ポスト・スティグマ vol6【創作小説】

公開日: 2014/04/17 CW 創作


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前回までのあらすじ

T県M市で、1人の老人が孤独死した。
孤独死した老人、畑中は生活保護を受給しており、担当ケースワーカーであった不動雄一は、畑中から音信不通であった娘へ一通の手紙を託される。

同日、都内に住む畑中の娘、里美が、誘拐事件に巻き込まれたことが発覚。
事件同日、畑中里美は、出張デートクラブのオトコ、”ジュン”と会っていた。

”ジュン”の母親は歌舞伎町のホステスとして働き、精神を病んだ。

ジュンが憎むべき、復讐の街、新宿歌舞伎町。

狂言誘拐の様相を呈した事件の真相、孤独死した畑中との交錯点とは…!?


ポスト・スティグマ vol4
ポスト・スティグマ vol5


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夕焼けは一瞬で姿を消し、夕闇が訪れた。 
エンジン音がシート越しに伝わり、それが現実であるということを無言で伝えた。 


誰かに傍にいて欲しいと思うとき。それはどんな時だろうか。 
気だるそうに瞳を移ろわせながら、ハンドルを握る男は、誰かもわからない男。 
彼は、私にとっての何なのか。そんな疑問が浮かんだが、 
すぐに考えるのが馬鹿らしくなって窓ガラスの先にある景色に目を移した。 


街全体が人工的な光を帯びて、そして、目標もなく光を発していた。 
全てが行き当たりばったりだった。 
いつ帰ってくるかもわからない誰かを待つ街は苦しそうに見えた。 
街に宿る光は、日陰に棲まう隠者たちをも照らし、 
暗闇を見つけられなくなった彼らは行き場を失くす。それは、自分も一緒だった。 


ふっと息を吐くと再度、 
隣にいる男の横顔に視線を移した。 



「お腹、空いた?」 



長年付き合ったカップルのような言葉が、私に非現実感を与える。 
ジュンと名乗った幼さの残る青年に、私は完全にやり込められていた。 
彼は他人だ。あかの他人だ。家族でも友人でもない。他人だ。 


他人という文字を空に描いてみる。薄れては描き、また描く。 
薄れていく文字は空に消えていく。 くだらない。 
今だけは、関係に意味づけをすることを止めることにしよう。 
親、子ども、きょうだい、恋人、友人。今は考えたくない。 


「大丈夫。」 


私はそう答えると再度、窓ガラスの外に目を移した。 
空がなぜだか低く感じ、夕闇に染まる空に、手が届きそうだった。 
今にも落ちてきそうな、そんな空だった。 
人々の押し込められた憂鬱な感情が空さえも押しつぶす。


 
いつからだろうか。足が重くなったのは。

走り続けてきたのに足はとられていくばかり。 
窓ガラス越しに見える街は、自己主張を繰り返し、 
擦り減り、地下に埋没していく。過去からは逃れられない。 



「私ね。親から逃げてきたの。だから東京に出てきた。」 


母親は病気で何年も入院していて、 
父親だってもう歳。数年前から生活保護を受けてる。 
私は助けなかった。そんな気にはなれなかった。 


親も私たちに何も言ってはこなかった。 
ずっと昔からそう。両親にとって、私は愛すべき子どもではなかったの。 
なんとなく出来てしまった子どもを、なんとなく育てる。 
そんな親がいるものかと言う人もいるけれど、それが事実なのだから何も言えない。 

私は両親から離れたい一心で結婚もした。 
高校の同窓会で再会した彼は東京に住んでいて、 
彼の親は早くに死んだから、彼が地元に帰る事はなかった。 
私は安心した。 親のいるあの町に帰る理由が無いことに気がついたから。 

東京に出てきたのだって、早く両親のところから離れたかったから。 
早く、一人で生きていけるようになりたかった。だから、一人で食べていける仕事を選んだの。 
それは間違いではなかったと思ってる。でも、今の私は満たされていない。 
夫は死に、娘と二人での生活が始まり、私は自分が向き合うことをずっと恐れて、 
逃げ、避けてきた現実と向き合わざるをえなかったの。 

私は親から逃げてきた。親も私から逃げてきた。 

何があったわけじゃない。でも、ずっと幼い頃から感じていた。 
血の繋がった家族。親である人間たちから、私は暖かいものを感じることができなかった。 
私の家には見えないバリアがあって、そのバリアが私と両親を隔てていた。 
家族であることを、家族になることを許さないかのように、それは壊れることなく、私たちの間に存在していた。 

私は娘と二人になってから、どんな顔をして笑い、どんなことを言ってあげればいいのかがよくわからなかった。 
私と両親との間にあったバリアのようなものが、娘との間に出来てしまうんじゃないかって怖くて仕方なかった。 

母親になるのではなく、母親を演じていたの。必死で。 
娘は素直でいい子に育ってくれていると思う。 
だけど怖いの。私の手でバリアを作っているんじゃないかって。 
いつか、娘も私と同じように、私から逃げていくんじゃないかって。 
だから私は、娘から逃げたくない。でも、怖いの。 わからないから、怖い。 


私には10個以上歳の離れた兄がいたけれど、 
私が生まれる前に死んで、血の繋がった家族といえるのは父母しかいなかった。 
だけど、私は、彼らに家族というものを教えてもらえなかった。 


進路を決める高校3年の時、両親に勧められたのは薬学部への進学だった。 
学費は出してやるから、東京へ行け、と言われたわ。 
無言のメッセージのようだったわ。「一人で生きていけ」という。 
女性が1人でも生きていけるように、という親の愛情といえば聞こえがいいけれどあれは、完成の合図だったの。 

両親と私の間に出来た、壊すことも、壊れることも無いバリアの。 


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車を停め、外に出ると、肌を切られるような冷気が、血液の流れる感触を教えた。 
腕を組んだ若い男女が出てきて、こちらに訝しげな視線を寄せた。 
40代の女と20代の男がホテル街を肩を並べて歩く。 
その光景には、意図せずともバイアスがかかるのは当然だった。 


部屋に行くまで、店員以外の人間とは会わなかった。 
カツン、と彼の革靴の底が立てる音が妙に静かに、 自己主張をしているようだった。 
部屋に入り、バックを床に置く。 
ジュンも、センスの悪いビジネスマンが使うような、 ジュンの風貌には似つかわしくないバックを床にそっと置いた。 


ベッドが寄せてある片側の壁は全面、鏡となっていている。 
なんだか見られているようで、私は鏡越しの彼に視線を移した。 
鏡越しに見えるジュンの横顔がなぜかとても寂しそうで、 
私はその感情の処理に困った。 



「まさかお泊りコースになるとはなぁ。 
最後まで? そうしましたら…、オプション、2万円。申し受けますよ。」 


その言葉と共に、鏡越しに私に向けられた視線に急いで顔を逸らす。 
視線を横にいる彼に写す。睫が長い。 


「あはは。嘘です。本日は特別サービス。 
疲れたでしょ?ツグミさん、先、シャワー浴びてきなよ。」 


感情の処理に困った私の動揺は、勘違いされたようだった。 
少しほっとする。 


シャワー浴びてきなよ、か。 
在り来たりな文句のはずなのに、 
私は鼓動が早まるのを抑え切れなかった。 
悔しいけれど、親と子ほどに歳の離れたこの男に 
私はやり込められ、惹きつけられていた。 



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シャワーを浴び部屋に戻ると、薄明かりの中で何かがぼんやりと光っていた。 
その光に彼の顔が白く照らされている。 


「何してるの?」 

「あ、出たんだ。早いね。 今日ね、お客さん感謝デーなの。 
ツグミさんとお泊りコースになるとは思ってなかったから、予約入れちゃってさ。」 


感謝デー?予約? 
意味がわからず、乾き切っていない髪をバスタオルで撫でる。 


「あ、ダブルワークってやつなんです、ボク。 
ホストクラブ所属、兼、出張デートクラブホスト 
あ、単に店の掛け持ちってやつか。」 


よく見ると、ノートパソコンが置かれているのに気づく。 
彼は鼻で笑いそう言うと、 意図的に揃えられた深爪の人差し指が、エンターキーにふれる 


『JAM』

 

「これ、お店の名前ね。 
甘美で、flavorな存在だけれども、決して主人公にはなれない引き立て役。 


「僕らは貴女を引き立てる、flavorで甘美なJAM。」 
っていうのが、店長のウンチク。ダサダサ。80年代かよっつーの。」 


勢いよくキーはクリックされ、画面が切り替わる。 



「ウチの店はホストがみんなブログを持ってて、 
店のホームページからリンクが貼ってあるんだ。 
お店外でも、お客さんとの交流を図ろうってやつです。 
みんな結構更新してるんだよなぁ。ホストは意外とマメなんだ。 
この世界に入ってはじめて知った、って当たり前か。 
んで、コレ、ボクのページ。実物の方がイケメンでしょ?」 


彼は少年のように無邪気に言葉を連ねる。 
なぜ、彼は、こんな場所で、こんなことをやっているのだろうか。 
なぜ?いつから? 


「あ、それから、チャットページもあるんだ」 



危ない。 
余計なことは考えるのは止めようと決めたのだった。 
でも、思考のシャワーは突如、流れ出し私を侵食する。 
唇を撫でる。昔からの癖だ。唇を撫でると落ち着く。 



「ビデオチャットなんで、パソコンとウェブカメラとマイクさえあれば、

どこでもログイン、お仕事できます、ってわけ。 
ホストもSOHOな時代。各ホストは専用の部屋も持ってる。 
チャットルームは、お店に呼び込むための宣伝でもあるし、 
常連さんを繋ぐツールでもあるんだ。 
難しいことはよくわかんないけど店長のウケウリ!」 



それにしてもよく喋る。 
今の若い男の子はみんなこうなのだろうか。 
ディスプレイに目をやる。黒とスカイブルーを基調にしたデザインのページは、 
彼のイメージにピッタリな気がした。 


『ホストクラブ「JAM」体験部屋』 


「これはね、新規のお客さんを呼び込むのが目的。 
フツーの女の子だったら、かなりの勇気を振り絞らないとホストクラブになんて来ない。 
でも、興味のある女の子はたくさんいると思うんだよね。 
ってまぁ、潜在需要を掘り起こすための、体験部屋チャット、なんです。 


体験部屋のお客さんは、メールアドレスを登録して、アカウントとパスワードを設定、個人のアカウントを作る。 
クレジットでとポイントを購入してもらって、ポイントをお金代わりに、 
ホストクラブを体験してもらうって仕組になってるんだ。 


月金土が、体験部屋デー。 
店のホストが交代性で、体験部屋を担当する。 

それとは別に常連さんデーもあるんだ。ホスト個人を指名して特定の金額まで達すると、 
プラチナ会員と銘打って予約制のチャットサービスを提供してるんだ。 


でも、お客さんには大々的にはPRしていない。 
条件を満たしたお客さんにホストから、プラチナの名刺を渡す。 
そこに、専用のチャットページのURLが記してある、っていうオチ。

 
「秘密の部屋のキーコードです」と一言付け加えて「秘密」を匂わせる。 


秘密は甘美でflavor! 貴女だけ、という事実が、女の子の承認欲求を満たす。 
なかなか考えられてるでしょ?」 


「体験部屋は持ち回り。病院の当直みたいだね。 
したら、個人ページは専門外来か。 
のめり込みという病気を加速させる、専門外来!! 
あはは!!店長はセンスは悪いけど、頭はいーんだよなぁ。ホント。 
っと、ツグミさん、こっちまで来ないでね 
画面に映っちゃうから。他の女といるのがわかったらゲンナリされちゃうから」 



どうやらこの男は、頭の悪い人間ではないようだ。 
むしろ、知恵のある、その知恵で彼はこの街を生き抜いている。 
なぜか、そんなふうに思い、自分がおかしくなる。 


「今日は予約が一件。クミコさんだ。 
26歳。既婚。大手住宅メーカー勤務のインテリアコーディネーター 
岩手から二ヶ月に一回くらい来てくれるんだ。 
本社への出張日に合わせて来店してくれる。 
旦那さんは夜勤がある仕事らしくて、予約が入るのは、旦那不在の夜! 
くぅ~!背徳の人妻って感じだねぇ!」 


おちゃらけて、ケラケラと笑っている彼と「クミコ」のやり取りは続いている。 
軽いノリの今風の男の子。 
数時間前、私の手を取り、つぶやいたあの瞬間が嘘だったかのようだ。 
いや、人は誰しもいくつもの顔を使い分けて生きている。 
どちらが真で、どちらが偽であるか、という問いは意味を成さない。 
簡単なこと。分かりきったこと。 



「シャンパンタワーいただきました!! 

って、今日は店からじゃないんだった。ごめんね。
そのかわり、今度来てくれたときにクミコさんのお願い、

なんでも聞いてあげるから。 ね、許して!」 



唐突に思考のシャワーが私を侵食する。 
彼は、なぜこんなことをしていているのだろうか。 
女に媚び、カネを弄る。 
楽しいのだろうか。生きていくため、仕方ないことなのだろうか。 


「アナタは、今の生活に、自分の人生に満足してるの?」 


気がつくと、口から言葉が音となって飛び立っていた。 
誰に問いかけたのだろう。 
彼に問いかけた言葉は、私自身に問いかけた言葉だった。 



彼は、クミコへ言葉を投げるのを止め、 
ディスプレイから顔を逸らし、すっと立ち上がったかと思うと、

一瞬で私の体は彼にさらわれていた。 


「アナタじゃないよ。ボクは、ジュン、だ。」 


重ねられた唇から全身に何かが走り抜けるのを感じた。 
抗おうと思った。でも、体は意思に反して主の言うことを聞かない。 
余計なことを考えるのは止めよう。 
そっと瞳を閉じ、体の力を抜いて、彼にカラダを預けた。 
心地よさに、取り込まれていく。 


マイク越しに女性の声が聞こえた気がした。 
声にならない声が吐息となり漏れ、意識が遠のく。 


恐る恐る目を開けると、彼と目が合う。 
瞳が優しく微笑んでいた。 
そうだった。思い出した。彼は、優しい眼差しで 
見えない私を、見てくれていた。 
だから、私は彼に身を任せようと思った。 


見透かされているのだ。 
惰性と慢性で、この世に遷ろうワタシの心を。 
自分に自信のない、ワタシの心を。 
変わりたくても、変われないワタシの心を。 


変われたらいいのに。 
ワタシは、変われるだろうか。 
この先の道を、私は変えることができるだろうか。 


嘘か本当かなんてわからない。 
でも、そんなことどっちだってよかった。 


もう、「アトモドリハ、デキナイ」 


再度瞳を閉じる。 
彼は、そっと耳元で何かを呟くと、 
ゆっくりと優しく私の体を覆っていった。 


彼の吐息が聞こえた。 
今日、はじめて彼が、人間味を見せた瞬間だった。 
私はそっと、自分の唇から指を離した。



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目を覚ますと、朝日に照らされた白いシルエットが目に入った。




「あ、起しちゃったね。ごめん。」



ジュンの背中に太陽が隠れ、彼の姿が輪郭を帯びる。
口元に笑みを浮かべているが目は笑っていない。
彼の瞳は寂しげで、ここにはあるはずのないものを宿しているように思えた。



「ケータイ。ありがと」



馬鹿げていると言い捨てて全てを放棄することは簡単だった。
でももうそうすることはできない。
この物語の幕を降ろすことができるのは目の前にいる男だけだった。



「僕はさ、もう真っ当に生きていくことなんてできやしないんだよね」



昨夜ジュンがした話を思い出す。ジュンは母の愛に飢えているように思えた。
それゆえ彼の絶望の底は深く、覗き込もうならば取りこまれてしまうような気がした。

母親の愛情という有り触れた言葉に対して里美が持てる定義などなく、ジュンと対極をいく自分の境遇がおかしくもあり飢えるほどの愛を知っている彼が羨ましくもあった。


「娘さんには悪いことをしちゃったね。僕は直接彼女に会って謝ることはできないと思うけれど。あのさ、娘さんはツグミさんことが大好きなんだと思った。きっと、ね。」


シャツの襟を指で挟んで伸ばしながら、寂しげな瞳をこちらに向ける。昨夜と同じ瞳。


「そうだといいんだけど」


返す言葉が見つからず、素っ気なく言葉を返す。
娘の絵里が全ての結末を知った時が、母親失格が確定するときでもある。
もう今更遅いのだ。全てが遅すぎるのだ。 でも不思議と後悔は、ない。


「ツグミさんには極力迷惑をかけないようにするからさ。
コトが済んだ後のシナリオは昨夜話した通り。
ツグミさんは被害者。それ以外の何ものでもない。りょーかい?」


被害者、か。
「ツグミは偽名よ。サトミって呼んで。
里山の里に美しいで里美。私の本当の名前」


彼は少し驚いた顔を作って見せた。


「オッケ。よろしく。里美さん。」


「僕はジュンイチ。純粋の純に漢数字の一。長ったらしいから純って呼んでよ」


純は親しげな笑顔をこちらに向けて目を細めた。
その視線の先に何を見ているのか。私には到底、わかるはずもなかった。


カタカナが漢字になり、非現実感漂うシナリオが少しだけ現実味を帯びた気がした。
そう、ワタシこそが、彼の描くシナリオの登場人物の”最後のひとり”だった。



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