ポスト・スティグマ vol4 【創作小説】

公開日: 2014/04/08 CW 創作






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前回までのあらすじ

T県M市で、1人の老人が孤独死した。
孤独死した老人、畑中は生活保護を受給しており、担当ケースワーカーであった不動雄一は、畑中から音信不通であった娘へ一通の手紙を託される。

だがしかし、同日、都内に住む畑中の娘、里美が、誘拐事件に巻き込まれたことがわかり…


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-1-

「そのピアス、かわいい
ですね」 


今日から12月。 
街はイルミネーションで彩られ、浮き足立つ。 
陽気な音楽がジングルベルを唄っていた。 


「どこかでまずはお茶でも」と言われ入ったフランチャイズの喫茶店。 
白い店内に、暖色系のイスとテーブル。 
お洒落なカップルたちが目に入り、この場から逃げ出したくなる気持ちが押し寄せてくる。 


ワタシには似合わない場所。 
昼下がり、太陽の眩しい光を吸収するかのような白く輝く店内にワタシの姿は不釣り合いだった。 

そもそもワタシに釣り会う場所なんてあるのだろうか。 
あったとしても陳腐なところだろう。 
今日も変わらないお決まりの思考が現れて、自分を否定する文句が生まれる。 
現実から目を逸らすための、逃げ道となる理由を作る。 


「いらっしゃいませ。お二人さまですか?お煙草は?」
 
「禁煙席、二人で。」 


顔に似合わない低く響く声が、ワタシのお決まりの思考を打ち消し、 
西洋人形みたいに目のぱっちりした女性の店員に案内され、 
二人は席につく。 


「そのピアス、かわいいですね」 


無邪気な瞳をこちらに向けて、 慣れた文句がワタシに向けて放たれる。 
胸が少しだけ高鳴る音が、ずっと遠くのほうでした気がした。 
忘れていた感覚だった。私は、そっと自分の中の鼓動に耳を傾けた。 

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-2-



10月の終わり。 すっかり秋めいた木々が、2階の部屋から見渡せる。 
娘と二人で住むには十分すぎる一軒家。夫が残してくれた幸せのカタチだった。 


洗濯を終え、掃除をし、ゴミの整理をしていた。 
ポストに入っていたチラシ。 
丸めてゴミ箱に捨てようと力を込めた右手から一枚の紙が滑り落ちた。 

「素敵な時間を創ります。」 

なにかのキャッチコピーが目に入る。 
俗にいう、出張ホストクラブの勧誘のチラシだった。 

くだらない。 
慢性的に痛む腰を気にしながら、チラシを広い、ゴミ袋に入れる。 


「貴女は、今の人生に、満足していますか?」 


目に入った文句が、ズシンと私の中に土足で入ってくる。 
なんだか、胸が騒いだ。鼓動が聞こえた。 
どうかしていたのだ。あのときの私は。 

理由なんて無かった。 


「貴女は、今の人生に、満足していますか?」 
ただ、恥ずかしいことに、その一言に私は、「はい」と答えられなかった。 


『ツグミと言います。 都内の病院で看護師をしています。 
好みのタイプは特にありません。よろしくお願いします。』 


無機質なメールの文章。 
非現実感が漂う文字面。 


全てのはじまりだった。 
始まりの、はじまりだった。 


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-3-



「そのピアス、かわいいですね」 

イスに座り、どこに持っていけばいいかわからず、 
自分の手元と壁に飾られた絵の間を往復していたワタシの視線は、 
その一言で彼に集中せざるを得なくなった。 

「ジュン。22歳です。 
入店してまだ一週間ですが、一生懸命、奉仕させていただきます。 
よろしくお願いいたします」 


反応は思ったよりも早く来た。 
メールでのやり取り。支払いは後払い。満足されなければ返金します。 
という謳い文句。プライバシーに配慮しているのだろう。

初めて、ジュン、と会うことになった日。

胸が高鳴って、何も手につかなかった。 
仕事に行く気になれず、娘を送り出し、 
約束の時間まで、店をふたつ変え、コーヒーを飲んで時計の針が進むのを待った。 

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-4-

ジュンという名の青年。 
歳は20過ぎくらいだろうか。メールの通りかもしれない。 
端正な顔立ちに、重く流れた黒い前髪が彼を大人びてみせている。 


「ありがとう」 

褒め言葉に対する、慣れた文句なんて持ち合わせていないワタシは、返す言葉が見つからず、 
ありきたりな言葉を口にして、早くも氷が溶け初めてカサの増えたグラスに目をやる。 

男の人から、誉められたのなんていつぶりだろうか。 
夫が死んでからというもの、男性と二人で食事をしたのさえはじめてかもしれない。 
社交辞令みたいなものなんだろうけれど、わかっていても心が浮き足立ってしまう。 
男性経験の少ない私は、優しい言葉をかけられるだけで、どうしたらいいか、わからなくなる。 
そんな自分に気づき、惨めになる。 


「ツグミさんの雰囲気にすごく合ってるよ。」 


慣れた文句は続けて放たれ、 
羽が生えたかのようにワタシに向かって飛んでくる。 
私には受け止める術も、受け流す術もなく、言葉のラリーは完全にワタシが劣勢だった。 


雰囲気、か。 


「ツグミ」は偽名。高校の時の担任の先生の名前だ。 
吹奏楽部の顧問で、よくお世話になった。 
容姿端麗で、生徒たちにも人気があった。 
17歳の私は、先生みたいな女性になりたいと思った。 

そんな私も42歳になった。 
出会った頃の先生の年齢を追い越した。 
でも、先生のようにはなれなかった。 

専門学校を卒業し、看護師になった。 
親元から離れたくて、地方から上京し、都内の病院に就職した。 
都会育ちの同期の中で、私は浮いた存在だった。 
私がこんな性格だからだろうか。コンパ、合コン。 
周りの雰囲気についていけなかった。 
どこで、何を間違えたのかわからない。手を抜いていたわけではない。 
就職してからも頑張って勉強をした。資格もとった。 
でも、評価されるのは、媚びへつらうのが上手い人間たち。 

私は結婚しても仕事を続けた。夫は高校の同級生。 
彼だけは私を肯定してくれた。わたしの存在全てを。 
娘が生まれ、私にも人並みの幸せが訪れた。 
本当に幸せだと思った。 


でも、幸せな生活が目の前にある喜びに浸る暇もなく 
不幸という名の悪魔はやってきた。 
夫が死んだ。通勤途中の事故だった。 
私は30歳。娘が1歳になる前日だった。 


幸せは掌からこぼれる水のようなものだと知った。 
でも、幸せを知らなければ、それさえもわからなかった。 


娘を育て上げるためには働き続けるしかなかった。 
私は頑張って生きていた。そう思っていた。 
でも、世間は私を見てはくれなかった。 
神様も、私が幸せになることを許してくれなかった。 
私はそこにいるのに、誰にも見えない。そんな存在だった。 


どんな組織にも一人は存在する、空気みたいな存在。 
きっと私がそうなのだろう。 
もう諦めている。惰性と慢性の中に身を任せ、私は今まで生きてきた。 
いつからかかはわからない。でも、現に今、私はそうやって生きている。 


少し昔の過去から今までの情景が私の中を駆け巡り、私はわたしに問いかけた。 
子どもみたいな問いかけであることくらいの自覚はあったが、それでも誰かに問うてみたかった。


「私は、人からどんな風に見られているのだろう、か」 と。


陰気な感じ。内気な感じ。幸薄そうな感じ。 
いくつかの言葉が頭に浮かんだけれど、自分が惨めになり、考えるのをやめる。 
否定的な言葉しか浮かんでこなかった。 
そんなワタシの雰囲気に合ってるだなんてピアスが可哀想だ。 
不憫で仕方ない。4980円の価値もない。わたしも、ピアスも。 


「ねぇ。ワタシって、どんな雰囲気?」 


身近な人間には聞けない。 
お世辞に包まれただけの、自分を否定されるような言葉が返ってくるのが怖いから。 
40を超えても、私の心は弱く、生きていく強さなんて持ち合わせていなかった。 


でも、この人になら聞けた。 
わたしは彼のことを何もしらない。 
さっき会ったばかりの人間。明日になれば互いに他人に戻る。 
この日、この場限りの関係だから。 

ワタシの質問に、彼は驚きを演出するわざとらしい瞬きを二、三度すると、 
にっこりと笑って言った。 


「優しそうで、暖かい感じ。 
何でも話せそうな雰囲気だよ。」 


馬鹿げてる。予想通りのお世辞に包まれた言葉。 
ワタシはつまらない人間。そう。つまらない女。 
見えているけど、見えない存在。 


並べられた誉め言葉たち。 
私には蝉の抜け殻のようにしか思えなかった。 
外は芸術品の用に美しい姿を残し、中は空っぽ、だ。 


ワタシが無粋だからがっかりしたくせに。 
でも、仕方ないのよね。仕事なんだもの。 
お金もない。美しくも無い。とんだ貧乏くじなお客よね。 


ワタシはワタシを否定する言葉を心の中で並べあげて、 
顔をあげて彼を見る。 

彼は恥ずかしげもなく、躊躇するでもなく、 
ワタシの瞳を覗き込むように視線を向けた。 


自己否定する言葉たち全てを、もっと大きな何かで、 
否定するかのように、まっすぐな瞳は、ワタシを優しく包んだ。 


瞳が優しく微笑んでいた。 
優しさに、根拠なんてない。 
でも、そう感じた。 


見透かされているような気がした。 
惰性と慢性で、この世に遷ろうワタシの心を。 
自分に自信のない、ワタシの心を。 
変わりたくても、変われないワタシの心を。 


変われたらいいのに。 
ワタシは、変われるだろうか。 
この先の道を、私は変えることができるだろうか。 


「ツグミさん。契約時間は終了。 
でも、延長だ。僕と一緒に行こうよ」 


彼が何を考えているのかわからなかった。 
彼はただ、ワタシの過去の話を、黙って頷き、聞いてくれた。 
優しい眼差しで。見えない私を、見てくれていた。 
私は彼に身を任せようと思った。 


彼の優しさと、眼差し。私に向けられた言葉たち。 
嘘か本当かなんてわからない。 
でも、そんなことどっちだってよかった。 


42年間で一番、めまぐるしく私の人生が動いた時間。 
正しいとか、間違っているとか、そういう価値判断に委ねることをやめた日。

「ワタシは、カレに 誘拐された」 


12月の初め。 
街はイルミネーションで彩られ、浮き足立つ。 
陽気な音楽がジングルベルを唄っていた。




vol5へ続く
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