母親から贈られた曲

公開日: 2015/03/04 私事

大黒摩季の「ああ」という曲がある。
今までの人生でただ一度、母親から贈られた曲だ。


19歳の夏、私は幼い頃から好きだった宇宙に携わるために志した宇宙工学部を辞め、自分が病気をした経験を社会に役立てたいという青臭い気持ちで社会福祉学部への編入学を考えていた。

その夏、決意を胸に携え、故郷の群馬に帰省をした。
両親に大学を辞めよう思っていることを伝えると、母親の顔は曇った。工学部であれば就職にはそこまで苦労しないだろう、社会福祉は「仕事」として関わらなくてもいいのでは、というのが母親の意見だった。

ただでさえ、大病をし死にかけた息子に、これ以上大変な思いをしてほしくない、という母親の正直な気持ちだったのだと思う。父親は「好きにやりなさい」と言ってくれたが、母親は最後まで首を縦に振ることはなかった。

数日後、下宿先に母親から荷物が届いた。
封を開けると、一通の封筒と、MDがひとつ入っていた。

「お父さんと話をし、あなたのやりたいことを家族みんなで応援することに決めました。
木も家も基礎があってこそ。しっかりと根を張って、しっかりと学び、スポンジのように吸収したり、絞り出したりできるような、柔軟な人間になってください。応援しています。」

夏らしい薄い水色の便せんには、久しぶりにみた母親の文字が並んでいた。


MDに収められていたのは大黒摩季の「ああ」という曲だった。

「やっぱり 夢を叶えたい。このまま終わりたくない。目の前の現実は厳しすぎるけど、もう一度だけ賭けてみよう。やらなきゃいけないことだらけ。やりたいこと募るだけ。このままでいいのかな…。何もかもが不安に変わるよ 。あぁ 君のように輝いてみたい。冷たい風に吹かれても負けない君のように。あぁ 諦めないで 前だけ向いて歩いてみよう。寂しくても たとえ苦しくても。何かが見えるまで」(大黒摩季:「ああ」歌詞一部抜粋)

母親は若い頃デザイン関係の専門学校に通っていたが、20歳の時に父親が亡くなり、体の弱かった母親の傍にいなければという思いで公務員になったと、昔、少しだけ話をしていたのを聞いた。

母親が20歳当時に抱いていた夢。それを諦めなければならなかった過去。
母親は、自分の過去の夢と挫折が織り混ざった感情を、この曲に感じていたのだろうか、と勝手に想像をし、そして、母親からの言葉にしきれないエールを受けた自分がいたことを、この曲を聞くたびに思い出す。

帰省をし、母親の顔を見るたびに、あの曲の真意を聞こうとするのだが、あれから10年が経った今も、聞けずじまいでいる。今更聞くのも野暮だなと思いながら、少しずつ歳を取っていく母親を前にして、いつか、あの曲を送られた自分が感じたエールを、今度は違う形で母親に返していかなかればならないなと思い始めている。

親というものは、超えていくべきものと思っていたが、どうやらそうではないようだ。
それがこの10年間で親から学んだことのひとつである。





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