【創作】とある老婆の日記-4【孤独論】
【とある老婆の日記-1】【とある老婆の日記-2】
【とある老婆の日記-3】
セミの鳴き声が、悲しげに響く夏の終わり。
悲しい知らせが届いた。
みっちゃんが亡くなった。
みっちゃんは、女学校時代に出会った親友だ。
「今年は東京に行けそうにあらへんよ」
3年前、彼女からそう連絡があった。
ちょっと体調を崩して、念のため、休養をとる
歳も歳だし無理はできないという彼女の言葉を私は疑うことはなかった。
しかし、本当のところ、彼女は、肝臓を患い、闘病生活を送っていた。
旦那さんを数年前に亡くし、長男一家と同居していた彼女。
以前に、読書会で話をしたとき、
彼女は本当に幸せそうに、大阪での生活を語った。
___________________________
彼女と出会った頃を思い出す。
当時女学校に進学できたのは、60人のクラスのうち10人程度。
優秀な生徒だけが進学できる時代だった。
学徒戦時動員発令時。
私たちは女学校2年生、年齢にして15、6歳だった。
制服を国防色の戦闘帽と胸当てのついたツナギズボンに変え
その胸には、七生報国(七度生まれ変わって国に尽くすの意)の誇りを込めた学徒章と校章、職種記号、名前を書いた名札に血液型までが記されていた。
今思えば、考えられないことかもしれない。
でも、このときの私には「お国のために頑張ろう」
という気持ちに包まれていて、
不安や恐ろしさよりも、誇らしい気持ちでいっぱいだった。
工場へ動員される初日
爽やかに晴れ渡った空の下
校庭に整列し校長先生の訓示を頂いた。
隣で一緒に訓示を聞いていたみっちゃんと、
誇らしげな笑顔で励ましあったのを覚えている。
今思えばあのとき
私達は生まれてから今まで、感じたことのない
緊張感に包まれた時を過ごしたのかもしれない。
しかし、誇らしげな笑顔と、心地のよい緊張感が
今に疲弊し、油に汚れた顔となり、恐怖と不安の中に晒されるとは
あの頃の私たちの誰一人として、思うことなどなかっただろう。
みっちゃんとも、あの1年間を共にした。
彼女はいつも、どんなときも笑顔で私を励ましてくれた。
_______________________________
彼女とは、数年前まで、読書会で顔を合わせていた。
大阪に本社のある商社に勤める旦那さんと結婚した彼女の言葉は、
すっかり関西色に染まり、
東京にいた頃のみっちゃんを知っているみんなは
おもしろくておかしくて笑ったものだった。
彼女は、商社に勤める父、呉服問屋の母を持ち、
商いの才能、着物をこしらえるセンス。
その二つを両親から受け継いだ彼女は、
着物をデザイン、販売する仕事をしていた。
彼女が手がけた着物たち。 それはそれは素敵なものだった。
その世界ではとても有名であったようで、年に数回は展覧会を開き、
大阪から東京に来るときには必ず連絡をくれた。
息子の結婚式に着ていった着物も
彼女にこしらえてもらったものだった。
息子の結婚が決まり、どんな着物を着ていこうかしら、と彼女に相談したのも、
今日のような、夏も終わりに近づいた日だった。
人形町近くで開かれた展覧会は大盛況だった。
昔からの友人が、その才能を輝かせている姿は、
私をとても勇気付けてくれたし
なによりも、嬉しかった。自分のように嬉しかった。
そんな昂ぶった気持ちが、私にこの一言を言わせたのかもしれない。
「ねぇ。みっちゃん。私にも着物をこしらえてくれないかしら?」
私のその言葉に 、彼女は少し驚いたかのように瞳をぱっと見開くと、
にっこりと笑ってこう言った。
「私に任せときなさいよ!
あなたに一番よく似合う着物をこしらえてあげるから!」
彼女はそういいながら、右の拳をぎゅっと握る大げさな素振りをみせ笑うと、
手元に一枚の布を手にとって広げてみせた。
「ほら。藍染。あなたの一番好きなだった色だったでしょ。」
今度は私の方が驚かされた。 綺麗な藍染の布。
藍色の色相は、薄色から濃色まで幅が広い。
彼女が手にとったのは、私が一番大好きな色。空色の藍染だった。
彼女は知っていたのだ。私が一番好きな色を。
その事実が、私をもっと幸せな気持ちにさせた。
息子の結婚式。
それは、私にとって、たくさんの嬉しい気持ちが詰まったものだった。
息子の嫁は、すらりと長身の美人で、息子にはもったいないような女性だった。
気遣いもすてきな女性で、
巷で聞く「嫁、姑の関係」に少なからず憂鬱な気持ちを抱いていた私は
本当に、心から息子の結婚を喜ぶことが出来た。
夫は、「お前が一生の伴侶として選んだ女なら、一切文句は言わん
でも、必ず幸せにしなさい。いいな」
と父親の職責から出る言葉を口にしていたが
私には、目元を緩ませながら、
「よかったなぁ ほんとうに。なぁかあさん、孫の顔が早くみたいなぁ!」
と言っていたのを思い出す。
素敵な結婚式。
着物は大好評だった。自分で言うのも恥ずかしいのだけれど、素敵な着姿だったと思う。
それもこれも全てみっちゃんのおかげだ。
彼女がこしらえてくれた、世界でたった一つの藍染の着物。
みっちゃんが私のためにこしらえてくれた着物は、
私の幸せな気持ちをよりいっそう彩ってくれた。
__________________________
彼女のこしらえる着物は、
たくさんの人たちの幸せを彩ってきたのだろう。 もちろん、わたしもそのひとり。
それが、とても幸せだ。
久しぶりにタンスから着物を取り出してみる。
空色の藍染が、あの頃の記憶を思い出させる。
みっちゃんが死んだ。 みっちゃんには、もう会えない。
あの笑顔ももう見れない。
彼女がこしらえる着物が、これ以上増えることはない。
誰にだって、いつかは訪れる日。
でも、やはり、悲しい。
学徒動員。
工場でのつらい日々。
あの夏の日、みっちゃんは笑っていた。
その笑顔は、私をとても勇気付けてくれた。
いつだって、みっちゃんとの記憶は、彼女の笑顔と共にあった。
だから、私も笑顔で彼女を見送ろう。
きっと、そのほうが、みっちゃんは喜ぶ。
葬式には 、空色の藍染の着物を持っていこう。 彼女がこしらえてくれた世界にたったひとつの着物を持って 彼女に伝えに行こう。 さよならの挨拶と、ありがとうの言葉を。
季節が変わろうとしている。
夜を彩る虫の音も、そろそろ役者交代のようだ。
それにしても、今日は聞きなれたセミの鳴き声が なんだかとても悲しく聞こえた。
明日は、晴れだそうだ。
どうか私の心も、澄んだ秋空のように晴れてくれますように。
vo5へ
「今年は東京に行けそうにあらへんよ」
3年前、彼女からそう連絡があった。
ちょっと体調を崩して、念のため、休養をとる
歳も歳だし無理はできないという彼女の言葉を私は疑うことはなかった。
しかし、本当のところ、彼女は、肝臓を患い、闘病生活を送っていた。
旦那さんを数年前に亡くし、長男一家と同居していた彼女。
以前に、読書会で話をしたとき、
彼女は本当に幸せそうに、大阪での生活を語った。
___________________________
彼女と出会った頃を思い出す。
当時女学校に進学できたのは、60人のクラスのうち10人程度。
優秀な生徒だけが進学できる時代だった。
学徒戦時動員発令時。
私たちは女学校2年生、年齢にして15、6歳だった。
制服を国防色の戦闘帽と胸当てのついたツナギズボンに変え
その胸には、七生報国(七度生まれ変わって国に尽くすの意)の誇りを込めた学徒章と校章、職種記号、名前を書いた名札に血液型までが記されていた。
今思えば、考えられないことかもしれない。
でも、このときの私には「お国のために頑張ろう」
という気持ちに包まれていて、
不安や恐ろしさよりも、誇らしい気持ちでいっぱいだった。
工場へ動員される初日
爽やかに晴れ渡った空の下
校庭に整列し校長先生の訓示を頂いた。
隣で一緒に訓示を聞いていたみっちゃんと、
誇らしげな笑顔で励ましあったのを覚えている。
今思えばあのとき
私達は生まれてから今まで、感じたことのない
緊張感に包まれた時を過ごしたのかもしれない。
しかし、誇らしげな笑顔と、心地のよい緊張感が
今に疲弊し、油に汚れた顔となり、恐怖と不安の中に晒されるとは
あの頃の私たちの誰一人として、思うことなどなかっただろう。
みっちゃんとも、あの1年間を共にした。
彼女はいつも、どんなときも笑顔で私を励ましてくれた。
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彼女とは、数年前まで、読書会で顔を合わせていた。
大阪に本社のある商社に勤める旦那さんと結婚した彼女の言葉は、
すっかり関西色に染まり、
東京にいた頃のみっちゃんを知っているみんなは
おもしろくておかしくて笑ったものだった。
彼女は、商社に勤める父、呉服問屋の母を持ち、
商いの才能、着物をこしらえるセンス。
その二つを両親から受け継いだ彼女は、
着物をデザイン、販売する仕事をしていた。
彼女が手がけた着物たち。 それはそれは素敵なものだった。
その世界ではとても有名であったようで、年に数回は展覧会を開き、
大阪から東京に来るときには必ず連絡をくれた。
息子の結婚式に着ていった着物も
彼女にこしらえてもらったものだった。
息子の結婚が決まり、どんな着物を着ていこうかしら、と彼女に相談したのも、
今日のような、夏も終わりに近づいた日だった。
人形町近くで開かれた展覧会は大盛況だった。
昔からの友人が、その才能を輝かせている姿は、
私をとても勇気付けてくれたし
なによりも、嬉しかった。自分のように嬉しかった。
そんな昂ぶった気持ちが、私にこの一言を言わせたのかもしれない。
「ねぇ。みっちゃん。私にも着物をこしらえてくれないかしら?」
私のその言葉に 、彼女は少し驚いたかのように瞳をぱっと見開くと、
にっこりと笑ってこう言った。
「私に任せときなさいよ!
あなたに一番よく似合う着物をこしらえてあげるから!」
彼女はそういいながら、右の拳をぎゅっと握る大げさな素振りをみせ笑うと、
手元に一枚の布を手にとって広げてみせた。
「ほら。藍染。あなたの一番好きなだった色だったでしょ。」
今度は私の方が驚かされた。 綺麗な藍染の布。
藍色の色相は、薄色から濃色まで幅が広い。
彼女が手にとったのは、私が一番大好きな色。空色の藍染だった。
彼女は知っていたのだ。私が一番好きな色を。
その事実が、私をもっと幸せな気持ちにさせた。
息子の結婚式。
それは、私にとって、たくさんの嬉しい気持ちが詰まったものだった。
息子の嫁は、すらりと長身の美人で、息子にはもったいないような女性だった。
気遣いもすてきな女性で、
巷で聞く「嫁、姑の関係」に少なからず憂鬱な気持ちを抱いていた私は
本当に、心から息子の結婚を喜ぶことが出来た。
夫は、「お前が一生の伴侶として選んだ女なら、一切文句は言わん
でも、必ず幸せにしなさい。いいな」
と父親の職責から出る言葉を口にしていたが
私には、目元を緩ませながら、
「よかったなぁ ほんとうに。なぁかあさん、孫の顔が早くみたいなぁ!」
と言っていたのを思い出す。
素敵な結婚式。
着物は大好評だった。自分で言うのも恥ずかしいのだけれど、素敵な着姿だったと思う。
それもこれも全てみっちゃんのおかげだ。
彼女がこしらえてくれた、世界でたった一つの藍染の着物。
みっちゃんが私のためにこしらえてくれた着物は、
私の幸せな気持ちをよりいっそう彩ってくれた。
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彼女のこしらえる着物は、
たくさんの人たちの幸せを彩ってきたのだろう。 もちろん、わたしもそのひとり。
それが、とても幸せだ。
久しぶりにタンスから着物を取り出してみる。
空色の藍染が、あの頃の記憶を思い出させる。
みっちゃんが死んだ。 みっちゃんには、もう会えない。
あの笑顔ももう見れない。
彼女がこしらえる着物が、これ以上増えることはない。
誰にだって、いつかは訪れる日。
でも、やはり、悲しい。
学徒動員。
工場でのつらい日々。
あの夏の日、みっちゃんは笑っていた。
その笑顔は、私をとても勇気付けてくれた。
いつだって、みっちゃんとの記憶は、彼女の笑顔と共にあった。
だから、私も笑顔で彼女を見送ろう。
きっと、そのほうが、みっちゃんは喜ぶ。
葬式には 、空色の藍染の着物を持っていこう。 彼女がこしらえてくれた世界にたったひとつの着物を持って 彼女に伝えに行こう。 さよならの挨拶と、ありがとうの言葉を。
季節が変わろうとしている。
夜を彩る虫の音も、そろそろ役者交代のようだ。
それにしても、今日は聞きなれたセミの鳴き声が なんだかとても悲しく聞こえた。
明日は、晴れだそうだ。
どうか私の心も、澄んだ秋空のように晴れてくれますように。
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