理解しようとする行為

公開日: 2010/02/24 MSW

就職をしてから、学生時代よりも本を読むようになりました。


ソーシャルワーカーは、大げさに言えば人生の岐路に立たされているような人たちに日々出会っているようなもので、あまりにドラマチックで劇的で、ときにドロドロした人間たちの舞台の傍観者、ときに登場人物となることもあるわけです。


当然のことですが、人の数ほどドラマチックな人生があるわけで、ただ単にソーシャルワーカーの仕事の性質上、舞台の佳境にいる人に出会うことが多いだけであって、その人たちが背負うドラマよりもリアルに目を向けることができなければならないと思うのです。


いつ、どんなときも、ソーシャルワークの対象となる人たちが見ている現実(リアル)がどんなものかということを理解しようとすることからすべてが始まるわけですが、ソーシャルワーカーもひとりの人間であり、自身の価値観の揺りかごに守られながら日々生きているわけであって、「理解する」なんて言葉でいうほど容易なことではありません。
完全な理解なんて無理です。だから「理解しようとする」わけです。


けれども、ソーシャルワーカーにとっての「理解しようとする」という行為は精神論ではありません。それは「想い」と「知識」の両方があって初めて実行に移せる行為だと思うのです。


その努力をせずして行われる「理解しようとする」という行為は近所の話好きのおばちゃんレベルの「理解しようとする」であって、密室のソーシャルワークから脱せず、面接という閉じられた空間内で「こう理解した」とか「話せて楽になれました」とかそういうくだらない次元で満足してしまわないように気をつけなければなりません。


知識は考えても得られません。インプットするしかないのです。
インプットして初めて考えることができるわけであって、だからこそまずは吸収することからしなければなりません。


そういった理由で自分が気になったこと、聞いたがわからなかったことについて書かれた本を最低3冊は読むようにしています。その中で「共通して語られる事項」と「著者によって異なるその事項に関する考え、価値観」に留意しながら読み進めることで、大まかなそのことに関する知識のフレームが出来上がってくるわけです。


目の前にいる人にとっての現実を読み解くには、その背景にある社会情勢を知っていなかれば、表面的な理解しかできない。


現状に満足してはいけない。
ソーシャルワーカーの「ソーシャル」は何を意味するのか?
そのことを意味を今一度考えていかなければならないな。


組織から確固たる役割を与えられやすいソーシャルワーカーは、それなりに組織での役割をこなしていけばそこで生息していけるでしょう。


結果を出さなければ首が飛ぶ成果主義のサラリーマンは、スキルアップのために日々勉強し、知識のテリトリーを広げていっています。


プロフェッショナルであろうとする気概と危機感を持って日々仕事をしていきたいのです。


70歳を超えた日雇いのガードマンや30代の霞が関の官僚たちの生活や仕事のプレッシャーをぼんやりとイメージできるか?

40を超えても結婚せず、なおも親と同居している人たちを作りだしている社会的な背景を理解できているか?


家族内殺人は日本の家族崩壊が進んだ結果か?



日々出会う「why?」
わからなければ「知ろうとしよう」
まずはその気持ちを持ち続けることからはじめればいい。



さぁ。頑張るぞ。
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