患者・家族をひとつのシステムとして捉える(家族システム理論)
この仕事についてからというもの、患者、家族という区分けではなくて、「患者・家族というひとつのシステム」としてみるということをカラダに叩き込まれてきたように思う。
そうでないと、対峙すべき問題の全体像が見えてこない。それほどまでに、家族というシステムが、その構成員に与える影響、基する要素は多い。
このことは、家族システム理論という一般システム理論を基盤に生まれた理論が、学術的バックボーンとして存在する。この理論には、個人的な臨床での感覚を、学術ベースに落とし込むにあたり、大変お世話になった。詳細については、改めて別エントリでまとめたいと考えている。(参照:一般システム理論 家族療法 共にwikipediaへリンク)
家族システム理論を採用したとき、援助者は、患者本人、家族の両者が希望する方向が異なったとしても、どちらの利を重んじるという次元で、ものごとを捉えるのではなく、家族というシステムのどこにエラーが生じて、それはどのようなトリガー(私たち医療現場で出会う患者家族の場合は主に疾病によって生じる変化)によって引き起こされたものか、ということを見定めようとする。
家族というシステムは比喩的表現を用いて言えば、ハンモックの網のようだ。
どこに重心(システムの上位下位。役割期待の大小等)がかかっているか、ほころび(どこが負担過多か)がどこに生じているか、などを見定める。そして、今までは安定したシステムとして機能してたそのものが、なぜ機能不全を起こしているのかということを考えていく。
どこに重心(システムの上位下位。役割期待の大小等)がかかっているか、ほころび(どこが負担過多か)がどこに生じているか、などを見定める。そして、今までは安定したシステムとして機能してたそのものが、なぜ機能不全を起こしているのかということを考えていく。
家族の構成員たちだけでは、自然回復できないほころびに対して、さまざまな資源(ヒト・モノ・制度)を投入し、そのほころびを保護したり、またはほころびが生じている部位自体を取り替えたり…。そういったイメージを私個人はもっている。
家族というシステムの網の目は、構成員同士の関係性や、各々の役割期待、物理的な遂行機能能力など、そういったものが絡み合って、織り成されている。
それゆえ、「ヒト・モノ・制度」のどれが、システムに対する保護材、緩衝剤、代替材として適切かは、どこのほころびかによって異なる。
それゆえ、「ヒト・モノ・制度」のどれが、システムに対する保護材、緩衝剤、代替材として適切かは、どこのほころびかによって異なる。
そしてまた、"家族機能の外部化"という言葉はまさに家族をシステム化してみたときに、腑に落ちる概念だと改めて思う。このあたりは、参考書籍を紹介しながら、いつかきちんとしたエントリを作成をさせていただければと考えている。
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