ポスト・スティグマ vol1【創作小説】

公開日: 2014/04/04 CW 創作



-1-

10度を割り込む日々が続いていた。

息は白く舞い上がり、そこに自分がいることを教えているようだった。 
天気予報は雪。厚手のコートにマフラーを羽織り、不動雄一は庁舎を出た。 


公団住宅の一室。 
ドアを開けると、男女二人が立っていた。 


「お疲れ様です。お待たせしてしまってすいません。」 
靴を脱ぎ、二人のいる居間へ向かう。 


冷え切った部屋の中には 
何かが腐ったような、なんともいえない鼻をつく匂いが充満していた。 


「不動さん…これ…」 


民生委員の木村茂子が、なんとも言えないような目でこっちに視線を向けた。 
肉付きのいい顔の中に埋もれている目が、余計埋もれて見える。 


「ちくしょう…。まただ…。 
今年で4人目だ…ちくしょう、ちくしょうっ…」 


町内会長の島田達雄はすっかり禿げ上がった頭に 
暑くもないのにハンカチを当て汗を拭きながら、ぼそっと言った。 


肌が切られそうな寒さの中、密閉された空間で作られた何かが、 
そこで泣き叫んでいるように思えた。 


カラスの声が止むことなく響いていた。 
子どもたちの笑い声が、外から聞こえた。 


誰かの泣き声が、聞こえた気がした。 

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 -2-


公団住宅の一室。 
13棟の303号室で、1人の老人が死んだ。 

畑中正弘 82歳 独居。 


脳梗塞後、意識喪失。 
死後一ヶ月ほどが経ち、腐敗がはじまっていた。 


「グリーンポート高岡」 
40年前に建てられた大規模な公団住宅で、15棟からなり 
総世帯数は1000以上になる。 


建設当初は、戸建てを夢見る現役世代の住居であったが 
40年経った今、その役割は変化し、所得の低い高齢者の多く住む 
高齢者住宅と化していた。 


老朽化による建て替えが始まり、 
他の地域の公団に移る人、新しく入ってくる人 
コミュニティの再編成が行われる過渡期でもあった。 


畑中正弘の死は、「孤独死」だった。 
M市の「孤独死防止委員会」の定義では、 
「死後3日以内に発見されない場合」を孤独死と定義している。 


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-3-


警察から開放されたころには、夕日が沈む時間になっていた。 


「不動さん、仕方ねぇよ。あんま自身のせいになさんなよ。 
ちゃんと訪問だって来てたんだ。業務怠慢でもなんでもない。 
タイミングが悪かったんだよ。本当に。」 


島田が、悔しそうに呟く。 


「むしろ、俺たちが気づかなきゃいけなかった。 
一人暮らしの高齢者は把握していたんだ。 
でも、まさか畑中さんがな・・・っていうのが正直なところだよ」 


一ヶ月前の棟ごとに行われる清掃活動にも畑中は来ていた。 
畑中は、真面目な人で、礼儀正しく愛想よく、地域の子どもたちからも 
人気があったし、愛されていた。 


防げなかった。 


畑中は生活保護を受給していた。 
役所のケースワーカーである不動、民生委員の木村、 
島田をはじめとする町内会 
目はあったはずだった。 


畑中は、亡骸となり、そこで何を思っていたのだろうか。 
せめて、せめてもっと早くに見つけてあげたかった。 
悔しさがこみ上げてくる。 


そんな自分の想いに気づいてか、 
民生委員の木村がポンと肩を叩く 


「ほら、これでも飲んで」 


缶コーヒー。暖かさが、手の先から血液を介して全身に行き渡る気がした。 
そういえば今日は町内会のクリスマス会だった。 
聞こえた子どもたちの声は、準備にはしゃぐ声だったのだろう。 


「家族に連絡をしなきゃよね? 
奥さんはあれだけど、娘さんは…?」 


畑中の妻は数年前から入院をしていた。 


「娘は東京にいるんですよ。」 


「こんなことになっちまって、 娘さんに伝えるのも酷だな。 
嫌な役を…ごめんな、不動さん」 


島田が、下をうつむきながらそう言った。 

カラスが鳴いていた。いつもより、早く、小刻みに。 
生き急ぐかのように。何かに追われるかのように。 


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-4-

庁舎に戻り、ケースレポートをめくる。 

「No,3208 
畑中 正弘 聡子 

受給開始●年●月・・・ 


畑中は、数年前、妻の入院がきっかけで、 
妻と二人、世帯で生活保護受給となった。 


妻の聡子は、アルツハイマー病、脊髄小脳変性症を発症し、数年は、自宅での療養を続けていた。 だが、2年前、畑中が買い物中に自転車に轢かれ、転倒し骨折・手術が必要となり入院。畑中の「妻を一人にしたままでは自分は入院できない」という訴えにより妻の聡子も一時的に入院をすることになった。 


畑中が入院したと聞き、病室に行ったときのこと。 
彼は真っ黒に焼けた肌の皺をこれ以上ないくらいにくしゃくしゃにし、 
嗚咽を漏らしながら、かすれる声で言った。 


「私がいなくては妻は生活していけないんです。 
不動さん、すみません。私は大丈夫ですから、 
どうぞ、どうぞ妻をよろしくお願いします。 
お願いします・・・」 


妻の聡子は、認知機能にも障害をきたしていた。 
彼女の真意を図ることはできなかったが、 
不動は県内の病院を当たり、当面入院させてくれる病院を探した。 


妻の聡子の病は進行していった。 
その後、畑中が退院するも、妻の聡子の病状も芳しくなくなり入院は続いた。 

畑中は、毎日の面会を欠かさなかった。 
人柄のよい畑中は、病棟の看護師からも評判がよく 
「畑中さんのおとうさん」と呼ばれ親しまれていた。 


不動も、数回、畑中と一緒に聡子の面会に行った。 

ベッドの上で眠っているようだった。 
畑中は布団のずれを直すと、 
妻の顔にかかった髪をそっと優しく撫でていた。 
無言で、穏やかな寝顔の妻を見つめていた。 


「しあわせって何ですかね。」 


畑中がそっと呟いた言葉は、誰に向けての言葉だったのだろう。 
今となっては、あの言葉の真意を聞くことはできない。 

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 -5-


畑中の自宅を整理していた。 
早く掃除をして、清掃業者に入ってもらわないと臭いが消えないらしく 
島田と木村も手伝いに来てくれた。 

あまりモノがない家だった。 
畑中に最初に出会った頃から、部屋の景色はあまり変わらない。 
いるはずだった二人がいない、ということ以外は。 

「ねぇ。手紙よ」 
木村の声に、振り返る。 
丁寧に封の閉じられた封筒がぽつんと机の一番上の引き出しの中に置かれていた。 


【里美へ】 


「娘さん宛の手紙みたいね」 


万年筆だろうか。角ばっているが達筆といっていい文字が 
封筒の中心で寂しげに佇んでいるように見えた。 
娘に宛てた手紙だった。 


その隣には、不動宛の手紙が添えられていた。 
爪で封筒を切り、ゆっくりと封筒を開ける。 
紫陽花とナメクジの絵が書かれた便箋に、角ばった文字が並べられていた。 


「不動さんへ 

今、あなたがこれをお読みになっていらっしゃるということは、 
私はもうあなたと話が出来る状態ではないということだと思います。 


今、季節は春でしょうか、夏でしょうか。それとも秋冬でしょうか。 
私は出来たら春先の萌芽の感じられる季節であってほしいと願っていますが、 
その願いは神さまに聞き入れていただけていますでしょうか。 


福祉の世話になることになってしまったことは、私にとって恥ずべきことでした。自分たちの営みを、自分たちの生活を、自分たちの力だけで為すことができないわけですから。人様が必死に働いて稼いだ銭が、私たちのような、ただ日々を生きているような人間たちのために使われることが、とても申し訳なく、悲しく思うのです。 


不動さんもご存知の通り、妻は病にかかり、今は私のこともわかりません。 
医師の話ですと、命ももうそれほど長くないそうです。 
私たちもともに齢80を超え、もう十分生きたと思うのですが、隣にいる妻と、今までの思い出をともに語り合えないことが、私は、たまらなく悲しいのです。 


妻が病を患ってから、私は本当の意味での孤独を知りました。 
妻が、妻でなくなっていく日々。確実に進んでいく病。 
私にできることは何もありませんでした。 
ただ、手を握り、日々語りかけてあげることしかできません。 


何度も、妻と一緒に死んでしまおうかと思ったこともありました。 
ですが、私は死ぬのも怖かったのです。この先そう長くはない人生を生きていくことも恐ろしかった。かといって、その人生を放棄することも怖くてできない。私は、そんなどうしょうもない人間だったのです。 


不動さん。私はいつから、道を過ってしまったのでしょうか。 
80年も生きて、今、目の前にあるのは、悲しみばかりです。 


出来ることなら、妻をたくさん旅行に連れて行ってあげたかった。 
ずっと、苦労をかけっぱなしでしたから。 
だから、老いてからは楽をさせてあげたかった。 
でも、それはもう、叶わぬ夢です。 


人様の銭で食わせて、生かせてもらい 
それ以上のことを望むだなんて、人は本当に欲深い生き物なのですね。 


ですが、私はやっとわかるようになりました。 
幸せの意味。自分にとっての幸せ。 
もう、今は妻の手を握っていられること。 
そこに幸せを感じられるようになりました。 
残された人生を、私が選んだ女性と最期まで生きる。 
それが、私にとって、人生で最期に悟った幸福論なのかもしれません。 

長くなってしまいました。 
最後にひとつ、不動さんに、お願いしたいことがあります。 

私が死んだら、手紙を娘に渡してほしいのです。 

娘のことは、私と妻の心残りなのです。 
私たちは、娘に、伝えなければいけないことがありました。 
ずっと、伝えなければいけないと思っていた。 
でも、私たちは、結局最後まで伝えることができなかった。 
真実に向き合い、それを告げる勇気がなかったのです。 


これが、最後の機会だと思っています。 
こんな、私たち家族のことをお願いするのは本当に申し訳なく思っています。 


妻もあんなになってしまって、頼めるのは不動さんしかいないのです。 
最後の最後まで、本当にすみません。 
先ほども申し上げましたが 、
私は、福祉の世話になったことは恥ずべきことだと思っています。 
ですが、不動さん。ひとつだけ幸せなことがありました。 

それは、貴方のような方に出会えたことです。 


あなたは私よりもずっとお若い。 
ですが、私は、私と妻は、あなたに励まされ、 
ここまで生きてこれたことも事実なのです。 

あなたに出会えて幸せでした。 
不動さん、お元気で。ご自身の信念を貫き、 
素敵なお仕事を続けてください。 


それでは、本当にお世話になりました。 
また、いつかどこかで出会えることを願って。さようなら。 

                         

                        畑中正弘拝 」 



「不動さん…」 
木村は泣いていた。目がますます肉に埋没している。 


「ちくしょう…」 

「畜生!!」 


早く見つけてあげたかった。 
死なせたくなかった。 
畑中の口から、娘に伝えてほしかった。


畑中が娘に伝えなかったこと。 
伝えなければならなかったこと。 


これは、自分の畑中に関わる最後の仕事だと思った。 



「畑中さん、約束は守るよ。」 


拳に力を込める。信念を貫き、仕事をする。 

畑中が、不動にくれた言葉だった。 



「しあわせって何ですかね」 


畑中の言葉が蘇る。 
自分の胸の中で反芻し、不動は部屋を出た。 


もう二度と、訪れないであろう、303号室を。 



オレンジ色の夕日が、不動を照らした。 
眩しさに一瞬目を細めると、駆け足で階段を駆け下りていった。 


___________________________ 


-6-

畑中夫妻と長女、里美の関係は疎遠だったようだった。 
生活保護申請後、娘とやり取りする機会があったが 
娘の里美とは電話で数回やり取りをした際の記憶はほとんど残っていなかった。 


【家族構成】 
長女 畑中里美 
住所・・・・東京都・・・ 


受話器に耳を当てる。冷え切った受話器の温度が頬に伝わる。 

冬は寒く、夏も寒い。カラダに悪い職場だ。 
夏は、クールビズ推進とかなんとかで室温は28度に設定されているが 
空調の調子が悪いのか古いのか、この席は風の吹き溜まりで、寒くて仕方ない。 


吹き溜まる生暖かい風が肌をつたい、鳥肌が立つ。 

コール4回目で、電話を取る音が聞こえた。 


「T県M市生活福祉課の不動と申します。 
畑中正弘様の件でお電話させていただきました。 
畑中里美さんはご在宅でしょうか?」 



出たのは、男の声だった。 警察だった。


翌日、ニュースがその事実を伝えた。 
畑中里美は、失踪、いや、誘拐されたということを。 


翌日の朝刊には見出しが躍った。 
「40代女性看護師 誘拐事件」 


人生は何が起こるかわからない。 
不動はこのとき、先人たちが幾度となく言葉を反芻した。



「あなたに出会えて幸せでした。 
不動さん、お元気で。ご自身の信念を貫き、 
素敵なお仕事を続けてください。」 



畑中の言葉が蘇る。 


「畑中さん、約束は守るからな」 



不動は、そう自分に言い聞かせると、息を吐いた。 
息は白く舞い上がり、そこに自分がいることを教えるようだった。 


天気予報は雪。 
厚手のコートにマフラーを羽織り、不動は再び、庁舎を出た。




ポスト・スティグマvol2 に続く
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