語りきれないこと-危機と傷みの哲学-(Books)

公開日: 2012/04/17 MSW 勝手にブックレビュー 読書記録

私が過去に、ナラティブ・アプローチについて記したエントリの一文に以下のようなものがあります。


ライフヒストリーは、「語り直し」という現在進行形の作業を経て、ストーリーになる。ストーリーを語る中で、ヒストリーへの意味づけはアップデートされていく。

ナラティブ・アプローチはその人のヒストリーへの意味付けをアップデートしていく過程に「意味」を置くもの。

「ヒストリーへの意味付けをアップデートしていく過程」というのは「経験に付する意味付けを、語りにより(可能な限りよい方へ)更新していく過程」とほぼ同義です。
この過程で生まれる「自らのライフヒストリーを見つめ直す時間」、「語り直しにより、過去の経験に対して新たな意味付けをし、更新していく時間」が、その人自身の人生に整合性(自己肯定感、自己愛とでも言えますでしょうか)を与えてあげることになるのだと思っています。 
(過去エントリ:ナラティブ・アプローチにおける「語り直し」について

私は、日々現場で出会う患者さん家族の言葉を、ナラティブの視点で捉えたときに、その重要な概念になるのが「語り直し」というものではないか?という問いを得ました。

今回ご紹介する「語りきれないこと-危機と傷みの哲学-」は哲学者である鷲田清一氏の著作です。その中の一章に『「語りなおす」ということ-語りきれないもののために-』という章があります。


非常に示唆的で、かつ私個人の価値観の輪郭をよりはっきりさせてくれる、炙り出させてくれる表現が多々ありましたので、以下、引用をさせていただきます。


物語としての自己 

わたしたちはそのつど、事実をすぐには受け入れらずにもがきながらも、たとえば腕をなくした、足をなくしたとか、子どもを亡くしたとか、じぶんはもう病人になったという事実を受け入れるために、深いダメージとしてのその事実を組み込んだじぶんについての語りを、悪戦苦闘しながら模索して、語りなおしへとなんとか着地する。 
人生というのは、ストーリーとしてのアイデンティティをじぶんに向けてたえず語りつづけ、語り直していくプロセスだと言える。(中略) 
そうすることで、じぶんについての更新された語りを手にするわけです。言ってみれば、(わたし)の初期設定を換える、あるいは、人生のフォーマットを書き換えるということです。(P27-28)

対話の言葉、ディベートの言葉

対話の場でふと何かが腑に落ちるとき、わたしたちは整合性や合理的根拠によってではなく、むしろ言葉の感触やテクスチャーによって何かに気づかされている。口調とか、一言一言の言葉の肌理。あの声だったら納得できるというような、声の肌理もあるかもしれません。(P128)

現場へ

いざとなったらじぶんの専門性をいつでも棚上げできる用意ができているというのが、プロなのです。哲学も同じはずです。現場に行くというのは、じぶんが密室で磨いてきたナイフで現場を切ることではありません。 
予測がつかないことが次々に起こる場に身を挿し込んで、そこに居合わせる人たちがどういう知恵を働かせて事態に対処しているか、不確定な状況のただなかで、不確定なままにどう正確に対応してきたか、その知恵を発見すること、そのことが重要です。 
ずっと現場にいる本人は「経験」でやっているから、言語化できない。そこを言語化し、翻訳するということです。理論を構築し、哲学史を実証的に研究するというのはもちろん、哲学研究です。しかし研究とは別に、哲学のもう一つの大きな仕事として、そういう翻訳者としての仕事があると思います。(P164-165)



第一章の『「語りなおす」ということ-語りきれないもののために-』は、人生における大きな転換期にいる人、そしてその傍にいる人。そんな人に読んでもらいたい文章です。きっと、勇気がもらえるはずです。


病める人、誰かの支えを必要とし、今まさに「語りなおし」の最中にいる人と向き合う上でも、考えるヒントが多く得られるのではと思っています。


「語ること」、「語りなおす」ということ。
そのことが、持つ意味について、改めて考え、自分自身の価値観を炙り出された一冊でした。




第1章 「語りなおす」ということ――語りきれないもののために 
心のクッション?/「まちが突然、開いた」/語りにくさ/〈隔たり〉の増幅/〈物語〉としての自己/〈わたし〉という物語の核心(コア)をなすもの/断ち切られたアイデンティティ/傷を負いなおす/語りなおしと、その「伴走者」/語りは、訥々と/語りを奪わず、ひたすら待つこと/痛みに寄り添う日本語/「お逮夜」という喪の仕事/「死者」として生まれる/なぜわたしが生き延びたのか/理解することと、納得することの違い/時間をあげる、ということ 

第2章 命の世話――価値の遠近法 求められる、もう一つの語りなおし/危機の信号/決められないわたしたち/無力化された都市/消費の町/「命の世話」の仕組みが消えた?/快適さ(アメニティ)の罠/労働なき町を語りなおす/ベットタウンの中の子どもたち/絶対になくしてはならないものを見分ける/言葉は心の繊維/言葉の環境/聴くことの、もう一つの困難/やわらかく壊れる?/ケアの断片が編みこまれた場所/幸福への問い 


第3章 言葉の世話――「明日」の臨床哲学 見えないことが多すぎて/特殊な素人/見えているのに見てこなかったこと/「不寝番」の不在/倫理を問うことが倫理を遠ざける?/トランスサイエンスの時代/言葉を品定めする/口下手の信用/「自由作文」の罪?/対話の言葉、ディベートの言葉/テクストとテクスチャー/文化としてのコミュニケーション/コミュニケーションの二つの作法/カフェという集い/パブリック・オピニオンとポピュラー・センチメント/模擬患者という試み/コミュニケーション圏/コミュニケーションの場を開くコミュニケーション/いまもとめられる対話のかたち/ワークショップは不安定でよい/インターディペンデンス/よきフォロワーであること/責任という言葉/現場へ/哲学を汲みとる/前知性的知性/価値判断をわたしたちの手に 


むすび――寄り添い、語りなおしを待つ





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