なぜ、ソーシャルワーカーに言語化する力が必要なのか?vol 1

公開日: 2014/07/27 SCA イベント 言語化 自己覚知


私は、現場二年目に懇意にしていたソーシャルワーカー仲間の離職を経験しました。
俗にいう「燃え尽き症候群(バーンアウト)」による、離職でした


「もっと力があれば…」

「組織の中で、ソーシャルワークの価値をプレゼンテーションできる力があれば…」

「ソーシャルワーカーという職業自体が社会でもっと認められていたならば…」



「…であったならば」という言葉たちの羅列。
全ては、針の戻せない過去への後悔の言葉たちと共に襲いくる無力感。


「もう、この業界に戻ってくることは、ないよ」


「なぜ…?」


「自分たちに、もっと力があれば…」


私と彼の間にソーシャルワーカーとしての能力差は皆無でした。
たった、ひとつ。私と彼を分けたのは、「職場環境」の違いでした

私は現場経験20年超の上司のもとでキャリアをスタートしました
教育的機能も高い部署でのOJTは、私を確実に成長させてくれました。

かたや彼の職場は上司は離職し不在。課せられるのは雑用と入院ベッドを埋めろという組織からのプレッシャー。現場で学び、成長しようにも、組織内に新卒の彼を認め、擁護し、育てていくという人間はいませんでした。


諸先輩たちの中には、「一人職場で奮闘し、組織内でのポジションを築いてきた。
今の若いソーシャルワーカーは根性が足りない。甘い」とおっしゃる方もいるでしょう。


ですが、私は「自分が通ってきた道を、次に通る人たちのために舗装する」という仕事に
価値を置かない人間のそのような物言いに対して同意することはできません。

仕組みを作ることにリソースを投入せずに、個人的な経験談で語られる言葉たちは、
所詮、援助者としての自己満足遊戯でしかなく、それは、言い換えれば、
「自分は出来た。出来ないお前のことなんざ、知ったことか」という言葉と同義なのです。


「なぜ、彼は現場から去ったのか?」

「できない人間は、去らざるを得ないも当然?」

「そんなこと、誰が、決めた?」


彼からの突然の「辞める」報告に驚くというよりも、当時は悔しくて仕方がありませんでした。
苦虫を噛み殺すようなあの胸に広がる”苦み”は、今でも思い出すことができます。


「もう、ソーシャルワーカーとして、現場に戻ることは、ないよ」


彼は、医療機関という組織の中で、もがけばもがくほど息ができなくなっていくという状況にいました
つまりは「ソーシャルワーク」をさせてもらえない環境。
部署に力が無く、雑用、理不尽な業務のすべてを押し付けられていたのです。


「なんて、自分たちには力が無いんだ…!?」


医療機関におけるソーシャルワーク部門は弱小部門であることが多いということは事実です。
「上層部、他職種にきちんと理解させるに値する実践」を諸先輩方は必死こいてやってきたのか?」
という疑問がそのとき、私の中に生まれたのです。



「この業界には、学びの体系的なラダーもなければ、組織によって、ソーシャルワークの仕事ができないところさえある。
つまりは、機会の不平等が、存在している。」

「運が良かった、悪かったで、済ましていいのか…?」


医療機関がソーシャルワーク部門を設置する理由の多くは「在院日数短縮」のためです。
社会的問題を抱える患者さんを早期退院させれば、雇い主である管理者からは評価される。
そこでうまく立ち回れれば、とりあえず組織の中では這いずり回って生き残れるのです。

組織の中で這いずり回り生き残ることを選択する同業者が多くなれば、
そこで提供できる患者さん家族の利を追求した「根拠ある実践」は薄れていきます。

薄れたものは容易には戻らない。
組織の中で「安住の居場所」を得ることができれば、それほど楽なことはないのですから。



彼の職場は、まさに「根拠のある実践」が薄れに薄れた職場でした。
彼が真摯にソーシャルワークと向き合い、薄れた実践を取り戻そうとしようとも、
現場経験の無い彼の力だけでは、部署内、組織内と戦うには「武器」が無さ過ぎたのです。



「そう、武器が無さ過ぎた…」

「僕たちには、武器がない。であるならば…」

「武器を勝ち得るための技術を、持ち得ねばならない…」


「武器」というのは「根拠ある体系化された実践」に他なりません。
所属機関で「結果」を出し、職業的価値・倫理に則り仕事するには、
「根拠ある体系化された実践」という武器を持たねばならないのです。


そのために、言語化する力が必要だったのです。
ですが、2年目の自分と1年目の彼にはそれが皆無に等しかった。


彼と自分が、あのとき「武器」を持ち合わせていたら、ひとつの結果(彼が辞めるという)は
変わっていたのだろうかと思うと悔しくて仕方なかったのです。



『今後この世界に足を踏み入れる若い人たちのために、まずは自分たちが武器を持たなくてはいけない。
武器の見つけ方、磨き方、手入れの仕方、どれひとつとして「同じ方法」は継承はできないけれど、
「扱い方」であれば、継承できるはずだ。』


「言葉は、武器になる」

「であるならば、言語化する力を、勝ち得ていくべきだ」


ソーシャルワーカーが自らの武器:「言語化する力」を描いていく過程に関わり、
根拠の薄れた実践から自分たちの実践に対する誇りを取り戻し、後進に継承できる実践知を残すために今自分にできることを。


「言語化する力を、まずは私自身が勝ち得ねば。」


私は、自分をコントロールするために「言葉」という鎖を採用していました。
それは、現場で出会うクライエントに対して思想的なリスクを抱える私が自分に課した”枷(かせ)”だったのです。


しかし、ひとりの仲間の離職は、私が採用していた「言葉で自分をコントロールする」という概念を、
「言葉は、ソーシャルワーカーにとっての武器になる」という信念に昇華させたのです。


「クライエントのために」

「ソーシャルワーカー自身のために」

「そして、ソーシャルワーク業界の未来のために」


1人でも多くの人が、自らが志して、選んだソーシャルワーカーの仕事に誇りを持ち、
永く続けていける環境を創りたい。


そのために、自分ができることを。
まずは、自分自身が、言葉の力を、勝ち得ねば。

誰に言われるでも強制されるでもない、私の胸に灯った"Mission"
Social Change Agencyを立ち上げる、7年前のある暑い夏の日のことでした。


〜vol2へ続く〜

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