ポスト・スティグマ vol2【創作小説】

公開日: 2014/04/05 CW 創作








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畑中里美の誘拐事件発生から1週間が経ち、警察は公開捜査に踏み切った。 



公開捜査二日目。各メディアは大きく事件を取り上げていた。不動雄一はインスタントコーヒーを入れて机に座ると、新聞を手に取り事件の記事に目を通した。 



行方不明となっているのは畑中里美42歳。看護師。都内で一人娘と二人暮らし。 
失踪日は夜勤予定であったが、勤務時間になっても出勤せず、病棟の師長が自宅に電話を入れるも不在。その後長女の携帯電話に、畑中里美本人の電話から男の声で誘拐をほのめかす電話が入り、事件発覚。犯人の目的は未だ不明。身代金の要求等もないまま犯人側からのコンタクトはなく、事件に関する情報の少なさから、警察は公開調査に踏み切った。 
というのが今日までにわかっている事件のあらすじだった。各紙、報道内容はどこも大差なく、同じような情報が紙面に踊っていた。 


昨日から降り続いた雪は、町を銀色に染めていた。庁舎の3階から見えるノスタルジックな街の風景とは裏腹に、不動の心は土砂降りの雨で身動きのできない旅人のようだった。 
畑中の孤独死。託された手紙。そして畑中里美の誘拐事件。本来ならば地方都市のケースワーカーが首を突っ込む必要のない、いや、そんなことに普通はなり得ない現実が、不動の心に重い影を落としていた。入れすぎてしまったコーヒーを溢さないように慎重に口に近付ける。 



約束なんて安請け合いするもんじゃない。
でも、この約束を本当の意味で遂行できるのは、自分しかいない。手紙を渡すという行為には、畑中夫妻の生きざまを伝える、という意味も含まれている。妻の聡子がその役割を果たせない今、いったい誰がその役割を果たすのか。答えはすぐに出た。わかりきったこと。わかりきっていたからこそ、あの日、里中の前で、誓ったのだ。約束を守ることを。 


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T県M市  
T県の県庁所在地であるS市に隣接する人口30万の都市。
M市生活支援課 課長 不動雄一 36歳。


保護受給世帯は約1900世帯。査察指導員3名。ケースワーカー20名 


不動雄一は、パーテーションで仕切られた8つのブースのうち、エレベーターのある入り口側のブースに座り、申請の相談に来る人間たちの言葉に耳を傾けていた。 


「息子が先週まで髄膜炎で入院してたんですが、医者からは詳しく検査をしなければと言われたのに・・・それを押し切って退院してきたみたいなんです。派遣の仕事だったので、仕事も首になったみたいで…。頭が痛いと言ってて・・・でも医療費を払えないから、病院には行かないと言っていているんです…。医療費だけでも生活保護は受けられないでしょうか・・・」


「娘が末期のがんと診断され、3人の孫もいて生活していけるような状況じゃないんです。私も年金暮しですし、家で孫を見ることはできますけど、とてもじゃないですが生活できません。生活保護を受けられますか。」 


日々続く、相談業務。その内容は、今の世の中の不条理さの縮図のようだ。この仕事は、いつだって相談者の背中に時代を見ることになる。それは、幸福な時代ではない。彼らの背中から切り取られる時代は、苦しく厳しい時代のポートレートだ。 


M市生活支援課。ケースワーカーの平均経験年数は4年。その業務内容の過酷さから、誰もが行きたがらず、若手が育たない部署として有名だ。国が目安としている福祉事務所の職員配置の標準数は、受給世帯80ケースに対して1人。 
だが、この標準数が守られている現場は少なく、M市でも、1人のケースワーカーが90ケースを抱え、現場では、経験年数2,3年のケースワーカーたちが日々四苦八苦している。保護に至るまでの道筋にマニュアルはあっても、各世帯はそれぞれ個別の問題を抱えており、保護費を渡して、ハイおしまいというわけにはいかない。
 

生活保護は、憲法に定められた国民の、「健康で文化的な最低限の生活を保障する」上での最後の砦だとされており、自立した生活を援助することを目的としている。 
貧困は、それ単独では存在しない、というのが不動の持論だ。貧困は貧困を生み、世代間で貧困の連鎖が起こる。綱渡りの生活をしてきた人々が、病などを機に貧困の沼に陥る。 
防貧機能を持つ社会保障の網からこぼれおちた人々にとっての救貧制度。網の目は時代を追うごとに粗くなり、網から落ちた人々は貧困に陥っていく。 



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今日も朝8時半の業務開始とともに、3階のフロア全体に電話の呼び出し音が鳴り渡る。 


「不動課長、外線です。回します。」 

「どこからだ?」 

「それが、名乗らなくて…」 

「相手先の所属名前くらい聞いとけ。今年で何年目になるんだ。っつたく。」 

「すいませ~ん」 


間延びした声の主は、新見恵理子。生活支援課3年目の中堅。新卒で生活支援課を希望した生粋のマゾ娘。かわいい孫オーラ全快の25歳。ちょっとぽっちゃりとした体形が、彼女の間延びした声を余計にスローテンポに感じさせる。 


「へい。回せ。 
はい、お電話替わりました。不動です。」 

課長の席は、空調の吹き溜まりの席。 

「不動さん、お久しぶりです。鋼野です。お元気っすか?」 


聞き覚えのある声。受話器の故障を疑うボリューム間違えの甲高い声。声の主を記憶から引っ張り出すと同時に、あの事件の記憶が蘇り、腹の底が焼ける感じがする。忘れるはずはない。3年前、自分が、今もここに留まる理由となったあの事件だ。 


「鋼野か。なんか用か。」 
意図せずとも溢れ出してきてしまう記憶を押さえつけ、言葉を返す。 

鋼野幸次郎。大手新聞社の社会部記者。3年前のとある事件を機に顔を知る仲となった。 


「不動さん。つれないなぁ。まだあの時のこと根に持ってるんですか。世にはびこる悪を国民の審判にかけるのが俺たち仕事。何も間違ってはいないでしょう。 
ってそのことはもう終わったことでしたね。俺は過去の仕事には興味も執着もないんす。 
そんなことより、知ってますか。1週間前に起きた看護師誘拐事件。」 
わざとらしくトーンを落とす。 


確かにコイツは悪くない。だが、個人的な感情がそれを肯定させず自分の器の小ささを思い知る。結果として、鋼野の記事がメスとなりM市の生活保護行政の病巣を切除したのは明らかだ。結果的には全てが好転した。だが、国民の審判とは、傲慢ぷりもここまでいくと上等なもんだ。 


「ああ。知っているよ。新聞でもテレビでも見ない日はないからな。」 


あの事件以来、世論の生活保護行政に向けられる眼は厳しいものとなった。 
鋼野はあの事件での功績を買われ、社会部のデスクのポストについたと風の噂で聞いた。大手新聞社の社会部のデスクが、管轄外の事件に首を突っ込む暇などあるのだろうか。相変わらずよくわからないやつだ。 


「んで、誘拐された女の親父さんが変死体でぽっくり逝ったって本当ですか? 
しかもM市在住。生活保護を受給していたっていうじゃないですか。 
ピンときましたよ!不動さん、本当にあなたとは運命的なものを感じますよ。」 

そういうことか。こいつの嗅覚はハイエナ並みだった。 
どこで聞きつけたか。それで今日のこの電話というわけか。 


「何処で聞いたんだよ。つーか変死体じゃなくて病死だ。 
警察がらみはお前のテリトリーじゃないだろ。」 


「まぁいいじゃないすか。同期のサツ周りの記者と飯食ってたときに小耳に挟んだんですよ。畑中里美の身辺を洗ってたら、親父さんの死亡って情報に行きついたって。 
事件には関係なさそうなんで、警察から公式発表されることはないでしょうけど。 
しかし、失踪日と遺体発見日が一緒だなんて、なんという偶然。つーかおもしろそうだ。 
おっと不謹慎でしたね。まぁ、長年の勘から、今回の誘拐事件と女性の親父さんの死亡…。なんかひっかかるんですよね。」 


「長年の経験って、おまえは刑事かよ。 
結局興味本位かよ。つーか仕事しろ。個人的な興味で首突っ込んでくるな。」 


畑中は病死だった。事件性はない。誘拐事件がらみで騒がれることはないだろう。 
それよりも、畑中の孤独死が問題となり、M市の生活保護行政批判が、マスメディアに再登場する。その可能性のほうが十分に高いと思われた。だが、コイツだけはそれをネタには飛びつかないだろう。そもそも保護打ち切りの結果としての餓死でもなければ、叩かれることもない。そう思う瞬間に思い知らされる自分の保守的体質にため息が出る。 


「ネタっつーのは3次元なんですよ。タテ、ヨコ、オクユキ。俺は、オクユキの無い事件なんて興味はないんす。事件の持つ奥行きさえも紙面を読んだ読者に伝える。それが俺のモットーですから。」 

3年前の事件後、コイツが吐いたセリフを思い出す。 

「まぁ。なんにせよ。俺の勘がむずむずと記者魂をくすぐるんですよ。 
これはなんかある。確証はなし、でも根拠のない自信がある!」 


「記者魂なんて、お前にあったのかよ。」 


「やだなぁ。不動さん。魂は誇り、プライド、っすよ。 
不動さんにだってあるでしょうよ。とにかくこの件に関しては鋭意捜査中、ということでご協力願います。では、今日は簡単なごあいさつにて失礼します!」 


一方的にそういうと電話は切れた。 
プライド、か。アイツの口からそんな言葉が出ることが意外で可笑しい。 
事件と名のつくところに、アイツの名前あり。だとしたら今回も何かが起こる。 
根拠などない。アイツの言葉を借りるとしたら、「勘」とでも言うのだろうか。 


3年前、M市生活支援課内で、生活保護費の不正受給事件を皮切りに、職員による保護費の着服事件が発覚した。不正受給、着服はあってはならないことだが、正直なところ珍しいことではない。だが、M市の着服事件においては、職員3人とホームレス支援を行っていたNPOの職員が共謀していた、という事実が世間の批判の集中砲火を浴びた。支援する側に立つ側の者たちがホームレスを、生活保護という制度を自身の私服を肥やすために悪用したという事実。それをすっぱ抜いたのが鋼野だった。 


4年前、前任者が辞職し、市の経済推進課から異動となり課長ポストについた不動は一連の不祥事の対応に追われた。マスコミ対応の窓口を担当し、トップによる真摯な謝罪劇を演出、生活保護行政の抜本的改革案の提出等、不動の適切な対応により、市のイメージダウンは最小限に留められた、というのが事件から3年たった今、庁舎内での一定の評価だ。 


幸か不幸かその評価ゆえ、不動はここに留まることになった。 
着服事件を機に、M市の生活保護行政は抜本的な改革を迫られた。県庁から特別査察指導員が出向し、特別査察指導課が設立されることになり、実働のケースワーカーをチームに入れるという県庁の特別査察指導員の意向で、不動に白羽の矢が立ったのだった。 
課長なんぞただの肩書に過ぎない。裁量権と責任の量が多いだけで、万年人員不足の生活支援課においては、現場を指揮するその名の通りの「管理職」などは生まれるはずもなかった。 


生活支援課課長別査察指導課査察指導員。長ったらしい肩書が、余計に長ったらしくなってうんざりしたのを覚えている。 


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-4-

やるべきことは山積みだ。机の上に置かれたファイル。
畑中の死について、市の孤独死防止委員会からケースレポートの提出を求められていた。 


畑中夫妻が住んでいたグリーンポート高岡は、生活保護受給世帯が多く、部署内では、別名「保護住宅」と呼ばれていた。 

孤独死という言葉が広く知られるようになったのは、阪神・淡路大震災後だと言われている。仮設住宅で相次いだ孤独死が広く報じられたことで、その認知が急速に進んだ。 
全国的な孤独死の数は、自殺者を上回るとの指摘さえある。社会の高齢化と独居世帯の増加、雇用の流動化とコミュニティの希薄化が、孤独死を生む。どこかの大学教授がそんなことを言っていたのを思い出す。 


「私が死んだら、手紙を娘に渡してほしいのです。」 
「私たちは娘に、伝えなければならないことがありました」 
「真実に向き合い、それを告げる勇気がなかったのです」 


畑中の記した最期の言葉たちを反芻する。畑中の言う真実とはなんなのか。 
手元にある一通の封筒。ここに真実が記されているのだろうか。その真実とは今回の誘拐事件に関係があるのだろうか。封を開けたい衝動に駆られ、胸で大きく息を吸う。 
青臭い正義感のようなものが胸をつつき邪魔をする。この封を開けるのは畑中里美でなければならない。 

「しかし、失踪日と遺体発見日が一緒だなんて、なんという偶然。」 
昼間の鋼野の言葉が蘇る。馬鹿らしい。 

再度、ケースレポートに目をやる。畑中里美は都内の看護専門学校を卒業したのち、都内の病院に就職。経済的に困窮しているわけではなかったようだが、畑中夫妻への経済的援助は行わないという意を示した。ケースレポートの記録では、畑中と初めて相談に訪れたのは3年前の12月となっていた。


全ては、3年前に引かれた”引金”だった。

だが、そのことに未だ誰も、気がついてはいなかった。
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