25歳を迎えて【自分史001】

公開日: 2012/03/20 自分史

2012年4月には、現場5年目を終え、6年目を迎えることになります。
このBlogも春から5年目に突入します。5年という節目の年をきっかけに、自分の今までの歩みを振り返る意味で、過去に手書きで書き残しておいた文章等をBlogにアップデートしていこうと思っています。(自分の振り返り色が強い、私的な内容のエントリになってしまうのですがご容赦ください)


本エントリは、25歳を迎えて【自分史001】と称しまして、2010年に記した文章をアップしていきたいと思います。もしよければお付き合いください。



2010年4月10日


春は出会いの季節。 
色々な人と話をする機会があり、新しい出会いもあった。 
残しておきたい言葉たちにも出会えた。 

25歳になった。
15歳だった自分が10年生きることが出来た。
この10年に感謝し、今思うことを書き記したいと思う。

25歳の今年は、仕事をはじめて3年目になる。
自分が普通に生きていたら出会わなかったであろう多くの人に出会った。

自分の人生に真摯に向きあい、必死で生きている人がたくさんいることに気づいた。 
それだけで勇気づけられたり、明日も頑張ろうと思えることのありがたさにも気づいた。 


でも、ずっと頑張り続けていくのはつらいな、とも思った。


自分は中学生の時、大きな病気で死にかけた。 
自分だけではどうしようもできないことがあるということをその時に知った。 

大きなつまづきからひとりでは立ち上がれない自分を、 
家族、友人はもちろん、色々なオトナたちが手を差し伸べ助けてくれた。 

なにかと病室に来ては、いろんな話をしてくれた2人の研修医のDr 
10年たった今、お2人とも小児科医になり頑張っておられる。

家まで勉強を教えに来てくれた中学校の先生。 
同窓会で、無事に社会に出れたことを報告できた。 

1年以上学校に行けなかったけど適当に出席をちょろまかしてくれた担任の先生。 
そのおかげで推薦で高校浪人せずに高校にも行けた。



高校の時も出席日数足らなかったけど、先生がテキトーにちょろまかしてくれて留年せずに済んだ。 

中学2年生からまともに勉強できなかったので、高校2年の時、数学の平方完成もできなかった。それでも理系に進みたいという自分に、無償で補習をつけてくれた塾の先生。 

大学1年の時、自分のやりたいことは他にあるのではと気づき、迷っていた自分に対し、専門外にも関わらず、なにかと相談にのってくれ「やりたいことをやるべきだ」って背中を押してくれた工学部のじーちゃん教授。 

ソーシャルワーカーという職業の意味を全身で教えてくれた女性。 
彼女のクライアントだった自分は、彼女のおかげで自己肯定感を再び育んでいくことが出来た。 


そんな15歳から20歳になるまでに出会ったオトナたち。 
みな、自分の人生の一時を共有してくれた人ではあるけれど、結局はみんな他人。でも、みんなが自分のルーチンワークの外まで手を伸ばして、自分を助けてくれた。 

どれひとつ欠けても、きっと自分は今の自分ではいられなかったな、と思う。
どちらかに転ぶかわからない綱渡りを、悪い方に転ばないようにと、そのときどき、色々な人が社会が自分に手を差し伸べてくれたからこそ、今この場に立っていることが出来る。


19歳の頃。 自分は運がよかったんだ、と思った時があった。 
つまづき、立ち上がれなかったら、今どこで何をしていたんだろう、と。大学にも行けず、引き籠っていたかもしれない。楽しいことなんて何一つない生活を送っていたかもしれない。 

そんなことをぼんやりと考えたとき、

 
「でも、運なんていう言葉ですべてが片付けられるわけなんてない。

そんな理不尽なことなんてあっていいはずがない 


と、強烈に自身の思考を否定する言葉が頭に浮かんだ。 

「運がよかった、悪かったで片付けられるなんて無責任すぎる。 人と社会に手を差し伸べてもらったからこそ今の自分がここにいることに気が付いているのであれば、自分にできることを考えなくちゃ!自分にも何が出来ることがあるのでは?」 

そう思った日から、新しい今がスタートした。 


生きていくということは平坦じゃあない。 
ときにつまづくことだってある。 
起き上がるまでに時間が必要なときだってある。 


頑張り続けてつまづいたとき。 
自分ではどうしようもできないことにつまづいたとき。 
人や社会がその人に対して 


「少し休んでもいいよ」 
「少しくらいつまづいたっていいさ」 
「僕らがなんとかするからさ」 


「あなたを、待ってるよ」 


と言ってあげられる世の中。 


「みんなに少しの余裕があれば、きっと人も社会ももっと人に優しくなれる」 


昔だったらナナメから噛み付いていたかもしれない言葉。 
その言葉に素直に「そうだね」って言えるようになった。 
それは少しオトナになれたということなのかもしれない。 


頑張るのに疲れた時 
しんどい、誰かに助けてほしいと思った時 
ちょっとつまづいてしまった時 


少し休んで、また頑張ろうと思える社会 
それを許容できる包容力のある優しい社会 


自分の仕事の先にある、果たしたい理想。 
ぼんやりと、ぼんやりと…少しずつ見えてきたような気がする。 


それはきっと今の仕事でなくてもいいのかもしれない。
でも、今の仕事を選択したからには、その仕事の先に自分の目指す理想を重ねたい。 


笑って過ごせる平凡な日々の積み重ねが、今を生きる力になる。 


今、笑える余裕があるのなら 
周りにいる人を全力で大切にしよう。 


いつか、大切にできなくなる時がくるかもしれないから。 
そのときまで、愛を持って真摯に、大切にしよう。





記:2010年4月10日

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お恥ずかしい話ですが、このような語り直しを何回も何回も重ねることで、今の自分を形作ってきたんだなーと振り返り思っています。
今後も、ぽつりぽつりと自分語りをしていくかもしれませんが、ご容赦くださいませ(笑





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