「事業体」と「運動体」

公開日: 2015/06/16 社会起業


社会福祉の歴史を人物に沿って読めば読むほど、昨今の社会起業家が、なぜ今この時代に取り沙汰されるのか、ということを思い、今更ですがマルクス資本主義の本を色々と読んでいます。

諸々、法定施設の歴史を辿っていくと、その前身には「社会起業家」と「篤志家」の顔に行き着きます。孤児院(児童養護施設の前身)は社会起業ですし、更生保護施設だって社会起業ではないか、と。


慈善事業と呼ばれていた時代から今日に至るまで、数多、志あるものが生まれては、おそらく「事業体」と「運動体」をバランス良く内在するに至らず、分裂したものや、財政破綻し潰れたものもあれば、「事業体」と「運動体」がバランス良く組織の段階に合わせて強弱をつけながらも両輪として機能して、というところもあるでしょう。

慈善事業時代に、今でいう社会起業からはじまった活動が70−80年くらいのときを経て、今や利用契約が措置制度である施設になったところにも、運動体としての「全国協議会」のようなものがあるところも多いのだけど、そもそも、運動体としては「死んでいる」ようなところが多い。

もしかすると、螺旋階段でいうところの、ひとつ廻ったというか、そういう時代に2000年以降、突入したのかもしれない。

個人の、または社会の「憤り、怒り、疑問」が、それを解決に向かわせるための組織を生み、組織が「事業体」と「運動体」を内在するようになり、行政や国を動かし、ときに、主体が歴史をまたぎ、バトンタッチされ、事業が、法律に基づいた時、爆発的に安定した事業体の数は一気に増えるのだけど、運動体は急速に弱体化し、一旦、役目を終え、死ぬ。事業体は「組織を生き続けさせる」ために存在し、もはや歴史を超えて継承され得なかった、もしくは形骸化した『個人の「憤り、怒り、疑問」』が再度、時代のどこかで起動した時、螺旋階段をひとつ廻り、位相の異なるまた新たな「事業体」と「運動体」を内在した組織が生まれ…、ということのなのか、と。

ITなどのテクノロジーの進化と、国家としての近代化、そして資本主義というものが、「螺旋階段をひとつ廻る」にかかる”時間”に関係しているのだと思うのですが、知識の乏しさゆえ、どこから考えていけばいいか思っています。


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