書く行為が継続化された原体験

公開日: 2017/03/11 自分史

某所に相談に行った際、大学時代のゼミの恩師のが珍しくいらっしゃり、ランチをご馳走になった。近況を報告し、昔話や、大学院進学など、ご助言をいただいた。


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大学時代に小児病院で立ち上げた団体の活動においても、先生はいつも強力な後ろ盾になってくださり、見守ってくださっていた。

そして、大学卒業時に、分厚い牛革製のノートと共に『現場に出てから、悩み、感じ、考えたことを書き残すとよいでしょう。それはきっと未来のあなたにとっての財産となることでしょう』という手紙をいただき、いまも大事に時折読み返す。

その言葉に忠実に、卒業後のこの10年、言葉を書き続けてきた。

書くことは、完全に習慣化された行動になり、特段秀でたところのない自分の身を助け、そして、未来に向けて記した言葉が、常に現実の自分を引っ張り、駆ける理由を与えてくれた。

自分にとっての先生は、出来れば顔を合わせたくない存在である。

会うのはとても怖く、だか、その理由が、先生にあるのではなく、自分にあることもまた理解している。

先生から向けられる問いにより、自身の成長や変化をあぶり出されてしまうことへの恐怖である。

成長した姿で会いたい。いまの自分ではまだ会うに値しない。そのように思わせる存在は、人生において、未だ、先生だけである。

存在が写し鏡のようであり、だからお会いするのが、怖いのだ。

生涯現役を貫く、雲の上をいくソーシャルワーカーであり、恩師である先生に、次にお会いするときには、もっと社会に貢献できる歯車としての自分で在りたい。
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