャルワーカーは、クライエントの傍で社会の不条理さを知る立ち位置にいるのに、社会の不条理さを生み出している社会のシステムエラーを変えることができないのか?」

「クライエントヘの利を最大化することを考えたとき、日本全国のソーシャルワーカーの質の向上は必須であることは明らかであるのに、なぜ、個々のソーシャルワーカーたちが実践から得た知を”共有・参照”できる仕組みが無いのか?」

上記の問いに、個人的な思想が織り込まれていく過程で、一時的にバランスが崩れてきたことに気づく。補正するには考える他無くて、後天的に獲得した思考体力は、思考筋トレでしかたぶん鍛えることは難しいので、問うて、考え続けるしかない。

考えたことの1/10くらいが、他者に向ける言葉となって届けられるのかもしれないな、と。そんなことを思うと、目の前にいる人が絞り出し、自分のもとに届けられた言葉が、ここにくるまでに至った時間みたいなものを想像する。

おそらく、同じようなことを思っている人と出会うと、言語感性が似ていると感じるし、その都度、どうしても”言葉”の扱い方から、人に惹かれるという特性を自覚する。

言葉はその人が絞り出した雫のようだ、と。
雫の純度は、その人の思考に費やした時間なのかもしれないな、と。







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