【創作】Secret Base 6 vol2 【青春小説】

公開日: 2014/06/19 創作

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vol1

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「元気そうで安心したわ。検査の方も異常はなし。」 
先生はそういうと少しずれた眼鏡をなおし、慣れない手つきでキーボードを叩いた。 


「なんと元気にやっています。早いもんですね。今年で10年経つんですから。」 

「そうね。時が経つのは本当に早いわね。 
でも、こうしてまたあなたに会うことになるなんて思ってもみなかったわ。」 


[今年で10年が経つ] 

慣れない手つきで画面上に文字が打ち込まれていく。 

「僕もまさかまた先生に診てもらうことになるなんて思いもしなかったですよ。めぐりあわせってやつですかね。 」 


先生は、電子カルテのディスプレイから目を離すと、眼鏡越しに僕の瞳をじっと見つめた。 


「ええ。そうかもしれないわね。ずっとあなたのことは気にかかってたのよ。今だから言えるけれど、大変だった子ほど記憶に残ってるものなのよ。」 

そう言いながら先生は優しく笑ってみせた。おそらく本心からくる言葉なのだろう。先生の一言は、医者としての立場から本心を言えるほど、時が経ったということを僕に改めて教えた。 

「今年から同業者になるわけね。ほんとうに信じられないわ。」 


10年前と変わらぬ笑顔でそう言う先生はなんだかとても嬉しそうだった。笑顔じわが増えたような気がしないでもないけれど、相変わらずのぼさぼさなショートヘアは、なんだか僕をとても安心させた。決して美人とは言えない先生が男前の旦那さんを摑まえた勝因は、ぼさぼさショートヘアの安心感にあるに違いないと僕は踏んでいた。 


「志望は?」 

「もちろん、小児科です」 

もちろんの使い方がおかしい気がしないでもなかったけれど、先生なら僕の真意を汲み取ってくれるに違いないと思い、訂正しないでおいた。僕の言葉を聞いた先生はゆっくりと口角をあげ、大きな瞬きをした。 


「わかってるとは思うけど、体だけには充分気をつけて。お互い、頑張りましょうね。」 

「はい。先生こそ。どうもありがとうございました。」 

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診察室を出ると、点滴台を押しながら歩く色白の少年と目が合った。青白い顔をした少年は気まずそうに視線を下に逸らすと、早足で通り過ぎて行った。ペタペタという少年のスリッパの音と、カタカタと点滴台が揺られる音だけが夕暮れの院内にやけに響いて聞こえた。 

「大変だった子ほど記憶に残ってるものなのよ。」 

窓からはオレンジ色の陽が差し込んでいた。病院を出るまでに白衣を着た職員の姿を時折見かけたが、患者らしき人の姿はほとんど見当たらなかった。だいぶ長く話し込んでしまったらしい。先生に悪いことをした。 

「大変だった」 

確かにそうだったかもしれない。 客観的な事実を並べて当時を振り返ると、今自分がここに存在していることの確率が、いかにギャンブルだったかがよくわかる。 

でも、幸運なことに人は都合のよい生き物だった。辛いことも悲しいことも時間が少しずつ洗い流し、何処からか姿を現した静かな波が、広い大海原へ連れて行ってくれる。でも、時間という静かな波は、特効薬ではなくて、記憶から逃げずにきちんと視線を合わせることのできる人だけが、その恩恵に預かれるものであるということを僕は知っていた。 


もちろん、自分の力だけですべてがどうにかなることばかりではなかった。むしろこの世の中に自分の意志だけでどうこうなることなんて、ほんの微々たるくらいしかないのだろう。 そのこともまた、この10年間が僕に教えてくれたことのひとつだった。 

僕はいつもつり橋を渡っていた。そこから落ちてしまえば、きっともう二度と這い上がることができないかもしれない。そんなつり橋を渡るのが、臆病な僕は怖かった。一人では最初の一歩さえも踏み出せなかったに違いない。僕は、つり橋から落ちないようにと差しのべられた多くの人たちの手に救われ、今、ここにいた。 

10年前のあの日。 
僕は大博打を打って出た。持ち得る手は他にはなく、最期に残された札に賭けるしかなかった。ギャンブルの結末は誰にもわからなかった。つり橋の先にある景色は、誰も見たことのない景色だった。 

「人はひとりでは生きてはいけない。この言葉の意味するところに辿り着くことなく一生を終える人は、きっと幸運のようで不運なのだと思う。」 

友人のひとりが僕にくれた言葉だった。怖くてつり橋を一人で渡ることのできなかった僕には、彼の伝えたいことがほんの少しわかった気がした。一人と独りは違う。あの頃の僕はそんなことも分からないほど幼かった。 

10年前僕らは出会った。出会うべくして出会ったといえば出来すぎた表現だけれども、今も僕はそう思い続けている。彼らはつり橋の先にある景色が見えなくて立ちすくむ僕を勇気づけ、背中を押してくれた。 

Secret base6。僕が彼らと出会った場所。 
僕は6人目の秘密基地のメンバーだった。 

彼らと出会った10年前の夏。 
僕は真っ白い部屋で一人、戦っていた。 
戦うためには勇気が必要だった。 
つり橋の先にある景色を、自分の目で見ることのできる勇気が。 



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1999年 

「13秒ジャスト!!」 
雲がゆっくりと流れるように青い空に浮かんでいた。僕は無呼吸状態から解放されるとふっと顎を上げて空に目をやった。今ならあの空に浮かぶ雲よりも早く駆けることができるかもしれない。そう思えるほど、足は軽く、どこまでも駆けていけるような気がしていた。 

「今期自己ベストじゃん!!」 

駆け抜ける風の外からユージの声が聞こえた。心地よい心臓の脈打つリズムが僕の気分をより一層高揚させる。春の大会で記録した13秒2を更新していた。このままいけば12秒台だって夢じゃない。僕は自分の未来に胸を躍らせた。 

僕は幼いころから走ることが楽しくて仕方なかった。中学に入り陸上部に入部した僕は100メートルを専門に日々練習に励んだ。走っているときは無心になれた。走れば風になれる。風の外にいては聞こえない、風の中にいる人だけに聞こえる、見える世界は僕だけの世界だった。 

「それ!地球をけっ飛ばし駆け抜けるんだ」 


陸上部の顧問の先生がよくそう言っていた。国語の先生だけあって比喩がぶっ飛んでるなぁとその当時の僕は冷静にその言葉を分析してはおもしろがっていた。 僕は毎日、地球をけっ飛ばして、風の中を駆け抜けていた。いつか、誰よりも早く地球をけっ飛ばしてやる。大それた目標の第一歩は12秒台を出すことだった。 


けれど、その後僕が12秒台の世界に足を踏み入れることはなかった。いつしか風は僕から遠のき、風の中の声は聞こえなくなった。僕は僕だけの世界を失ってしまった。風を失った僕は、自分自身ではコントロールすることのできない大きな大きな嵐に飲み込まれていった。 

なんだか体がだるいと感じることが多くなった。練習の疲れが取れにくくなり、練習のし過ぎだと自分に言い聞かせては、12秒の夢にすがりつき、必死に地球をけっ飛ばし駆け抜けた。 


大きな嵐は確実に僕を覆い、僕はその影から逃れられなくなっていた。疲れやすくなった体は日常生活に支障を来たし始めた。食欲がなくなり体重も減った。授業中に意識がぼんやりすることもあった。 

幸か不幸か、嵐は僕に夢を見させ、その最中に僕をさらっていった。ものすごい風音が耳の奥で鳴り響いて、それは一向に鳴りやむ気配がなかった。いつもと同じように石灰で引かれた白線に目をやると、なんだかいつもよりその色が明るくて、なんだか僕はいつもと違うことを悟った。13秒を出した時もそうだった。ゴールまでの道筋が白く光って、僕を導くかのように佇んでいた。僕はその光が消えてしまわないように、必死でその光の後を追った。 

でも、白線から僕をゴールに導く白い光は見えなかった。ただただ耳奥で鳴り響く轟音が、僕を駆り立て、僕は必死で地球を足の裏で蹴っ飛ばして、駆け抜けた。ゴールの線を踏むことができたかはわからない。僕にはその後の記憶がない。白線から僕を導いてくれた光は見えなくなった。代わりに僕を迎えたのは消毒液の匂いのする白い建物だった。 


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ナースステーションの傍にある小さな部屋に僕と母親はいた。先生の横にまだ若いかわいらしい看護師さんがいて、なんだか神妙な面持ちで先生の横顔に視線をやっていた。ぼさぼさのショートヘアの先生は紙と鉛筆を用意して、途中何度もずれた眼鏡を直しながら、僕に何かを説明していた。何か、というのは僕が覚えていないからで、どうやら僕はしばらく家に帰れないということ、しばらく走ることもできないという事実を受け止めて考えようとすることだけで精いっぱいだった。横で話を聞いていた母親の横顔が怖くて見れなかった。母親の表情を見れば、ことの重大さが嫌でもわかってしまうだろうと思ったから。 


僕はどうやら、大きな病気になってしまったみたいだった。 

「小児白血病」

耳奥で轟音を轟かす嵐の正体だった。どこかで耳にしたことのある単語だったけれども、詳しいことはよくわからなかった。先生は言った。10万人に10人が発症する確率だと。僕は選ばれてしまった。1万人に1人に選ばれてしまったのだった。 

100メートル先にあるゴールは目を閉じても記憶の中から蘇らせることができる。地球をけっ飛ばす感覚だって、体にしみ込んでいる。僕のわかることは、僕の世界の中にある。そんな当たり前のことを、目の前に現れた聞きなれない単語はぶっ壊した。 


ゴールの見えない100メートル走。スタートラインの白線の先にはつり橋があった。落ちてしまったら、もう2度と這い上がってこれないかのような。それは恐怖という名のつり橋だった。僕はつり橋の先にある景色が見えなかった。その先を自分の目で見る勇気もなかった。 

人はとても弱い生き物なんだ。でも、そのことを認めるのはとても怖いことだった。僕は勇気が欲しかった。つり橋の先にある景色を、自分の目で見ることのできる勇気が。 


「人はひとりでは生きてはいけない。この言葉の意味するところに辿り着くことなく一生を終える人は、きっと幸運のようで不運なのだと思う。」 

10年前、彼が僕にくれた言葉は、今も僕の中に残っている。 
僕は彼らに勇気をもらった。ゴールの見えない100メートル走を走り切る勇気を。再び地球をけっ飛ばすためのありったけの勇気を。 

10年前僕らは出会った。出会うべくして出会ったといえば出来すぎた表現だけれども、今も僕はそう思い続けている。彼らはつり橋の先にある景色が見えなくて立ちすくむ僕を、勇気づけ、背中を押してくれた。 


Secret base6。僕が彼らと出会った場所。 
僕は6人目の秘密基地のメンバーだった。


vo3へ続く


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現場2年目の頃から、援助者としての想像力を鍛えることを目的に小説を書いていました。
以下、過去のものを適宜アップしています。お時間があれば、ぜひ。


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